第二十八話 探・索
アクアリウムの水槽を内側から眺めている気分だ。
薄い透明な壁に一面覆われていて、どこまで見渡しても静かに風景だけが揺れている。その先の景色を見ようとして手足を動かしてみるが、バタ足を繰り返すだけでちっとも前に進まない。もがけばもがくほどに沈んでいく。
ああ、もうこのまま泡と一緒に消えてしまえば――。
流されるままに漂い、ふわふわと生きていこう。このままいれば、今まで抱えていた苦しみから解放されるかもしれない。
倉橋と付き合うことで、人の悪意を見た。
シアと出かけることで、ろ過した先の純粋な悪意を見た。
いや、魔女の子に限った話じゃない。矛先は誰にでも当てはまる。最初からずっとそこにあったんだ。丁寧に、念入りに、隠されてきただけなんだ。
僕らはずっとずっと見ないふりをしてきた。持っていることが誰かにバレたら、自分が悪者になるから。表では心の綺麗な人でいたいから。そんな想いが全身に塗りたくられる。
だから裏では共犯者になって、自分以外の誰かを悪者に仕立て上げた。少しの犠牲者を出すことで、多数の幸福を積み上げてきた。そうやって表面上の「平和」を飾ってきた。
だけど。
そんなものは、いつか崩れてしまう。
誰しもが心の奥に何かしらを抱えていて、それを見えないように必死に隠しているのだから。無意識の領域になんでも抑圧していれば、いつか限界がきて表面化してしまう。
魔女の子たちはたまたまそれが可視化して紋章になっただけだ。僕たちだって境遇や立場が違えば、同じだったはずだ。その違いを差として捉えるから、魔女狩りが横行してしまったんだ。
ふと顔を上げると、ガラス窓には僕の悲しい顔が映っていた。
泣きたいのに泣けない。叫びたいのに叫べない。そんな心の辛さを抱えたまま、無理して笑っている。そんな悲しい顔だった。
その瞬間、似たような表情をしていた女の子を思い出す。いつも何かを抱えていて、作った笑顔を浮かべていたあの子。……ああ、そうだ。シアに会いに行かなくちゃ。彼女の所に行かなくちゃならない。約束したんだ。
いつまでもこんなことしていられない。今すぐにでも、シアに会いに行かなくちゃならない。衝動的に手足を懸命に動かして水面を目指す。息をしたい。僕を水中に押しとどめようとする波をなんとか振り払い、僕は勢いをつけて飛び出した。そのまま空気を思い切り吸い込んだ。
「――ぶはあっ‼」
長く息を止めていたせいで、喉を通る空気の流れにむせ込む。まだぼんやりとする視界のまま体を起こす。それと同時に、近くでガタッと何かが崩れる音が聞こえた。
音の方を確認すると、椅子から転げ落ちたままの姿勢のまま僕を見ている店長がいた。
「び、び、びっくりしたー! 神無月くんってば、いきなり声出すから驚いたよ。ふう……」
相当驚いたようで、心臓の部分を服の上から押さえて深呼吸している。しばらくして動揺が収まったのか、半分笑い半分申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「いやあ、ごめんね。うちはただの書店だから医務室なんて用意してなくてね……。ベッドなんて置いてないからさ、そんな簡易的なものしか用意できなくて。あ、気分は悪くない? 無理しなくていいからね。人手は足りているから、今日は早上がりで全然大丈夫だよ」
「すみません。僕の方こそご迷惑をおかけしたみたいで……」
手をついて体を起こすと、そこはパイプ椅子の金具の部分で、ひんやりとした手触りがした。その感覚が自分がいま現実世界にいるということを理解した。まだ倦怠感のある体を起こして店長に向き直る。
「すいません……」
「ほんとだよ、神無月くんが倒れたって聞いて救急車を呼ぼうかと考えたくらいだもん。あ、流石に冗談だけどね、あはは」
店長と会話をしながらも、頭の中で状況を整理していく。あの時確かに魔女狩りに殺されたはずが、このバイト中の時間に戻っている。またしても僕は、二日前のあの日にタイムリープしたっていうのか……?
この不思議な現象が未だにどういうことなのかわからないが、戻ってきたことに安堵している自分がいた。それと同時に、二度目の経験で既に順応してしまったことに驚く。転生やらタイムリープやら、フィクションの読み過ぎで脳内にインプットでもされてしまったのか。案外こういうのに鈍いのかもしれないな。とまあ、そんな冗談が浮かんだ。ただ気になることが一つ。
前回はシアが隣にいてくれたが、今回は一人で倒れた所を店長が運んでくれたようだ。じゃあ、シアは今どこにいるんだろうか。表でバイトしているなら別に問題はない。あの魔女化してしまった状態からいつもの「シア」に戻っていて、無事を確認できれば今はそれで十分だ。無意識のうちに僕は、店長に向かってシアがどこにいるのか聞いていた。
しかし、返って来た言葉はあまりにも想定外だった。
「ん? シアって誰のことだい?」
「……え?」
「いや、だから神無月くん。シアって誰のことだい? 私はそんな子知らないんだけどなぁ。誰かと勘違いしてるのかい」
店長は寸分違わぬ受け答えをした。
キョトンした顔を浮かべる店長は、およそ冗談で言っているとは思えなかった。元々嘘をつく
「や、やだな店長。ほら、最近入った新人の子で、高校生の子がいたじゃないですか。赤い眼が特徴の……」
んんーという悩ましい顔つきで首を傾げる店長。要領を得られない。どうして。彼女の特徴を一つずつ列挙してみる。だが、それでも。
「だから! 新しく雇った、バイトの――」
「何を言っているんだい? そんな子を雇った記憶はないんだけど」
「な、なんで……」
「いやいや、なんでって。そりゃあ、うちの店は高校生を雇えない規則があるからだよ。というか最近はそもそも募集を出してないし、あとは」
店長が言い切る前に僕の足はその場から動いていた。「あ、ちょっと神無月くん! どこに行くの!」という言葉を背にして、ドアを蹴破って外に出る。認めたくない事実を頭にぶつけられた気がして、反骨精神のようなものが内側からメリメリと立ち昇ってくる。
こんなことがあってたまるかよ。うそだ、嘘に違いないっ。シアがいないなんてあり得ない。存在するって証明してほしい。感情に動かされるまま僕はもう一人の姿を探していた。シアのことを覚えているはずの彼女の姿を。
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