第二十四話 隔・差
バイトからの帰り道。遅い時間になるほど来店数が減ることもあり、シフトの都合で早上がりになった僕は、倉橋とシアが来るのを待っていた。すっかり日は沈んでしまったが、まだ営業している近隣の店の明かりが夜の闇を照らしていた。
自転車にまたがったまま文庫本を読んでいると、自動ドアの奥から歩いてくる人影が見えた。
「お疲れさまですっ。待っていてくれたんですね」
「その姿勢でよくもまあ集中できるわね。しかもスマホのライトで照らしながらなんて。目が悪くなるわよ」
お辞儀するシアと腕組みしている倉橋に片手で応じて、かごに入れていた鞄に本をしまった。サドルから降りると、固まっていた体がバキバキと音を立ててほぐれていく。軽い立ち眩みを覚えたが、ごまかすように首を振った。
誰から合図するでもなく、自然と並んで帰路につく。道路側に僕と反対側に倉橋、その間にシアをはさむ形になる。自転車は駐輪場に置いておくことにした。一人だけ乗って帰るのも、二人にペースを合わせさせるのも、気分的に悪いから。
自然な流れで、家の近い倉橋から送ることになる。シアに時間が遅くなるのを確認すると、「全然大丈夫です」とむしろ楽しそうな返事をしてくれた。二人の歩くスピードに合わせて歩きながら、仕事の話で盛り上がっていた声に耳を傾ける。どうやら僕がシフトをあがった後に起きたことらしかった。
「本屋のアルバイトって、結構力仕事もあるんですね。意外でした」
「そうね。あたしも入った頃に驚いた記憶があるわ。段ボールの搬入が意外と大変なのよね。さすがに台車も使うけど効率が悪いのは苦労するわ」
「ですよね……私にはさすがに持てない量でしたもん、あれは重すぎます」
「持てないのは気にしなくていいのよ。ああいうのは男に任せておけばどうにかなるから。どうせ神無月くん辺りが勝手に運んでくれるわ」
「シン先輩、意外と力持ちですもんねぇ」
楽しそうにクスクスと笑う。
いつの間にか話題が僕の事へとすり替わっているのは気のせいか?
「僕は、魔女の子の方が力持ちって聞いたことあったけど。君たちはそうでもないのか?」
「全員が全員、決まって同じじゃない、ってだけだと思います」
「その噂には迷惑しているわよ。誇張とでたらめの繰り返し。この紋章に触れただけで空を飛べるようになるだの、人を殺せるだの、自分も魔女になるだの。まったく……本当に馬鹿げているわ」
「タトゥーと変わらないですよね。こんなのはただの飾りと変わりませんよ」
「ただの飾り、か」
二人の口から出た自虐的な言葉が耳に残る。同調して呟いた僕の言葉は、冷たい夜の空気の中へと溶けていった。それから何を言えば正しいのかわからない僕は、ただ黙って聞いていることしか出来なかった。彼女たちの間で共有されている感情は、僕の身体に入ってくることは無い。頭の上で輝く月のように、手を伸ばしても届かない距離にあるくせにちらちらの僕の視界をよぎる。
「私は服で隠せますけど、夜空先輩は首元だから全部隠せないですもんね……」
「別にあたしは気にしていないわ。いちいち隠していたらオシャレなんて出来ないし。夏でもマフラーなんて冗談じゃない。それに
「堂々としているの、かっこいいです」
シアの目がキラキラしている。
「そういえば、聞いてもいいのかしら。シアさんのはどこにあるの」
「あ、えっとその……」
「どうしてそこで、困ったように彼を見つめるのかしら」
「……」
おい、僕に振るなよ。倉橋が怪しそうに見てるじゃないか。やめろやめろ睨むな。
僕は知らないからな。あれは事故でたまたまシアの紋章に触れただけだから。知ろうとして触ったわけじゃないぞ。
顔を真っ赤にしたシアは、あわあわと手を動かしながら早口で言った。
「べ、別のお話をしましょう!」
「怪しいわね……」
流れていった会話を戻そうとして、シアが別の話題を広げた。
「それにしてもあのお客さんです、気になりますよね! やっぱりあの蛇は――」
「ちょっとシアさん、その話はっ――」
慌てて倉橋がシアの口を押さえにかかり、ハッとしたシアが口を閉ざした。
「おいおい、なんだよ。僕がいたらダメな話題か? それとも何か隠し事か?」
「こういう時だけ察しがいいんだから」
倉橋がばつが悪いといった感じで顔を歪めた。隣のシアもどこか気まずそうな雰囲気を出している。おそらく言わないようにしていた話題を思わず口にしてしまった、そんな所だろう。木曜日のあの日、僕らに何があったのか。
二人が遭遇して、その事実を僕に隠そうとすることはなんだ。海馬を流れていく情報の渦に、引っかかったものをうまく釣り上げた。
「もしかして、魔女狩りの人と会ったのか」
「っ!」
「……あ」
