第二十六話 覚・醒
災藤は交戦の言葉を受けて、楽しそうな声で笑った。
「ワシの血壊から逃げられると思いなさんな。そちらの学生さんは対象外じゃが、魔女の子の二人はしっかりと命を頂戴する。まあ、一人は既に虫の息じゃが」
「私は無駄に争うつもりはありません。これ以上犠牲者を出すのは得策じゃないです。それでも手を引いてくれるつもりはないんですねっ」
「口ばかりじゃなぁ。上辺で戦争を好まぬと言っても、本心では好戦的な強い匂いがするぞ? 無駄な抵抗をやめれば、犠牲者はお主一人で済むのじゃよ」
言葉の応戦は終わりだと言わんばかりに、二人はぶつかった。揺らめく炎を纏った拳と鋼の刃が衝突を繰り返し、高音と火花が辺りに散る。シアは迷うことなく能力を使っていた。いつか見たシアの紋章が赤く光っている。伸ばした手の先から断頭刃が複数創り出されていき、敵に向かって伸びていく。だが災藤は余裕をもって、それらを拳ではじき落とした。
「言葉を無くせば皆平等になるか? 否、人の差別は根底にある! 世界の流れに逆らえば、爪弾きにされ、爪弾きにされれば敵と見なされるのじゃ!」
その交戦は傍目からでもわかるほどに一方的なものになっていった。災藤の方から仕掛けると、シアは後手に回るしかなくなる。黒紫炎の拳は幾度となくシアの身体へぶつかり、シアはそれを防ぐのに手いっぱいだった。盾を一枚出す間に、災藤の拳はするりと往復を繰り返す。
なんとか攻撃に回ろうとするけれど、魔女の能力で生み出した刃がうまくコントロール出来ないのか、災藤に当たることなく逸れていってしまう。
「魔女の能力と言えども、所詮はこの程度か。どれだけ切れ味が良くても、当たらなければどうということはない」
「はあ、はあ……」
「過剰に能力を出し過ぎては自死を早めるだけじゃよ、お嬢さん。なぜ歴代の『荒廃の魔女』が例外なく死んでいるか知らんようじゃな」
「そんなことどうだっていいですっ。私には関係ありません!」
激昂する感情が再び刃にこもってぶつかり合った。力と力の押し合いの中で、災藤は言葉を続けた。
「そう言わずに聞けい。魔女が死ぬのは、自分の寿命を代償に能力を行使しているからじゃよ。都市の破壊とともに彼女たちは燃えて灰になる。そして次の魔女の子へ能力を託す」
負のスパイラルは断ち切らなくてはな、と災藤は独白した。
そんな状況が続いたことで少しずつシアは消耗していた。肩を上下させて呼吸が激しくなっている。受けたダメージが蓄積しているのか、魔女の力を酷使したのか、一瞬よろけてしまう。その隙を災藤は狙いすましたかのように、左足で掬うような蹴りを放つ。体勢を崩した所に、下から腹に向かって振り上げる一撃を打ち込んだ。体格差から生まれる強大な衝撃は、シアの身体を軽々しく吹っ飛ばした。
「ぐっ……」
二転三転と転がった先で、追撃から身を守ろうとして立ち上がろうとする。
だが衝撃に堪えきれず、シアはその場に膝をついた。断頭刃を地面に突き立てて寄りかかることで、なんとかもちこたえている状態だった。
「あつっ‼」
彼女の受けた痛みが僕の左手に反映して、火傷とは比にならない熱量に思わず叫んでしまった。全身を暑気と疲労が蝕んでいる。それでも奥歯と唇を食いしばる。切れたのか、血の味が微かにした。
「シア!」
「学生さんは黙って見ておれ。この国で魔女の子が、魔女がどういう運命にあるのかを。自分の目で確かめてみるといい」
災藤はシアにとどめを刺そうと近づいていく。
助けなきゃ。そう思っても、僕の身体は氷のように固まったままだった。ただじっと二人の交戦を見ていて恐怖を感じたのか。自分の生きている世界に隣接する、もう一つの世界の暗さを体験しているせいか。
魔女の子を助けるためにシアは、あんなに傷つきながら戦っているというのに。そんな彼女を僕は、蚊帳の外から眺めることしか出来ずにいた。目の前で苦しんでいる彼女を助けたい。その気持ちを拒否するように体が動かない。神社で体験したあの痛みや熱がトラウマとなって、四肢を縛り付けている。
なんだよ、くそ。クソッ。情けないじゃないか!
「これで仕舞いじゃ」
「……」
無表情で死んだ顔をしたシアが顔を上げた。その瞬間、僕の中で何かが弾ける感覚がした。左手が握りしめていた三センチ大の塊をとっさに投げつけた。牽制でもなんでもいい。一時でも災藤の意識を僕の方に向けられるなら……シアの逃げる隙を作られるなら!
