第二十話 討・伐
声のした正面を向くと、二メートル先に真っ黒なスーツに身を包み、似合わない大きなサングラスをかけた男が仁王立ちしていた。ブロンドヘアで顎鬚をしっかりと蓄えた西洋人に見えたが、聞こえたのは随分と流暢な日本語だった。
そして極め付きに、手には彼の身長ほどある黄土色の杖が握られていた。先端部分には、青い水晶のようなものが穴にはめ込まれている。彼が醸し出す全ての雰囲気がこの空間とかけ離れていて、逆に奇妙なコントラストを生んでいた。
なんだ、この人は……。人違いかと考えたが、この場には僕らの他に観光客はいないし、間違いなく話しかけていると言える。
しかし、僕の知り合いにこんな風変わりな奴はいない。不信感満載の男に対して、シアも警戒を顕わにしていて、僕の左腕に隠れるように立っている。敵意を隠そうとしない僕たちに、黒スーツの男はくっくっくと笑い声をあげてから、一際低い声で告げた。
「本来ならば、恋仲と見受けする男女の会話に割り入る趣味は微塵もないのだがね。これも仕事だ。勘弁して頂きたい。しかしなかなかに面白い話題ではあった」
「何言ってるんですか……というか誰ですかあなた」
「ふはは、どう思う。大切な人だから傍にいるべきなのか、大切に思うからこそ自分から切り離して安全にいてほしいと願うのか。君たちはどう思う。どちらが果たして正しいのか。そこに正義があるか?」
だめだ、会話になっていない……。いきなりやってきて盗み聞きかよ。
「盗み聞きとは失礼な。私はいきなりやってきたわけではない。この場所でずっと君たちが来るのを待っていたのだよ。君たちの方が私の方に近づいて来た。ただ見えていなかっただけのことさ」
とくん、と激しく心臓が跳ねた。
僕の考えが読まれている……? いやまさか。声に出してしまっていたか――。
「いや声ではないよ青年くん。実のその通り、考えを聞いただけのことだ」
「あんた、いったい何者なんだよ……」
「人間様だよ。正当な方のね」
何を言っているんだ。僕の心を読んでいるというのが冗談でもなく、本当だとしたら――コイツはいったい……。黒スーツは杖の先を僕に向ける。眉根が寄せられる。
「ふむ、女の方だけと聞いていたのが。男の方も怪しいな。やけに匂いが濃く見えるのは何故だ。……問おう青年よ。貴様は本当に人間か?」
「はあ? 人間、ですけど。あんたこそ誰なんですか」
「無自覚の症状ありか。まあいい」
「さっきから何の話をして……」
「あまり無駄話をしてはなんだ。その問いには早急に答えるとしよう」
たっぷりと五秒くらいは溜めを作ってから、杖を半時計周りにぐるりと動かしながら盛大に名乗りを上げた。
「我々こそが魔女狩りだ。この国を正統な未来に導き、旧態依然の社会を改革するために、魔女の子の討伐を執行しにきた」
淡々とした物言いがやけに恐ろしく感じた。「魔女狩り」という言葉が僕の体に浸透していく。なぜ、いま、ここに。魔女狩りがいるっていうんだ!
いつか受けた忠告が脳裏をよぎる。心の隅で感じていた嫌な予感が形になっていく。トンと大きく地面に杖が突かれる。その瞬間、この場の空気が変わった気がした。
「人払いの結界はうまく機能しているな」という言葉に続けて、
「笹木のじいさんから聞いていたが、存在を希薄化する能力とは恐れ入った。認識阻害ともなれば、我々の手では直接探せなくなるからな」
「何を言って――」
「私の心を読む能力は直接相手を見ないと発動しないのでな。どうしても索敵の能力に頼るしかない。つまりは魔女の子の能力には、魔女から与えられた能力でしか対応出来ないということだ」
魔女狩りはそこで言葉を切ったかと思うと、今度は優しく問いかけるような口調で続けた。
「なあ魔女の子よ。隣の男は契約済みか? 既に男の肉体を巣喰っているのかね?」
「ひっ……」
男の視線の先は、既に僕ではない方向に向いていた。僕の横を、つまりシアを捉えている。さっきから話しかけていたのは彼女に対してだった。シアの方はスーツの男の問いに答えないままで、僕の腕をつかむ力が段々と強くなっている。その手は震えていて、明らかに怯えているのがわかった。
ああ、なんで忘れていたんだろう。シアは、魔女の子だということを。
『魔女の子』。それは社会に忌み嫌われる存在で、常に殺されるかもしれない恐怖を抱えている。それを考えた途端、急に左手がズキズキと痛みだした。今まで水面下に隠れていたあの紋章が、僕の左手の上で青く滲んでいる。その手に繋がるシアの表情に目を向けた。
いつもの可愛らしい顔が恐怖で歪んでいる。微かに唇が震えている。
「せ、せんぱい……」
絞り出すような声。こんな表情を、こんな声をさせたくない。
じゃあどうすればいい。彼女のために、僕に何ができる。
「青年よ。自らが人間というのなら、正しき社会のためにその魔女の子を渡せ。早く殺さなくてはいつ魔女に変貌するかわかったものじゃない。」
「魔女ってそんなことがあるかよ。魔女なんてただの幻想だろ」
「幻想ではない。大衆が知らぬ所で、確かに化け物は存在する。隠蔽されているだけの事。あの惨劇を繰り返す前に、さあ早く!」
魔女狩りは僕らの方へ再び杖を伸ばす。
「い、いやだ」
とっさに出たのは否定の言葉だった。シアをかばうようにして前に立つ。腕を広げて彼女を隠す。出かかった言葉を、僕が選び取った意思を途切れさせないためにも、顔を上げて息を吸い込んだ。
喉を開いて声を出せ。社会にとって間違っていようとも、僕が今感じている気持ちは何一つ間違っちゃいないはずだ。
「……なに?」
眉根を寄せる男の声は明らかに苛立ちが乗っていた。
「あんたなんかに、シアは渡さない。彼女が何をしたっていうんだ。普通に生きているだけで、どうして魔女狩りなんかに殺されなくちゃいけないんだよ!」
「わからんな」
はあ、と男が重いため息を吐く。右手で青色のネクタイを緩めた。
「そうやって野放しにした魔女の子が多くの犠牲者を出してきた。わからないのかね、この国にある脅威は未然に排除するべきだと。危険因子を理解したうえで問題へ対策を打たず、指をくわえて見ているのは愚の骨頂だぞ。歴史を学んでいないのか? あの『荒廃の魔女』の話を忘れたか?」
「そんな暴論で関係ない人まで殺してきて、何が犠牲者だ。笑わせんな!」
「怪しき者は断罪されるべきだ。それが私の信条だ。疑いのない身なら、自身の潔白を証明できるはずなのだから」
「そんな魔女裁判があってたまるかっ!」
誰しもが自分に正直に生きているわけじゃない。いつだって潔白で、自分の心に嘘をつかずに生きられるわけじゃないんだ。
生まれ持った血縁のように、変えられないものだってある。それでも必死に生きている人間を、どうして簡単に切り捨ててしまえる。そんなのは間違っているだろ。
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