第三十話 消・失

 書店を飛び出した僕は手あたり次第、シアを探すことにした。

 周辺の道路、一緒に歩いた道、シアが行きたいといった神社、通っているはずの高校。思いつく限りの場所へと足を向ける。

 御守りを受けた神社では、巫女さんに少し変な顔をされたが、そんな女の子は見かけていないと逆に頭を下げられた。その授与所に売っている御守りがなぜか目に留まった。特別惹かれるものは別に置いていないはずなのに、僕の注意はしばらく置かれてある御守りから離れなかった。

 高校では部活に勤しむ生徒たちに聞いてみたが、要領を得ない顔をされた。卒業した先輩とはいえ、三年以上前ともなればほとんど無関係だ。誰だお前状態では訝しがられるのも無理はなかった。せめてクラスでもわかれば居場所を辿るのも容易かっただろう。高校を出た後でそう思った。彼女がいない今となっては、聞く手段もないのだけど。

 しらみつぶしに探し回り、近くにいた人に聞き込みまでしてみたが、結局有力な情報は得られなかった。がむしゃらに動いて徒労に終わった。

 極めつけに、シアとやり取りしたはずのメッセージすら無かった。まったくどうなってんだよ。シアの記憶だけでなく、記録すら無いっていうのか?

 無駄に走り回ったせいで脳に酸素が足りていない。どうにも考えがまとまらない。気づけば僕はバイト先の方面まで戻って来ていた。ちょうどいい、少し頭を整理するか。そう考えて、近くのバス停前にあるベンチに腰を落ち着けた。


「唯一の手掛かりはこれだけか」


 ふいにポケットからそれを取り出す。今回もあの青色に煌めく御守りが入っていた。見た目もさることながら、やはり握ってみると、どこか温かさというか妙な力を感じる。

 三度目のタイムリープで確認した日付は変わらずシアと出会った日だった。僕の周囲からシアの記憶が失われているのに、僕だけは失っていない。それは僕がシアとまだ出会っていない世界に戻り過ぎたということではないはずだ。

 つまり何かしらの影響で、記憶が消されたってことになる。仮にもしもだ、この世界に初めからシアがいなかったならば、僕に彼女の記憶があることが矛盾する。妄想もいい所だぞ。この世界でシアが死んでしまっていて、それを認めようとしない僕。……とんだ狂信者だ。ピエロも同情するくらいの哀れさじゃないか。


 必ず、いるはずだ。必ずこの世界のどこかにいる。

 考えろ。今はどんな情報でも彼女を助け出す材料になるはずだ。シアと出会った瞬間から僕が死ぬ間際までに感じた違和は、全てが謎を解くカギになる。

 初めて会った時からそうだった。名前を名乗らなかったのは、自分が魔女の子だということを隠すため。シフトに書かれていた表記も塗り潰されたような跡があった。シアという名前は偽名なのか。まあ、そこは彼女の性格からして表情に出やすいからバレたのもあるんだろうけど。

 ぶつかって紋章に触れた後はどうだったか。心配すると同時になんと言っていたか。そうだ、きいているかと問われたのだ。

 では、「きいている」とは、いったい何の確認をしていたのか。

 それから彼女が話した夢の話だ。実際の見た通りとは全て同じじゃなかったが、赤い門のある場所でスーツ姿の魔女狩りに襲われたのは合致している。これは単なる予知夢で片づけていいのか。

 蛇の能力を持った魔女狩りと対面した時はどうだ。なぜあんなに魔女狩りの情報を知りたがったのか。『血壊』を説明してくれた時に、母親と見たと言っていた。紋章のことを聞いた時、母親のことに触れていた。僕の紋章を触ろうとしたあの時だけ、やけにシアの手が冷たかったのを覚えている。

 神社に行ったときのことも考える。僕は前に来た時のことをうまく思い出せなかった。それについて彼女は確か……。そうだ、思い出せない記憶があるかと聞いたんだ。なぜそんなことをわざわざ聞く? 何か意図があるはずだ。

 それから御神籤と御守りだ――。


「待てよ、確かあの時……」


 記憶の中の彼女を呼び戻す。二人で神社に行って魔女狩りに巻き込まれたが、そもそもの問題だ。どうしてあの子は神社に行きたがったんだ。何かをしたくて……いや、何かが欲しくて行ったんじゃないか。その欲しかったものは、そう、あの子は確かに「御守りが欲しい」と答えたはずだ。

