第三十二話 契・約

 彼女から持ち掛けた約束なのだろう。魔女狩りに支持されたわけではなく、彼女から僕の記憶を消そうとした。なんでだよ、全然納得いかないぞ。懐疑と不満を視線に乗せて、僕は魔女狩りから彼女に向ける。


「おいおいおい、君の方から僕の記憶を消そうとしてたのかよ!」

「先輩、今は別にいいじゃないですか。ほら……」

「いいわけないだろ。こういうのはちゃんと――むぐっ」


 僕が言い終わる前に、ひんやりとした小さな手が口を遮ってきた。


「か、勝ったのはこちらです。さあ、約束は守ってもらいますよ!」


 僕の抗議をスルーして、無理やり話題をすり替えようとする。カッコよく魔女狩りに指を突き付けているが、肝心のセリフが焦って噛み噛みだった。


「我を無視するとはいい度胸だ。生きて帰ったならば、二度死ね。それが道理だ。今度は断罪の弾を貴様らにぶち込んでやる」

「せ、先輩は関係ないです! それでも撃つというならば、こっちも全身全霊で応えますよ。それに契約を破棄するということは、魔女の血の報復が返ってきますよ。その覚悟は出来ているんですよね」

「ならば、その一般人だけを生きて返す契約は果たす。だが我は『魔女を逃がす』とは一言も口にしていない。助ける理由も価値もない」


 二秒も経たずにライフル銃が勢いよく向けられる。装填済みの銃口の奥が赤黒く光り始める。魔女を燃やすための銃弾。眠らせるなんて甘いもんじゃなく、今度こそ間違いなく命を奪う気だ。

 おいおい、やばいぞ! こんなもんを近距離で撃たれたら一溜まりもない。いくら魔女の能力を使えて防げたとしても、手負いの僕を庇えば彼女自身が死にかねない。再生能力だってどこまで通用するのか……。

 ここまでやってきて、また彼女が殺されるなんてことがあったら。

 それこそ戻ってきた意味がないじゃないか。

 魔女狩りに撃たせないためには、彼女を守るにはどうすればいい――!


「災害の種を駆除するのは我々魔女狩りの使命だ。ここで貴様を撃たねば名が廃る。いつか魔女の血筋が廃れるその日まで永久に我……がっ‼」

「もうやめんかお主」


 引き金を引こうとした瞬間、銃の魔女狩りはくぐもった声を漏らしてバランスを崩した。後ろから殴られたらしい。わりと強い威力だったのか、ライフルを地面に落とすだけでなく本人が軽く地面に沈んだ。

 その背後に立っていた人物が顔を現す。筋骨隆々とした肉体、片腕の先に宿る黒紫炎の拳。ニヤッとした表情と大口開けて笑うその姿。思わず叫びそうになるのを抑えて呼んだ。


「じいさん! 生きてたのか!」

「ふははは、あの程度で死んでたまるか。まだまだワシは現役じゃい」


 そうは言いつつも、片腕を喪った代償は大きかったのか、災藤の額には脂汗が浮かんでいる。欠損した部分には包帯がグルグルと巻かれている。赤く滲んではいるが、なんとか止血できたようだ。さすがに切断された腕が元に戻ったり新しく生えてきたりする超人ではなかったか。

 そんな僕の視線に気づいたのか、災藤は肩の辺りを押さえながら口を開いた。


「これで借りは返したぞ。若いもんに、これからの日本を託すのも悪くないもんじゃ」

「借り……? なんのことだ」

「わからぬならそのままでよい。これはワシ自身の契約の問題じゃからな。『恩をあだで返すな』ってやつじゃ。救ってもらった命、無駄には出来ん」


 災藤もやはり契約を抱えているのか。さっき彼女は魔女の血の報復って言っていたけど、何か関係があるのか? どういう意味なのか確かめた僕に対して、返事をしたのは災藤ではなく彼女の方だった。


