第二話 水瀬しずくは「フラペチーノはホットが美味しい」と自慢げに言った。
「きみのこといっぱい知れちゃったね。チーズバーガーのセット、ドリンクはコーラでナゲットはマスタードソース」
水瀬は二枚のレシートを片手に、レジから帰ってくる。
注文内容を嬉しそうに復唱するその姿が、初めてのお使いから帰ってきた子供みたいに見えて、少し可愛かった。
「嬉しそうだな」
「嬉しいよ。だって私、君のこと全然知らないから」
少し寂しそうに水瀬は言う。
「もう出会って三か月になるのに、好きな物くらいしか分かってないじゃない?」
「そうだな」
「だから、せっかくだからこういう機会に君のこと知りたかったんだ。テストのせいで、アニメの話題もないしね」
確かに、水瀬の好きなアニメは知っているのに、水瀬自身のことは何も知らない。
せいぜい、LINEに登録されてるプロフィールとかから誕生日とかを知ってることくらい。
……思い直す。一つだけあった。
とても印象に残っている、僕にとっての彼女を彼女たらしめる、一番の理由。
部活の入部動機。
忘れもしない、新入部員だった僕ら二人で並んで自己紹介をしている時だ。
――色んな人と仲良くなるために入部しました。
そう力強く宣言した彼女の瞳がすごく印象に残っている。
きっと、それを見てからなのだ。彼女のことを神様だと思うようになったのは。
かっこよかった。
僕が部活に入った理由なんて、ただなんとなくだったから、その時の水瀬がキラキラ輝いて見えたのだ。
「今日は君と仲良くなりたいなって思ってるんだ。だめかな?」
だから、なのかもしれない。
自分の中で神格化するだけで、ありのままの彼女を知ろうとしなかった。
「僕も……水瀬のこと知りたい」
「ふふっ、なら良かった」
満足げにそう返してくる水瀬に頷き返した時、店員が声を張り上げるのを聞いた。
「240番でお待ちのお客様~!」
「僕たちは?」
「えっとね、241と242かな」
まさかの次だった。
水瀬の注文する間にも何組か受け取りに来ていたし、回転がかなり早いのかもしれない。
「結構すぐだな……じゃあ、軽い質問するわ。水瀬って好きな食べ物ある?」
どうせそこまで話題も膨らまないだろう。そうアタリを付けた。
「そうだね……私は甘いもの全般好きかな。砂糖いっぱい入れたコーヒーとか大好き」
「おお、コーヒーは俺も好きだな。小学校の時とか、親に連れられてスタバとかよく行ってた」
「え、そうなんだ。ちょっと意外。今はもう行かないの?」
「……ああ、そうだな。一人で行くには高いし、友達と行くのはカラオケとかゲーセンとかになるから」
正確には中学の頃、ある友人に連れられてカフェ巡りをしていたりしたのだが……話が拗れるので黙っていることにした。
「へぇ、そうなるんだ」
「逆に女子はみんなカフェとかよく行くよな」
「うーん……私はあんまり行ってないかな。友達みんな部活やってて下校時刻合わないし」
「意外だな」
特に意味もない発言をしたつもりだった。
中学の時、よく一緒に居た友人……幼馴染がカフェマニアで、よく連れられて行ったのだ。
だから水瀬も好きなのではないだろうかと、そう思っただけだった。
――水瀬は一瞬、困ったような表情を見せた。
すぐにそれは隠されて、いつもの表情に戻る。
「えっ……あー、うん。そうだね。中学の時はよく行ってたよ。家の近くにもあったしね」
「水瀬の住んでる辺りは充実してるのか」
「家の近くにもスタバあるんだよ。……えっと、学校の帰りによく行ってたよ」
羨ましい。
本当にこの辺りにはスタバがないのだ。あったとしても、自転車ですら行ける距離じゃない。
この前、学校の最寄り駅……の隣の駅にスタバが出来た時には大騒ぎになった物だ。
僕は一人で行くほど興味があるわけでもなかったから、まだ行けていない。
「良いなぁ。行きたいな」そうこぼしてから、ふと思う。「――なあ水瀬、スタバ行かないか?」
誰かと一緒が良いなら、水瀬を誘えばいいのだ。
「えっ?」
「なんか話してたらスタバ行きたくなってきた。……もちろん、断ってくれてもいいけど」
「いや、えっと、その。…………私で、よければ」
「やった、じゃあ決まりだな」
ぽかん、と水瀬は困惑したように固まっていた。
「どうした?」
「……人にどこかに誘われるのって、こういう気持ちなんだなって。なんか嬉しいね」
呆然と、しかし噛み締めるように水瀬はそう言って――数瞬後、はっとしたように顔をぶんぶん振った。
