第69話 少年期 ある姉妹

「遅くなりました」

「おかえり」

 顔を合わせてくれないし、まだ怒ってるのかな。シオンは逡巡してティアナの横に座った。

「ティアナ姉さん」

「……何?」

「これ良かったら」

 シオンはクレープを一つティアナに渡す。

「甘いもの好きだよね?」

「あ、ありがとう、後でいただくね」

 相変わらず顔は合わせてくれないが声音が優しくなった気がする。ブルーノ兄さんありがとう。心の中で感謝を伝えていると、馬車がゆっくり動き出す。


 後は……、そうだ。

「それと……」

 シオンはさっき買った花をティアナに差し出す。

「ティアナ姉さん。よかったらこれも受け取って貰える?」

「……っ! これは?」

 ようやく目を合わせてくれたティアナの目が輝く。

「クレープのお店の近くで売っているのを見て買ってきました」

 伏し目がちにシオンが答える。

「何か怒らせることしちゃったんですよね……」

「……」

「……」

「……ねぇ、シオン。このお花ってシオンが選んだの?」

 花束のように整えた中心にある薄桃色の花を指さしながらティアナが尋ねる。

「えっと、はい、僕が選びました」


 蝶々のような見た目の可愛らしい花だったから選んだんだけど、何かまずかったのだろうか?

「……そっか、そっか、そうなんだ♪」

 心配するシオンをよそにティアナは上機嫌になっていく。

「ありがとう、シオン。気持ち伝わったよ」

 誠意が伝わったようでシオンはほっと胸を撫で下ろす。

「ほら、こっち」

 ティアナは鼻歌を歌いそうな勢いでぽんぽんと自らの膝を叩いた。


「えっ、その……」

 2人きりとは言え膝に乗るのはかなり恥ずかしい。だが、ここで断って折角よくなった機嫌を悪くするわけにはいかない。

「……失礼します」

 ティアナの膝にちょこんと座ると後ろからぎゅっと抱きしめられる。

「本当にありがとうね、シオン」

 肩に顔を乗せながらティアナが耳元で囁く。

「いえ」

 シオンは顔を赤くしながら小さく答えた。


 もうほんとにこの子ったら♪

 心が弾んでいるのを感じながらティアナは腕の中でなされるがままになっているシオンを見つめる。最初に甘いものを渡して機嫌を取ろうとした時なんか、なんて安直な考えなんだろうって思ったけど、まさか2段構えだったなんて。

 でも、そうよね、女の子が怒ったときに甘いものを渡せば大丈夫なんて馬鹿な発想をシオンが持っているわけない。そもそもそれは泣いている子供にするようなことだし。


 ティアナシオンから渡された花をうっとりと見つめる。視線の先には蝶のような花びらを持った薄桃色の花。ファレノプシスと呼ばれる花だ。

 それにしてもシオンってば意外とロマンチックなのね。これはドライフラワーにでもしてずっと残しておかないと。大切な思い出として。


 結局、屋敷に着くまでティアナはシオンを離さなかった。そのおかげでデレデレになった表情をシオンに見られることはなかったのである意味では良かったのかもしれない。


「お姉ちゃん、ただいま!」

 王都の外れにある長屋のような建物。木製の壁には小さな穴がいくつもあり、戸を閉めていても風が吹き込んできている。その一部屋に花売りの少女は急ぎ足で入った。

 

 室内は正方形の部屋が一つあるだけでかなり狭く、6畳あるかないかの大きさしかない。床も踏むとぎしぎしと音が鳴るような板で今にも抜けてしまいそうだ。

 家具も部屋の中心に置かれたテーブルと幾つかの食器類に、壁際に並んである二組のくたびれた布団だけ。

「おかえり、ルル。ゴホッ! ゴホッ!」

 その一つで横になっていた女性が上体を起こす。

「お姉ちゃん!? 無理しないで!」

 ルルは荷物を置いてすぐに姉に駆け寄り背中に手を当てた。

「ごめんね、ありがとう」

 彼女は微笑むが頬は痩せこけており、頭の耳も力なく垂れたままだ。

「それよりどうしたの? そんなに嬉しそうにして」

「そうなの!? これ見て!」

 ルルはそう言うとシオンから貰った2つのクレープを出した。


「……っ!?」

「それに、じゃん!」

 ルルが銀貨1枚を見せると、女性はガッとルルの肩を掴んだ。

「それどうしたの!? もしかしてルル変なことしてないでしょうね!?」

「し、してないよ」

 あまりの剣幕に驚きながらもルルが答える。

「本当に?」

「うん、これは貴族の人がくれたんだ。間違って多く買ったからって」

「そのお金は?」

「その人がこれからもお花を買うことがあるかもだから先払いだって」

「そう……」

 女性はルルが嘘を言っていないことを確認して肩に回していた手から力を抜いた。


 貴族の道楽? それとも徐々に徐々にルルを懐柔する算段とか……。

「お姉ちゃん?」

「ううん、なんでもない、それで喜んでたのね」

「うん! 甘いものなんて久しぶりだから。お姉ちゃんも一緒に食べよ」

「2つともルルが食べていいのよ。お姉ちゃんあんまりお腹すいてないから」

「いいの!? って、ダメ! 食べないと良くならないから!」

 一瞬欲望に負けそうになりながらもルルが毅然と言い放つ。

「ごめんね、ルル」

 クレープを口に運びながら彼女が呟く。

「そんなことないよ! それに銀貨1枚あれば暫くは食事にも困らないし」


 ルルはそう言って笑顔を見せる。あたしが病気にならなければ、ルルは綺麗な服を着て、美味しいものを食べ、友達と日が暮れるまで遊んで。贅沢はそこまでできなかっただろうけど、同い年の少女たちがしているような生活ができていたはずなのに……。

「明日は少しだけ奮発して、耳じゃなくてちゃんとしたパンを買ってくるね!」

 ルルは明日が待ちきれないような表情を見せる。

「女の子がそんなはしたない顔を見せちゃだめだよ」

「そんな顔してないよっ!」

 ルルがぷりぷりと怒り出す。


「お姉ちゃん、早く良くなってね……」

 クレープを食べ終え、疲れがきたのかうとうとしたルルを布団へ誘導して布をかけてやる。寝言でも心配されてるなんて姉失格だ。

「この子の為にも頑張らないと」

 彼女の呟きは夜の帳の中に静かに消えていった。

 

 

 


 

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