その賭けに勝ったのは僕だった。
「……なんじゃ」
投げた小石は、災藤の硬い身体に当たった。石ではなかったのか、パラパラと砕けてしまい、その残滓がきらめきながら崩れてしまった。
災藤は意外そうな顔をしてくるりと振り返った。
「ふはは! 黙って見ているだけかと思ったが。面白いのー。それでこそ漢よ」
怖いくらい柔和な顔が街頭の光で照らされる。
「ただの搾取された人間かと思ったが、そうでもなさそうじゃな。まあ相手が稀代の魔女じゃからかもしれんなー」
「ごちゃごちゃ言ってないで、かかって来い!」
「ふはは、声が震えておるぞ? ワシは人間に手を出さん決まりじゃが、魔女の子に加担するというのなら容赦はせんわい」
「やれるならやってみろよ」
「いいじゃろう。能力の使えないただの人間が、魔女狩りに勝つのを見せてみんかい!」
気を引けたのは良かったが、好戦的な爺さんを思ったよりその気にさせてしまった。ずかずかと大きな歩幅で闊歩する災藤は、いっそう激しい黒紫炎を拳に纏わせた。豪快な笑いとともに、僕の方へ突っ込んでくる。すべてを吹っ飛ばす勢いの猪突猛進だった。
「ワシの拳は痛いじゃ済まんぞ?」
そんな声に僕は反射的に両手を交差させてガードした。来たる衝撃に目をつぶって耐える。……そのはずだった。空気の圧がぶつかっただけの違和感に目を開ける。
何が起きたのかを僕の脳が理解する前に、先に声を上げたのは災藤だった。
「なっ……」
血しぶきを上げて、大腕が一本宙を舞う。ぼとりと闇に沈んだその刹那、太い声で絶叫が起こった。災藤は左手で喪った欠損部分を押さえながら、痛みに悶え続ける。なんとか止血しようとしているが、ぶちゅぶちゅという粘着質な音が無駄なことを悟らせた。
それでも災藤は、咳き込んでから乾いた笑いをシアに向けた。
「ふはは、参ったの……。自己治癒の能力まで保管しているとは。さすが『荒廃の魔女』の継承者。他の魔女の子たちとは……一味違うわい」
視線の先を追うと、そこにはさっきとは違う様相の姿があった。
ふらふらだったはずのシアは既に二本足で立ちあがっていた。端正な顔には名の付く表情はなく、彼女の持つ断頭刃には赤黒い臭気のような煙が巻き付いている。その切っ先からは赤黒い液体が垂れていた。ボタッと塊が落ちた瞬間、僕の脳は全てを理解した。
シアであってシアじゃない。あれは別のなにか、だ。顔を覆うように黒い靄(もや)がひしめいている。その異様さがひしひしと伝わってくる。シアを視界に認識した次の瞬間には、既にその場から消えていた。それと同時に、災藤の巨躯が上下左右に動く。魔女は能力で断頭刃から棍棒へと切り替えていた。先端部分に突起が付いたそれは、鬼の金棒のそれに近い。鋼の棍棒が災藤の身を削るたびに、周囲に血と肉片がまき散らされていく。
残った方の片腕で攻撃を受け止めようとするが、連続した打撃に押されていく。一撃必殺だった断頭刃に比べて攻撃力は落ちるものの、鈍器の重さを喰らい続ければ外傷も相当なものになる。リーチもあるから、災藤の反撃も受けにくい。
片腕を喪って弱った状態の災藤を崩すには、効果的な武器だ。
バランスが取れないのか、災藤はしばらくふらついていたものの、とうとうその場に膝をついてしまった。
「遅延性の毒まである、のか……。ここまでのレベルは、流石にワシでも無理じゃな。くそ、見誤ったかの」
災藤が大きく息を吐き出すと、手の構えを解いてだらんと腕を下げた。下を向いて、その場から動こうとしない。虚ろな表情のシアはどんどん近づいてくる。
「何やってんだよ爺さんッ。逃げなきゃ死ぬぞ!」
「ははは、優しいな学生さんは。敵のワシを心配するとは。どのみち魔女化した時点で、お嬢さんが適応する前に倒さなければ勝機はなかった」
「冗談言ってる場合かよ! 早く、そこから――!」
「魔女の子を殺した報い……それが魔女から返って来ただけじゃ。無駄に足掻けば苦しみが増える。ワシ自身が口にしたことを覆すのは恥じゃからな。ふはは」
天を仰いだ災藤の顔には後悔の表情はなかった。既に自身への処刑として受け入れてしまっていた。断頭刃は徐々に災藤の首との距離を詰めていく。このままでは、シアが人殺しになってしまう。嫌だ! やめてくれ! もはや魔女化したなんて関係ない。
ずっと記憶の中に残っていた「人殺しをしたくない」というシアの想いを無駄にさせたくなかった。彼女の意思無くして、ここで彼女の肉体が殺人をしまえば、まだあるかもしれないシアの心が完全に壊れてしまう。
魔女は災藤の傍まで来ると、鋭利な断頭刃を振ろうとした。
「やめろっ、シア‼」
全力で叫んだ僕の声が届いたのか、落ちかけていた腕が止まった。無表情だった顔に再び熱が戻る。色づいた頬の上を縁取るようにして、目の端から透明な水がゆっくりと流れていく。悲しそうな顔のシアは、笑っているように見えた。
「シン……せんぱい――」
シアの口が動いたのがわかった。
なにか願いを静かに囁くような声。
手を伸ばそうとしたとした瞬間。銃声が二発続いて鳴った。
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