第十九話 運・勢

 参拝経路の右側には御神籤用の木製テーブルの上にそれぞれ木箱が並べられていた。どうやら木箱を振って番号の書かれた棒を出し、引いた番号を神職さんに伝えるシステムらしい。先に二十代後半くらいのお姉さん二人組がやっているのを眺める。引いた番号を伝えて、それに相当した御御籤を貰える仕組みのようだ。

 僕とシアは二人並んで木箱を揺すった。カラカラという小気味いい音と同時に、小さい穴から一本飛び出て来た。ふむ、十一番か。これだけでは運勢が読めないのが面白い。


「何番でしたか? 私は十六番でした」


 互いに百円を握りしめて神職さんに番号を伝える。すると受け口から何も言わずに、すっと藁半紙のような紙を半分に柔らかく折られた状態で手渡された。そっと開いて確認する。


「おっ」


 末大吉という文字が最初に目に入り、思わず声をあげてしまう。そのまま見ていくと、右に教訓や啓示を兼ねた短歌が、左に方角やうせもの、商い、縁談、まち人などと詳細が載っていた。ふむ、わりと良い事ばかりだな。にしても末大吉ってなんなんだろう。初めて聞く単語なんだけど。大吉だから悪くはないと思うが、末って付くとどうにも素直に喜べない。


「どうだった?」

「うーん」


 僕の結果はさておき。シアは紙とにらめっこをしていた。じっと見たままの姿勢で埋まり声を上げる。もしかして運勢があんまりよくなかったのか? あれ、良くない時ってどうすればいいんだっけ。高く結べば神様に願いが届きやすいみたいなことを聞いた覚えがあるけど、情報が正しいのかわからない。

 思い出そうとしていると、シアはぱぱっと御神籤を畳んでしまっていた。その代わりに、僕の方を覗き込んでくる。


「わあー! すごいですね、大吉じゃないですか」

「ありがとう。でも末だからなぁ」

「何が違うんです?」

「いや、わからないけど。というか、僕としてはこっちに書かれている短歌の方がちょっと気になっててさ」


 眉根を寄せる僕の方へシアが一歩詰め寄ってくる。僕の腕に掴まるように手を乗せてくるので、そのまま僕は御神籤の中身を見せた。


「『たのしさもなほ日にそへてますかがみ さかゆく末の光をやみん』ですか……。あ、一応横に説明も書いてありますね。えっと」

「「このみさとしは、これ迄の苦労の日々は成功され行く兆がある。油断なく日々精進努力をおこたらぬが良い、但し所願成就は先と知るがよい」」


 僕もつられて読み上げたせいで声が重なった。そして同時に顔を見せ合う。


「よくわかりませんね……えへへ」

「同感だ」


 あいにく高校の頃から古文の成績は芳しくない。むしろ現役の受験生である彼女の方が読めるのではと期待したが、どうやら難しかったようだ。意味深な表現ではあるが、それでも末大吉という結果が気に入ったので持ち帰ることにした。財布の隅の方に押し込んで鞄に突っ込んだ。一方でシアの御御籤は僕が代わりに結んでおくことにした。一番高い位置へ、天から見えるように。

 一通り盛り上がったあとで落ち着いた僕らは、また静かに歩き出した。なんとはなしに視線をさ迷わせる。シーズンではないのか、出店はほとんどない。ただ普段目を向けない自然に、こんなにも囲まれていることに気づかされる。

 次はどこに行きたいか尋ねると、シアははっきり「御守りが欲しい」と答えた。


「御守りはさっきあっちの方で見かけたな。少しだけ戻ることになるけど」

「全然私は構いませんよ。それにしてもさすが先輩。慧眼ですね」

「そりゃどうも。ちなみに御守りは何のご利益があるのを買うつもりなんだ? ほらいろいろあるじゃん、学業とか交通とか健康とか」

「んー」

「もしかして決めてないのか?」

「いえ内緒です、えへへ」


 一般に開かれている授与所は社務所と兼ねているらしく、奥で人が出入りしているのが見える。僕たちが来たのに気付いたのか、巫女さんが一人静かに出てくれた。

 天板には御守りの種類が色々と書かれてある。健康・長寿、家内安全・交通安全、学業成就や恋愛成就、安産祈願や縁結びなどなど。ここの神社はおよそ全ての範囲を網羅しているらしい。シアが買うなら、学業成就か交通安全ってところか……意外と恋愛系だったりして。

