第55話 少年期 ラルフ・アインホルン
「長旅で疲れたでしょう、まずはお風呂にゆっくり浸かって疲れを取るといい」
シオンたちは屋敷に招かれると、女性陣は使用人にシオンはラルフに風呂場まで案内される。
「風呂は男女別のつもりだったが一緒の方が良かったでしたか?」
「っ! 別で問題ありません」
「そうですか、ではまた」
侯爵は上機嫌で去っていき、風呂場にはシオン1人が残された。
……凄い人だ。それしか言葉が出ない。とりあえず悪い人のようには思えなかったけど。厚意に甘えて湯船に浸かってリラックスしたシオンはそんなことを考える。あの人が3大貴族の1人。僕が知っているの情報は前に起こった帝国との戦争でとてつもない戦功を上げた人物ということぐらい。そんな人がどうして僕に会いたいと思ったのだろう? ……見当がつかない。
「シオン様」
「っ! はい」
「失礼いたします」
「えっ⁉」
脱衣所の方から急に声が飛んできてシオンが返事するとアインホルン家の使用人と思わしき女性が3人風呂場に入ってきてシオンは思わず顔を背けた。彼女たちは小さな布で体を隠しているだけだったのだ。
「お背中を流しに参りました」
「いえ、だ、大丈夫です! 自分でできますから!」
「ですがラルフ様よりシオン様をもてなすようにとご指示されてますので……」
「お風呂を使わせてもらえるだけでも充分すぎるぐらいです!」
その後、何とか使用人たちを言いくるめて風呂場から出させることに成功したが、風呂で取れた疲れとは別の疲れを貰ってぶくぶくと顔までお湯につかっていた。
「シオンお兄さま!」
シオンが風呂から上がり広間に案内されると、先に出ていたリアがとことことシオンの元までやってきてぎゅっと抱き着いてくる。金色の絹のように滑らかな髪から石鹸の良い香りがする。
「お風呂、うちのより大きかったです!」
リアが両手を一杯に広げて大きさをアピールする。
「そっか、よかったね」
「はいっ! それにフェリの尻尾もいつもよりふさふさになってるんですよ!」
リアはシオンの手を取り、フェリとニーナのところまで引き連れる。
「フェリ、シオンお兄さまにも尻尾触らせて」
フェリはびくっと体をすくませ、そっとシオンの方に向き直る。風呂上がりで上気した顔は色っぽく、さっきの風呂での一件を思い出してシオンはすっと顔を背ける。
「シオン様?」
「大丈夫ですか? 顔が赤いですよ」
のぼせてないか心配したニーナがシオンに近づき額に手を当てる。濡れた髪にヒスイ色の瞳がすぐ傍にきて、シオンはさらに顔を赤く染める。
「だ、大丈夫です」
シオンはラルフ侯爵がくるまで広間のソファーに座りじっと下を見て過ごしていた。
「さあ、遠慮しないでたくさん食べてください」
食堂に場所を移したシオンたちはまたしても驚かされた。テーブルには様々な料理が所狭しと並び、食欲をそそる匂いが立ち込めている。
「その、私たちも一緒でよろしいのですか?」
フェリが恐る恐るラルフに声をかける。通常使用人は主人と一緒に食卓を囲むなんてありえない。現にアインホルン家の使用人たちは壁際に並んで立ち給仕をしていた。
「君たちは一緒に食事をとっていないのかい?」
「……それは」
「いえ、時間が合う時は一緒に食事をとっています」
答えるべきか悩んでいたフェリの横からシオンが代わりに口を開く。
「であれば何の問題もないですね」
「みんなで食べたほうがおいしいです」
「おや、小さなお嬢さんはもう食事の真理に気づいていらっしゃるようで。さあ、うちの料理人が腕によりをかけて作りました。どうぞ温かいうちに」
「ありがとうございます。いただきます」
シオンとリアが口を付けたのを確認してフェリとニーナの二人も遠慮がちに食べ始める。
「いかがですか?」
「凄くおいしいです」
「おいしい!」
「そうですか、それは何より」
ラルフは満足そうにその様子を眺めていた。
「その、一つ聞いてもいいですか?」
「構いませんよ」
食事が終わり広間に戻ったシオンはラルフに気になっていたことを尋ねた。
「どうして僕たちを屋敷に招待してくださったんですか?」
「隣接する領主の息子と親交を深めようとするのは変なことじゃないと思いますが?」
ラルフは洗練された所作でティーカップを口に付ける。
その可能性もあるかも知れないが、それだけじゃないはず。そんなシオンの様子を見てラルフはふふっと笑う。
「ですが、そうですね。個人的に君に興味がありまして」
「僕に……ですか?」
「ええ、若いながらも妹のために『銀亭』に立ち向かった勇敢なる英雄に」
「……っ⁉」
シオンは口元をこわばらせた。
どうしてそのことを? 領内でも知っている者は限られているはずなのに。
「驚いているようですね」
ラルフは顔色一つ変えず優雅に紅茶の香りを楽しんでいる。
「安心してください、どうこうするつもりはありません」
「……」
「警戒してしまいましたか? ですが私としては本当に何もするつもりはありませんよ」
「……どこでそのことを知ったんですか?」
「申し訳ないですが、その点については教えることはできません。ですが、良く見える目と耳を持っているとだけお伝えしときましょう」
よく見える目と耳。つまりは各地に間者がいるということだろう。それも相当優秀な。
「シオンと呼ばせていただいても?」
ラルフの言葉にシオンは頷く。
「ありがとう、シオン。私は君の行動に感銘を受けたんですよ。妹の為に身を挺す。口で言うには簡単ですが、それを実際に行えるものはそう多くないでしょう。ましてまだ12歳。若さ特有の無鉄砲なヒロイズムとも思いましたが、話してみて違うとわかりました」
ラルフはそこでようやくシオンに視線を向けた。
「それに獣人やハーフエルフに対しても分け隔てなく接し、屋敷の使用人たちからの評判も良い。だから私は一度君をこの目で直接見てみたかったんですよ」
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