唇を噛んで倉橋は耐えていたが、かすかに漏れたシアの声で僕の疑問は確信へと変わった。二日前のあの時、僕はレジで蛇の能力を持った男と出会っている。匂いで魔女の子が近くにいると言われてドキッとしたが、あれは単なる注意喚起だった。
それは僕が人間だったからだ。でも二人はそうはいかなかったはずだ。魔女の子であるなら、あの男と対面してバレずに済んだのだろうか。
「作務衣を着たおじさんくらいの年齢の人だろ。何があったんだ」
「いえ、その、すごくじろじろと見られただけです。帰り際に誰かと電話しながらお店を出て行ったので、それきりなんですけど。背中にずっと蛇を這わせていて……」
「蛇の能力か。やっぱりアイツ来ていたのか」
そんな独り言を口にした途端、倉橋は僕の方に詰め寄った。
「ちょっと待ちなさい。神無月くんはあの人の事を知っているの?」
「知っているとうか、話したと言うか」
「いつ? どこで!」
「ちょ、夜風、落ち着けって――」
ぐいっと僕の胸元をつかんで問い詰めてくる倉橋の勢いに押され、言葉を失ってしまう。しまった、今の僕はあの蛇の男と出会っていないことになっているのか。一度目の世界とズレが生じている。僕が店内に居なかったことで、あの蛇の男と出会うのが二人に変わったんだ。なんとか繕うようにして、昂った倉橋を落ち着かせる。
「いや、ごめん。僕の勘違いかもしれないから」
「勘違いならいいのだけど、本当に面識があるなら困ったことになるわよ」
「困ったことってなんだよ」
「数日のうちに魔女狩りの関連リストに追加されるかもしれないわ。情報源として回収に来るし、捕まれば良くて監禁悪くて拷問ね」
「ちょ、マジかよ⁉」
思いもよらない答えに驚きながらも、なるほどと腑に落ちているもう一人の自分がいた。あの日僕は蛇の男と接触したことで魔女狩りに通報された。そうして土曜日に神社にいる所を襲われた。偶然じゃなく、計画性を持った襲撃だったというわけか。神社に行くことは僕自身が当日にシアから知ったのだから、他の奴は知る方法がないはず。ということは、おそらく後ろをつけられていたんだろう。思い返してみれば、シアは誰かに見られているかもしれないと不安をこぼしていたじゃないか。
考え事をしていた僕を不安で押し黙ってしまったとでも解釈したのか、倉橋はとりあえず力を緩める。掴んでいた手は僕の肩へシフトし、慰めるように優しく置かれた。
「あんまり深く考えない方がいいわ。あくまであたしが聞いた噂だもの。どこから出たのかわからない、根も葉もない噂なんてそこら中にあるから」
「そ、そうか。噂か……」
ほっと息をつく僕を見て、倉橋は笑みを溢した。
「あら、神無月くんは意外とビビりな所もあるのね」
「さすがに今のはしょうがないだろ。魔女狩りは、普通なら怖いって思うさ」
「虚勢はすぐにバレる、とはこのことよ。シアさんもよく見ておくといいわ」
「勝手に変なことわざを作るな」
急に振られたシアは曖昧に笑って見せる。手で口許を押さえようとしているが、既に隠せないくらい笑いの波が大きくなっていた。「笑いすぎだ」と突っ込むと、途切れ途切れな言葉で謝罪が返って来た。案外笑いのツボが浅いらしい。つられて僕と倉橋も苦笑してしまった。
たわいない話を続けていると、すぐに倉橋の家が近づいてくる。「ここまででいいわ」と倉橋が僕らから離れるのがわかった。
「ちゃんと気を付けるのよ」
「わかってるって。心配しなくてもシアのこともちゃんと送っていくから」
「そうじゃなくて、あなた自身もよ」
「え……僕が?」
倉橋は一瞬だけためらった表情を作ったが、すぐに普段の真面目な表情に戻った。
「もしもよ、神無月くんが蛇の男と接点を作ってしまっていたとしたら、いつ魔女狩りに襲われてもおかしくない。そう言ったでしょう。シアさんと別れた後、一人でいる所を襲われる可能性だってあるのよ」
やはり噂だとしても、心配なことではあるらしい。せっかくの忠告だし素直に受け取っておこう。
「わかった。気は張っておく」
「シアさんも一応ね」
「ええ、私も出来る限りでシン先輩を御守りしますよっ」
わざとらしく敬礼するシアに、倉橋は任せたと言わんばかりの笑みを向け、親指を立てるジェスチャーをした。僕を一瞥してそのまま家の中へ入っていった。十秒程眺めていると、部屋の明かりが一つ増えたことに気づく。オレンジ色の光が優しく僕らを照らしていた。横に立つシアに目線を向けると、薄く微笑んだのがわかった。
「静かになりましたね」
「そう、だな」
三人から一人減っただけだと言うのに、やけに静寂が迫ってきていた。
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