「魔女の血を結んでいる者は契約に縛られています。たとえそれが口約束であろうと、一度結んだ約束を破った場合、必ず自死します」

「し、死ぬっ!?」


 予想以上のペナルティに素っ頓狂な声が出る。


「だから先輩が私のことを助けずにそのまま忘れてしまっていたら死んでいましたね」

「その後出し情報、すっごく怖いんだけど!」

「結果論としては、良かったですね!」


 結果的には良かったけど、僕がもし彼女に関わる全てを忘れていたら……考えただけで恐ろしいな。彼女は待ち続けた末に魔女狩りに殺され、僕も死んで、倉橋はずっとずっと一人になってしまい、帰る約束も果たせない。最悪のルートだった。

 だけど、「もし」や「たられば」の世界は既に完結している。僕らがこの世界に、この瞬間に生きている。それだけが結果だ。単純で明快。それでいて、こんなにも嬉しい。

 僕が失ったものは彼女に関する記憶と存在。ただそれは名前や出自、彼女がどこで何をしたのか、そういった僕の意識的にあった情報だけだ。僕が忘れていた情報、あるいは無意識の領域にあったものまでは消えることは無かったのだ。僕が忘れていたことまでは彼女の記憶を操る血壊でも奪えなかった。

 支えられた状態でなんとか立ち上がると、少し貧血気味でフラッとする。回復するにはもう少し時間が欲しい。知らぬうちに息が乱れていたことに気づく。深呼吸を繰り返して落ち着かせていると、災藤の足元で倒れていた銃の魔女狩りがゆっくりと起き上がった。気絶していたのか、律するように右手で自分の頭をガンガンと叩く。


「貴様、後ろから殴るとは卑劣な……。魔女狩りへ手を上げたことは盟約違反に該当する。処罰の対象だぞ。わかっているのか、災藤!」


 吼える銃の魔女狩りは、不要だと言わんばかりに、フレームの歪んだ眼鏡を投げ捨てて思い切り踏みつけた。


「ワシはそれで構わん。ただし、ここでお主の行動を見過ごすことの方が許せんわい。無理にあらがうというならば、ワシも手加減はできんぞ」


 二人は相対すると、それぞれの血壊を発動させて臨戦態勢に入る。片や近接格闘、片や遠距離火器。間合いに入っている以上は災藤の方が有利だと思えた。しかし、発砲さえしてしまえば、致命傷を負うのは間違いなく災藤の方だ。

 それを理解しているからこそ手は出せないのか、お互いの動きを牽制するようにじっと動かない。僕らを守るようにして銃の男の前に立つ災藤は、残った方の腕を盾として構えていた。


「魔女に関わるのが罪である以上、ソイツはもはや人間ではない」

「この学生さんが何をしたというんじゃ。これ以上はただの殺戮と変わらん。ワシら魔女狩りは一般人には手を出していけん決まりじゃ!」

「それは魔女と関係ない人間に限った話だ」

「お前さんの話では、学生さんから魔女の記憶を消したのじゃろう。ならば、現時点では無関係にすぎん。魔女と知らず、ただ一個人として繋がっているだけじゃ」

「くだらん屁理屈を並べるな!」


 それまで冷静な声音だった銃の魔女狩りは激しい声で吠えた。


「お前さんも魔女と関わる気持ち、わかるのではないか? 『荒廃の魔女』と呼ばれた、元祖の魔女の子。そやつから全ては始まった。双子と共に夫から殺されかけ、親戚中から疎まれた。相当な恨みも積もっておったろう」

「あの女はっ、我の母は、憧れていた兄上を殺したんだぞ。許せるものか!」


 興奮している銃の魔女狩りは耳が痛いほどの声量で叫ぶ。嫌な過去を想起したのか、銃を持つその腕が小刻みに震えだす。銃口はその振動で悲しそうに揺れていた。

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