第二十三話 転・換

「あ、シン先輩! もう平気なんですか?」


 開口一番にそう言いながら、シアが近づいてきた。


「ごめん。心配かけた。もう大丈夫だから」


 たっぷり二十分くらい休んでいたおかげが気分は回復しつつあった。それでも謎はまだ解けていない。何が起きたのかわからない、ということがわかっただけだった。不安は見せまいと気丈にふるまうと、それで安心したのかシアは屈託のない笑みを浮かべた。


「紋章の事はあまり触れない方がいいかもしれませんね」

「そう、だな……」


 彼女が僕の手を取った時の、あの冷たい感覚を思い出す。ドライアイスに手を突っ込んだ時のようにひんやりとする以上に、ゾクッとする感覚だ。シアには悪いが、長く触れていてはあまり気分のいいものではない。


「出来れば知っておきたいものだけど」

「やっぱり気になりますか……?」


 どこか含みのある言い方が気になったので目で問い返す。逡巡していたが、思い切ったように顔を上げて教えてくれる。


「以前お母さんに聞いたことがあるんですけど……あんまり言いたくないというかなんというか」

「そっか。言いたくないんだったらいいや」

「……知りたくないんですか」

「知りたいのは本心だよ。でも本人が言いたくないことを無理やり聞き出すのは違うと思う。隠し事を暴くのと同じ感覚がする。そういうのは嫌いなんだ」

「そうですか……ふふっ」

「な、なんで笑うんだよ」

「いえ別に。先輩はやっぱり変わっているなって思っただけです」

「そうかな」


 釣られて僕も苦笑する。その笑った瞬間、奇妙な違和感が背筋を流れていった。後ろでもう一人の僕が何かを訴えている気がする。今のこのやり取り、どこかでやらなかっただろうか――。


「デジャブだ」

「ん? 何か言いました?」

「ああいや、なんでも。別にいいやと思って」

「先輩のそういう流しちゃう性格、嫌いじゃないですよ」

「……僕も気に入っているよ」


 言葉を返しながらも、何かがおかしいと警鐘が鳴る音がした。この先も彼女がどう返すか知っている気がする。デジャブというよりもっと具体的なもので、これはなんというかアレだ。


「もしかして僕たちってさ――」


 そう言いかけた所で後頭部をゴツンと叩かれた。倒れそうになった所を前からシアが支えてくれる。脳に響くような痛みに悶絶していると、もはや耳に馴染んだ倉橋の声が聞こえた。


「あら。偶然を装って後輩を襲おうとするなんて、随分と極悪非道な人間なのね。そんな人だとは思っていたけれど。見損なったわ」

「お前っ、だから出会い頭に人を書類で殴るのは……」


 振り返ると、倉橋の手にはしっかりと本が握られていた。しかもハードカバーの四六判。端を掴んで角が立つように持っていた。


「もうそれ鈍器じゃねえか! 紙束で叩くのとはわけが違うからな⁉」

「ちっ」

「本気で悔しそうにするのはやめろ。叩かれた衝撃で死ぬかと思ったぞ。死因が本で撲殺されたなんてニュースで流されるのは笑い者にもならねえから!」

「あら、一躍有名者になれるなら嬉しいんじゃない? 名前が売れるなんて、あなたが望む小説家として冥利に尽きるというものでしょう。それに私は、あわよくば息の根を止めようなんて思ってないわよ」

「じゃあ目をそらさずに僕の目を見て言ってみろ」


 そこまで言うと、なぜか倉橋は勝ち誇ったような表情を見せた。普段僕をからかう時と同じように、口の端を僅かに上げて反撃してくる。


「神無月くんこそ、私にそんなセリフを言えるのかしら」

「な、なんのことだよ」


 見透かしたような言い方だ。心当たりがないはずなのに、思わず動揺してしまう。


「ふーん、とぼけるのね。休憩と称して、裏でシアさんと何をやっていたのかしら。こそこそと隠れていたって、あたしにはお見通しなのよ」

「ち、違うから! 普通に体調が悪くて休んでいただけで、彼女はそれに付き添ってくれただけだし! 何にも怪しまれることなんてしてないからな」

「休憩に付き添いなんてそれこそ怪しさ満載じゃない。金銭が発生する関係は普通に未成年淫行の罪に問われるから今すぐにやめておきなさい。休むのは一人でも出来るでしょう」