 くそ、あの時彼女が買った御守りはなんだったんだ。

 健康安全? 学業成就? 恋愛祈願? それとも厄除け? どれも彼女とうまく結びつかない。あの時、何を欲しがっていたんだ。

 だが、手に入れて嬉しそうだったのは確かだ。


「あーくそ、もうわかんねえ!」


 手に入って嬉しい御守りってなんだよ。本人の願いによるとしか言えないだろ。彼女の最後の願いはなんだったか。魔女狩りと戦って殺してしまいそうになった一歩手前で立ち止まった。僕の声は最後まで届いていたはずだ。

 ふと脳裏に彼女の顔がぼやっと浮き上がる。幾度となく見てきたあの表情。悲しそうな笑っているような表情。あの時、確かに彼女は泣いていた。

 そして、僕に「たすけて」と願ったんだ。

 浮かんだ表情は小さな声とともに、静かに消えて行ってしまう。

 『荒廃の魔女』は自分の願いを叶えるとともに、自分の肉体を消滅させる。これは不変の絶対条件だ。ならば、彼女は死んだのではない。消えたんだ。僕の助けを願って、この世界から自ら消えたんだ。

 自分がいたという証拠を全て消す時に、彼女は何かを依り代にしたはずだ。でなければ、僕が彼女の願いごと忘れてしまうことになる。周囲の記憶を消すと同時に、彼女の存在を仄めかす媒体が必要になるんじゃないか。


「完全に矛盾してるよな……。独善的な考えだ」


 だけど、独りよがりで何が悪い。もうここからは僕個人の問題なんだから、僕のやり方で解決してやる。

 おもむろに手の中に収まっている御守りに視線を落とした。感覚的にさっきより青く光っている気がした。その言語化出来ない色彩をはっきりと認識した瞬間、バッと記憶がリフレインする。今まで考えた全てに足りなかったパーツ――彼女の持つ特徴が浮かび上がる。そうだよ、なんで忘れていたんだ。僕に向けられたあの真っ赤な瞳。思い出せそうで思い出せなかった、今までずっと僕の記憶の底に眠っていた情報。それが欠けていた穴にキッチリ埋まった間隔がした。


「あの赤い眼は」


 魔女の子の眼が赤く光るのは、能力の『血壊』を使った時なんだ。

 つまりあの子はずっと、僕と行動する時に能力を使っていたんだ。『荒廃の魔女』の力を継承して能力が使えるようになった。それが意識的であろうと無意識的であろうと、彼女の意思によって発動していたのは確かだ。

 だからシアを――ん? え、あれ。


「シアって、だれだ……」


 僕はなんでこんなに考え事をしているんだっけ。彼女のために……いや彼女ってあれ。誰のことだ? 僕は誰のためにこんなことをしているんだ。せっかく完成しそうだったパズルが枠ごと壊されていく気分だ。見えそうだった景色が急速に霞んで、真っ白なベールで覆われていく。


「なんだこれ、すごく眠い……」


 視界が酷くかすんでいる。言葉にすると余計に眠気が強まったようで、浮遊感と混ざりあって酷く目がとろんとしている。欠伸も涙も止まらない。さっきまで誰かの事を考えていたはずなのに、もはや名前を思い出せなくなっている。忘れないよう必死に掴んでいたはずの影が薄れている。

 だけど……あの子のために、僕がしなければならないことがある。それだけは覚えている。奥底に閉まった決意だけは、まだ消えていない。

 睡眠の淵から這いずるようにして、僕はベンチから立ち上がった。顔を上げて歩き出す。ゆらゆらと揺れながら歩き出す。目的地はすぐ目の前にあるはずなのに、ひどく遠い感覚だった。呼気が乱れながらもなんとかたどり着く。

 ここは僕が死ぬ直前にいた場所だ。銃の魔女狩りに撃たれて伏せていた。そして彼女の泣き顔を見たんだ。もう絶対に、泣かせるものか。

 一歩ずつ踏みしめた足で僕の亡き跡の上に立つ。片膝をついて目を凝らすと、やはり何か影のような跡が付いていた。

 僕の予感が正しければ、必ずここにいるはず。そんな確信と青色に光る御守りを一緒に握りしめ、その拳を思いっきり地面の歪みへと叩きつけた。遅れてやってくる痛みと同時に、周囲の景色がガラスのように一気に砕け散った。身体は浮遊する感覚を味わいながら、意識はどこかへとぐっと引き寄せられていく。

 その瞬間、僕の意識は俯せになっていた元の身体へと宿った。

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