「いや、えっと、あの、あ、そう! 私ってほら、誘う側になること多いから、ちょっと意外で」
何に慌てているのかはよく分からなかったから、後ろにだけ反応する。
「確かに、自分から率先して誘うこと多そうだもんな」
「そうなんだよね。だから嬉しかった。ありがと」
いつものにっこり笑顔。
やっぱり眩しくて、視線を逸らす。
「来週のどこかの帰り道でどう?」
「いいよ! 楽しみだなぁ。――そうだ、君はスタバ行ったら何飲むの? よく行ってたってさっき言ってたよね」
「小学生の時な。……そうだな、フラペチーノとか好きだったかな」
あのひんやりした感触、甘い味、楽しい触感、どれをとっても好きだった。
テストで100点を取った時にだけご褒美で飲ませてくれた、という思い出補正のあるかもしれない。
「あっ、フラペチーノ! 私もフラペチーノ好きだよ」
やはり、行きつく先はみんな同じらしい。
最近は特に暑いし、フラペチーノが飲みたくなる。
「フラペチーノだったら何が好きなんだ?」
僕が好きなのは、ベタに抹茶だった。
昔から抹茶味のお菓子……それも氷菓子には目が無くて、かき氷だってその味ばかり食べていた。フラペチーノはその延長線だった。
「『何』か、うーん……そうだね、私は」
彼女はなんてことないように、いつも通りのにっこり笑顔を携えたまま。
右手の人差し指をぴんと立てると、くるくる回しながら自慢げに言った。
「フラペチーノはホットが好きかな」
「……………………?」
フラペチーノに、ホットなんてあっただろうか?
僕はただ、どんなフレーバーが好きか聞きたかっただけなのに。
「やっぱり、フラペチーノはホットが一番おいしいのよ!」
僕が何を言うか困っていると、彼女はもう一度高らかにそう宣言した。
それでも僕はやっぱり反応に困ってしまって、ただもごもごと口を動かす。
――どうするのが正解なのだろうか。
「反応を見るに、きみはアイス派?」
「あ、あぁ……アイス、かな」
フラペチーノ、僕の記憶が正しければアイスしかないはずだ。
そもそも語源からして、氷菓子のフラッペとカプチーノを合わせた造語のはずだし。
ホットがあるとすれば、薄いカプチーノなんじゃないだろうか。
――そんなの絶対美味しくない。
「中学の時もフラペチーノのホットばっかり飲んでて。夏休みに行った時、暑いのによくそんなの飲むねって驚かれたりしたよ」
彼女なりの、冗談なのだろうか?
でも、そう語る彼女の瞳はいつも通りで、なんら変なところを感じさせない。
「……へぇ、そうなのか」
「やっぱり私好きなんだよね。ホットフラペチーノ」
引いてはいないが、困惑しているのは事実だった。
ここまで自信満々に宣言されてしまうと、間違っているのは僕の記憶なのかもしれないとすら思い始めてくる。
なあ、フラペチーノってホットあったっけ、そう確認を取ろうと口を開いて――
「241番でお待ちのお客様~!」
――ちょうどその時、店員から声がかかった。
「あ、ごめん、呼ばれちゃったから行ってくるね。続きは後で聞かせて」
水瀬は一枚のレシートを僕に押し付けると、残りのレシートをひらひらさせながら受け渡し口へと歩いていく。
呆然と見送る。
遠ざかっていく背中が、気のせいか近くに見えた気がした。
◆◇
席を確保して、向い合ってハンバーガーを食べて、談笑しながらポテトを摘まんだ。全部楽しかったし、知らないこともたくさん知れた。
でも、ホットフラペチーノのことがずっと頭に残っていた。
一通り食べ終わった後、会話が一段落した所でトイレ行って来ると言い残し席をたった。
フラペチーノが何かを確認するためだ。
――僕の記憶が間違っていなければ、フラペチーノにホットはないはず。
焦っていたせいか歩いていた店員さんにぶつかりそうになった。
客が積んでおいた返却済みトレーを回収している所だったらしい。
深々と頭を下げてくるのに軽い会釈を返し、逃げるように足を速めた。
すぐにトイレに到達する。
個室に入ってドアを閉めた。便意はないから、ズボンも下ろさずにそのまま腰掛ける。
「……さて」
『フラペチーノ とは』検索。
ウィキペディアが引っかかる。開く。
『フラペチーノはコーヒーとミルク、クリームなどを氷とともにミキサーにかけたフローズン状のドリンクである』
フローズンドリンク。
念のため他のサイトでも確認したがどこも書いてることは同じ。
――間違いない。
フラペチーノにはホットなんてない。
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