「それは臨機応変にさ……」

「それとも介護が必要なほどの状態だったと言うのなら、救急車で運ばれたとしても疑わないわ。今頃神無月くんは、病院のベッドの上で顔に白い布でも被せられているはずよ」


 それはご臨終じゃん。

 痛い所を拾われて言い訳が出来なくなる。僕が黙ってしまったのを図星とみたのか、倉橋は軽く鼻で一笑する。そんな惨めな僕を助ける形で、完全に置いてけぼりにされていたシアが横から「あの!」と手を挙げた。身振り手振りを交えて、一生懸命に説明してくれる。


「先輩はほんとに気分が悪くて休んでいただけです。私が証拠人ですっ」

「そう、じゃあ信じるわ」

「あ、ありがとうございます夜風先輩!」


 あれ。ちょっと待ってくれ。もっと弁明があると思っていたのに、ものの二秒で片が付く。あっさりと倉橋は矛を収めた。


「お礼なんていいわ。シアさんが言うのなら間違いないと思っただけよ」

「なぜそうなる!」


 僕の言うことが信用出来ないというのか。何も悪いことしてないのに。


「前科一犯の神無月くんは信用に値しないもの。噓つきは痴漢とイコールだし」

「勝手に僕を犯罪者に仕立て上げるな」


 さすがに冤罪が酷過ぎる。いろいろと申し立てしたい箇所が積もりまくってて、閉口しそうになる。普段は比較的寡黙なくせに、こういう時だけ倉橋はやけに多弁だ。会話の流れで出てきた気になる所を触れてみることにした。


「それにしても、二人はいつの間に仲良くなったんだ?」

「あら、嫉妬かしら」

「違う違う。下の名前で呼びあっていたから、単に気になっただけで」

「それはですね、えっと……」


 なぜかシアが言いにくそうに口ごもる。代わりに倉橋がしれっとした口調で続けた。


「神無月くんがするはずだったシアさんへの教育を、あたしがすることになった。というか、あなたに押し付けられただけよ。おかげで作業は止まったし、溜め込んでいる本がまだ読み終わってないのだけど」

「痛い痛い! 腹いせで僕の足を踏むなっ」


 痛がる僕の横にいたシアがかばうように、頭を下げた。


「ごめんなさいごめんなさいっ! 私がまだ仕事覚えられないせいで……」

「いいのよ、まだ新人なのだから。あたしも入った頃は全然わからなかったし」


 シアと会話する時は二段階くらい優しさの度合いが上がる。ステータスを自由に弄れるなら、僕にも同じくらいの態度で接してくれてもいいのに。靴の上からつま先を押さえている僕を見て、シアはおかしそうにくすりと笑う。それを見て思い出したことを僕は口にした。


「良かったな、倉橋と仲良くなれて。ほら、前に挨拶したいって言ってたじゃん」

「私が、ですか?」


 驚きと戸惑いを混ぜ合わせた表情をする。


「え、前に言ってなかったっけ」

「んー……シン先輩と夜風先輩のお話をした記憶があんまりないんですけど。あ、でもでも、お話しできて良かったですよっ。夜風先輩とは話が合いそうですから」


 そうだ、僕がシアと話したのは二日前のことで……やはりこれはどう考えてもおかしい。文脈が読めなかったのか、不機嫌そうに眉根を寄せる倉橋が

「何かしら。二人で私の悪口大会でも開催していたとでも?」と茶々を入れてくる。

「ち、違いますよっ」

「被害妄想が過ぎるっての」


 僕とシアが同時に訂正する。思わずといった感じで互いに顔を見合わせて数秒、そして堪えていた感情が弾けた。うふふと楽し気な声とくくっと抑えた声。店内に軽く響いて耳に返ってきたせいで、自分が笑っているということに気が付いた。

 脳内に冷静な自分がいて、この現状を正確に認識しようとしている。日付は二日前と表記され、僕の覚えている限りで接触のなかったはずのシアと倉橋が仲良くなっている。前者はスマホが狂っている可能性もあるかもしれないが、後者はそうじゃないはずだ。

