第136話 少年期 港町ノッテルダム

「なんだか不思議な匂いがします……」

 馬車の中、シオンの膝の上にちょこんと座っていたリアがスンスンと鼻をならす。

「そうだね」

 シオンも同じように今まで感じたことのない匂いを感じていた。


「これが潮の匂いよ」

「ノッテルダムまですぐ傍まできてるから風に乗って海の匂いが届いてるのかもしれない」

 向かい側に座るティアナとミヒャエルが口を開いた。


 そうか、これが海の匂いなんだ。

「あっ! シオンお兄さま、見てください!」

 窓に貼りつきながら景色を眺めていたリアが大声を上げる。その先には真っ青な世界が広がっていた。


「おお!」

 思わず声が漏れる。

「広いっ! おっきい!」

「そうだね、かなり広い」

 大きな川などは見たことがあったけど、それとは明らかに雄大さが違っていた。


 水平線の彼方まで青く染まり、太陽の日差しを浴びて、水面はキラキラと宝石のように輝いている。

「綺麗ですね」

「うん」

 隣にいたフェリもその景色に見とれている。


「明日は皆で海に行ってみようか!」

「いいんですか!?」

 ミヒャエルの提案にリアが即座に反応する。

「海水浴ができるような砂浜もあるよ」

「わぁ♪」

 リアは待ちきれないといったように足をバタバタとさせる。


「シオンお兄さま、楽しみですね」

「そうだね」

 にっこりと微笑むリアに和みながら、その頭を優しく撫でてやる。


「ブルーノお兄さまは間に合いますかね?」

 ひとしきり嬉しそうに頭を撫でられた後、リアがぽつりと呟いた。

「どうだろう。今日中に仕事を終わらせられていればぎりぎり間に合うと思うけど」


 そもそも出発する前日に追加の仕事が発生しなければ、ブルーノ兄さんは僕たちと一緒にこの馬車でノッテルダムに向かっていたはずだったのだ。何というか運がないという他ない。

 

「前日に仕事が増えたといっても仕事をため込んでなければ余裕で間に合ってたんだから自業自得よ」

「そうだねー」


 ティアナの言葉にミヒャエルが同意する。確かに正論なのだけど、皆が海に向かっている中1人ローゼンベルクの屋敷の執務室で仕事をしていることを考えると同情してしまう。


 流石に、追加の仕事が入ったときに、子供のように手足をバタバタさせながら床を転げまわるさまを見た時はちょっぴりひいてしまったけど……。


「それよりもみんなノッテルダムが見えてきたよ」

 彼の言葉に海から馬車の正面の方に視線を移す。


 そこにはずらりと城壁のように高い壁がそびえ、その中央には大きな門が見えた。ローゼンベルグの街と同等かやや小さいぐらいの規模だろう。かなり賑わっているようで、街に入ろうとする門のところには馬車の列が出来上がっていた。


「結構大きいよね」

「はい、ミヒャエル兄さんはこの街の内政をしてるんですよね」

「そうだよ」

「すごいです」

「ありがとう。でも実際に頑張ってくれているのは役人たちだよ。僕は部屋でアイデアを出したり方針を決めたりしてるだけ」

 自慢するでもなくミヒャエルが言ってのけた。


「ちょっと待ってね」

 ミヒャエルは列に並び止まった馬車の外に出て行く。御者の人と何やら会話した後戻ってくると、馬車はゆっくりと列の横を進み始める。


「並ばなくていいんですか?」

 おずおずとフェリが尋ねる。

「大丈夫、一応今は僕がこの街のトップだからね。これぐらいの融通は聞いてもらえるんだよ」


 そう言いつつもミヒャエルは横の馬車たちに向かって軽く頭を上げていく。すると馬車に乗っていた貴婦人たちが一様に黄色い声を上げていく。


「相変わらずミヒャエル兄さんも凄い人気ね……」

 ティアナが感心したように声を上げる。

「そんなことないよ。多少顔が売れてるからってだけだよ」

 顔が売れてるだけでこんな風にはならないと思うけど……。


 そうこうしていると、馬車は門のところまでたどり着く。

「ご苦労様、悪いけど先に入れて貰えるかな?」

「これはミヒャエル様、はいっどうぞ!」

 馬車から顔を出したミヒャエルに門番たちが敬礼する。


「申し訳ないけど先に通らせて貰うね」

「とんでもありません、どうぞ」

 ミヒャエルが割り込みをしてしまった馬車の人に声をかけると、すぐさまそんな言葉が返ってきた。 

 

 商人なんだろうか。馬車の荷台には様々な荷物が一杯に乗っているのが見えた。

「お馬さんが大変そうです」

 リアがそう思うのも無理もない。それよりも彼が商人だったとしてそれほどの荷物を売ることができるんだろうか。


「売れるよ」

「えっ?」

 ミヒャエルが口を開いた。

「シオンはあれだけのものを売れるのか不思議なんでしょ?」

「はい」

 街の規模を考えればあれだけの量を捌くのは至難の業に思えるけど。


「多分あれは船に乗せる商品だよ」

「船に?」

「そう」

 ミヒャエルが頷く。

「ここは港町だからね」

 


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