第105話 少年期 風雲急を告げる

「ルル、ちょっといい?」

「お姉ちゃんどうかした?」

 

 食器を洗い終えたルルがレアーネの傍に近づくと、彼女は布団から上体を起こす。

「大事な、話があるの」


 彼女の顔色は良くない。冒険者として活躍していた時に比べると頬は痩せ、筋肉もかなり落ちていた。耳や尻尾の黒く艶やかだった毛並みは失われ、声にも力強さがない。ここ2週間でさらに弱っているのが目に見えてわかった。


「大事な話?」

「そう、よく聞いてね、ごほっ、ごほっ」

「お姉ちゃん!?」

「大丈夫、だから」

 心配するルルを手で制しながら息を整えると、レアーネは胸元から四つ折りにされた1枚の紙を取り出してルルに手渡す。


「これは?」

 紙を開くと簡易的な地図と住所と、6桁の番号が記されていた。スラムではなく、王都の中心部辺りだ。

「いい、ルル。これは誰にも見せないように」

 ルルはこくりと頷く。


「それは、私が借りてる、貸倉庫の場所を書いたもの」

 時々激しく咳き込みながらもレアーネが続ける。

「そこには、私が手に入れた、レアアイテムが入ってるわ」

 レアーネはそこまで言うとルルの頬に手を優しく添える。

「お姉ちゃん?」


「もし、私が死んだら、そこにあるアイテムを売ってお金にしなさい」

「お姉ちゃん!?」

「ルルが、当面の間、暮らせるぐらいの、お金にはなるはずだから」

まるで別れの時を察しているような言葉にルルの瞳が潤んでいく。


「だったら、これでお姉ちゃんの病気を……」

「だめっ!!」

 鋭い口調にルルが体を震わせる。

「自分の体のことだから、自分で分かるの」


 恐らく私に盛られているのは複数の魔物の毒を混ぜたものだろう。解毒するためにはそれぞれに効く薬を集める必要がある。だがその為には盛られた毒が何の魔物なのか一つ一つ調べないといけない。早く見つかったとしても半年はかかるだろう。あと半年も生きていけるか。それは誰よりも私自身がわかっている。


「お姉ちゃん……」

 堪え切れなくなったルルの瞳からぽとり、ぽとりと大きな雫が床に落ちていく。

「ルル、ごめんね」

 胸に抱き着いてきて声をあげながら泣き出してしまったルルを優しく抱きしめ、頭を撫でる。ルルは聞きたくないと言う風に首をフルフルと横に振る。


「いやだよ……お姉ちゃん……」

「ごめん……」

 泣きじゃくるルルをレアーネは体に鞭を入れながら撫で続ける。

「ずっと一緒って、約束したんだから」

 ルルがレアーネの背中に手を回して強く抱きしめた。


 あれから、泣きつかれて抱き着いたまま寝てしまったルルを起こさないようにしながらそっと自分の横に寝かせて布団をかけてやる。たった1人の何よりも大切な宝物。

 あと何回この子のことを撫でてあげられるだろうか。

 獣人族の少女がこの先1人きりで幸せに生きていけるだろうか。


 そう考えただけで胸が苦しくなる。

 神様、私は地獄に落ちても構いません。だから、この子だけは幸せにしてください。レアーネはルルの額にキスをした。

 

 レアーネがルルのこの先を案じていた同時刻、エルベン家に仕え、ダミアンの執事である男は薄汚いスラムの路地で冒険者たちと会っていた。

「それで、俺たちに用ってのはなんだ?」

 冒険者のリーダーらしき男が声をあげる。

「あなた方に依頼を受けていただきたい」

 執事は胸ポケットにしまっていた依頼内容をまとめた紙をリーダーに差し出す。


 リーダーの男はそれを奪い取るように掴んで内容を確認していくが、途中でその紙をくしゃくしゃに丸めて地面に投げ捨てる。

「……おい、俺たちを馬鹿にしてるのか?」

「いえ、そんなつもりは……」

「獣人のガキをだましてレアアイテムを奪い取る。そのアイテムと引き換えに俺たちの借金を全て帳消しにするだぁ? そんな都合のいい話があるわけないだろ」

 リーダーの男がせせら笑うと、後ろにいた2人も笑い出す。


「う、嘘じゃありません。これは私が使えている貴族様からの依頼なんです」

「貴族様ならレアアイテムぐらい金を払えば手に入るだろ。わざわざガキをだまして、俺たちの借金をチャラにしてまで奪い取る必要あるか?」

 リーダーの男はじりじりと距離を詰め、執事を壁際まで追いやる。


「でも、本当なんです。信じてください」

 ここで依頼を受けて貰えなかったら、執事には地獄のような仕打ちが待っている。執事はプライドをなげうち必死になって頼み込む。

「嘘をつくならもっといい嘘をつけよっ!」

「がはっ……」

 冒険者のボディーブローが執事のみぞおちに完璧にハマり、執事はその場に倒れこむ。


「もし本当だって言うなら、依頼をしてきたって言う貴族の名前を言ってみろよ」

「……それは……」

「言えないだろ。貴族の名前を勝手に騙ったら死罪だもんな」

 リーダーの男がにやりと口元を歪ませる。

「リーダー、こいつ結構金持ってましたぜ」

 冒険者の1人が執事の服から金の入った袋を奪い取る。

「いいな、今日は久しぶりにいい酒が飲めそうじゃねぇか」


 笑い合いながらその場を去ろうとするリーダーの足に手がかかる。

「あぁ?」

 さっきの執事が地面に横たわりながら掴んでいたのだ。

「わ、わかりました。貴族の名前をお伝えします」

 そう言って執事は名前を告げる。


「おい、今の話本当に嘘じゃねぇんだよな?」

 髪を掴まれ無理やり顔を上げされられた執事が頷く。

「はい」

「……いいぜ、その依頼受けてやるよ。5日後またここにこい」

 リーダーは執事を乱暴に離す。

「ああ、この金は前金として貰ってくぜ」

 

 下品な笑い声をあげながら消えていく冒険者たち。

 底辺の冒険者風情が。

 ……絶対に許さない。

 執事は地面に倒れこんだまま顔だけあげると、彼らの後姿をぎりぎりと奥歯を噛みしめながら静かに睨みつけていた。


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