 あの時確かに僕とシアは神社にいて、魔女狩りたちに殺された。それは間違いのない真実で、そしてもう一度ここに生きているとすれば。それはどういうことか。

 つまり、僕はタイムリープした。何がどうしてそうなったのかは一切わからないが、二日前の世界に戻ったと、結論を出せる。

 仮にタイムリープじゃなかったとして、あれが予知夢のようなものならば、この先の二日後に僕とシアは殺される気がする。それは絶対に避けなければならない。シアの用事で神社に行き、魔女狩りたちが待ち伏せていたというのならば、それを塗り替えてしまえばいい。土曜日に別の用事を持ち掛ければ、神社に行くことは無くなるはずだ。

 大丈夫だ、きっとうまくいく。あとはシアを誘うだけでいい。

 たったそれだけのはずなのに、僕の心臓は知らないうちに脈拍が早くなっていた。それを落ち着けるために、大きく深呼吸をする。


「どうしたんですか、シン先輩」

「何をしているの」


 息を吸って吐いてを繰り返す僕を不思議そうな目と不審な目で見ている二人。乾いた喉を潤すように唾を飲み込んだ。震える声を精一杯押し込んで、僕は声を出した。


「今週の土曜日、予定空いているかな」

「土曜日ですか。まあ予定がありますが……ずらせるので大丈夫です」

「あたしも暇だけど」

「じゃあ、どこか行かないか。三人で親睦会みたいな感じでさ」


 言い終わったあとで気づいたが、倉橋も一緒に行く必要性はなかった。だがシアと二人きりよりも、魔女の子同士として倉橋もいれば都合が良いと思った。二人の表情をうかがうように目線を上げると、意外にも二人とも驚いた顔をしていた。目をぱちくりとさせて、口は半開きの状態のままだ。なんだよ、何か言ってくれよ。賛成でも否定でもリアクションしてくれないと、僕の心臓が持たないぞ。


「驚いたわ……」沈黙を破ったのは倉橋だった。

「神無月くんが休んでいた時にシアさんと話していたのよ、親睦会を開かないかって。それをまさか神無月くんから提案してくるとは思わなかったから」

「私も驚きました……。先輩から何かを誘ってくるなんて」


 ゆっくりと呟くような倉橋に続き、シアも驚きを隠せないといった感じで僕を評する。


「僕ってそんな印象あるのか? ちょっと心外なんだけど」

「特定の人以外には話さないし、自分から何かをしようとすることはないと思っていたけど。随分とシアさんに肩入れでもしているのね」

「まあ、そうかもな……」


 これは肩入れしているのだろうか。シアが魔女の子だから、魔女狩りに殺されるかもしれないから、助けようとしているだけなのか。歯切れの悪い僕の返しに、倉橋は首をかしげて見せた。


「あ、そうでした!」


 突然シアが思い出したように叫んだ。


「シン先輩に聞こうと思っていた仕事があったんでした。戻ってきて、そのままにしていて……ポップ作成の件なんですけど」

「あれ、教えてなかったっけ。ごめん」


 記憶がこんがらがっているせいか、うまく思い出せない。思い出そうとすると、なぜか頭の中が真っ白になって、自分が何をしていたのかすら曖昧になっていく。そんな僕を見越してか、倉橋がシアの肩に手を置いて補助してくれた。


「あたしが代わりに教えておくから、神無月くんはレジを担当して頂戴。今日はもう教育係は交代ね。無理せず椅子にでも座っているといいわ」

「悪い。じゃあ夜風に任せるよ」

「先輩は休んでいてもいいですからねっ」


 心配するシアに手を振り、二人が作業場へと離れていく様子を見守る。レジ内に身を落ち着かせた。無意識の内に疲れを溜めていたようで、かなり長いため息が漏れた。


「さてどうするか……」


 僕がタイムリープしたとして、元の世界から既に変化が起きているのはひしひしと感じていた。交わることのなかった二人が、僕の体調不良によって関係を持つことになった。同じ魔女の子同士だし、気が合えば仲良くなれたらいいと思っていた。願いは叶ったはずなのに、変に胸騒ぎがする。


「とりあえずでっち上げた予定を考えないとな。まだ時間には余裕があるし、じっくり詰めるか」


 たぶん声に出すことで、処理しきれない情報を整理しようとしているんだ。冷静にもう一人の自分がそんなことを教えてくれる。

 ポケットからスマホを取り出して、僕はメモ帳を開いた。差し当たっては、今の状況から整理しておこうと思った。

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