 それぞれの願掛けの印象に沿ってイメージカラーが施されているらしく、恋愛系は薄いピンク色の布の御守りだった。健康は緑、長寿は紫、学業関連は白、縁結びは赤というふうに、どれも多彩な装飾が施されている。そんな豊富な縁起グッズ前で悩んでいる姿に苦笑しながら、僕も自分に合う御守りを見繕うことにした。

 学業も交通もさほど必要性を感じない。というと神様に失礼か。去年の初詣の時は何を買ったっけ。うまく思い出せずにいると、「どうぞお納めください」という女性の声が聞こえた。シアは既にお目当てのものを手に入れてしまったらしかった。

 しまった、参考までに見ておけばよかった。

 戻ってきた彼女は御守りの入った袋を手に抱えてニコニコと笑っている。


「随分と嬉しそうだな」

「欲しかったものですからねー。先輩もお一つ選んではどうです?」

「じゃあせっかくだしな。僕は何にしようかな……」


 木箱で仕切られた御守りを見入る。どれも煌びやかな刺繍が施されていて目移りしてしまう中、人気順位の書かれた手書きのポップに目が留まる。ずいぶんと観光的だが、昨今の神社はそういうものなのか。一位から縁結び、学業成就、厄除けと並んでいた。そのうちの一体を手に取る。


「見せてください!」

「ん」


 手渡すと、シアはその御守りをぎゅっと握るようにして両手で包んだ。手の中のそれを確認して腑に落ちなかったのか、赤みがかった瞳を僕に向けた。


「厄除け、ですか……」

「うん」

「何か不運なことでもあったんですか」

「そうじゃないんだけどさ。ただ、なんとなく」


 なんとなく惹かれた青の刺繍が手の中で光って見える。とても綺麗だ。細かい所まで丁寧に縫われている。これが職人技ってやつなんだろうか。単純な理由だが、僕が選ぶ理由としては十分だった。巫女さんに一つ手渡して会計を済ませる。袋に入れるかと言われたが、面倒だったのでそのまま受け取り、ズボンに突っ込んだ。

 その場を離れて林道の散策コースに戻る。少し経ってから、シアがさっきのことを聞いてもいいかと尋ねてきた。


「ほんとどこまでも似ているんですよねぇ」

「……似てる? なにが?」

「いえいえ、なんでないです。こっちの話なので。それよりも先輩のことです、てっきり縁結びを買うのかなって思っていましたから」

「人気一位だったからか」

「それもありますけど」

「ほかにも何か?」

「私は、先輩がバイト先のあの女性の方とお付き合いしたいのかなって。仲良さそうに話していたので……」


 躊躇いがちな返答に苦笑する。バイト先の女性で僕が話している相手というと、十中八九倉橋のことだ。アイツとは別にそういう関係ではない……とは断言できなかった。さて、どう説明したものか。

 一から丁寧に説明する必要もごまかす必要もない。ただ自分の過去をひけらかすのはどうにも恥ずかしい気分がする。考えながら僕はゆっくりと言葉にした。


「あいつとはちょっと縁があるというかなんというか。あれだ、その、いわゆる元カノってやつだ」

「ええ! お二人って付き合っていたんですか⁉」

「まあね」


 やはり高校生は恋バナの類が好きなんだろうか。食いつきが半端ないというか、シアの目が心なしか輝いている。誰が好きで、誰と付き合っているなんて気にしても仕方ないはずなのに、当の本人以外はやけに知りたがる。だがどこまでいってもそれは、ただの他人の恋愛に過ぎない。一過性の話題は次第に興味を薄れていく。喉元過ぎれば、熱さを忘れてしまうように。


「ではよりを戻したくて、一緒に働いているとかですか」

「いや。それに関してはまったくの偶然。倉橋の方から声をかけてくれるまで、僕は全然気づかなかったし。そこからなんとなくシフト被るようになってた」


 おそらく僕のシフトに倉橋が合わせている節がある。だが、さすがにそれを言う必要はなかったので黙っておいた。勘違いという可能性も無きにしも非ず。僕の説明で、何やら思い出して納得した風にシアは頷いている。


「ああ、こないだ一緒に働いていましたよね」

「あれ、君は倉橋と面識あるっけ」

「んー……ないかもですね。まだ挨拶してないです。でもでも! 一度はお話してみたいです。前にちらっと見た時、本を読んでる姿がすごくカッコよくて」


 バイト中に本を読んでいるってどういうことですか、倉橋先輩。後輩から告げ口されてますけど。


「じゃあ今度、改めて一緒に顔出しに行くか」


 シアは嬉しそうに笑った。倉橋なら後輩を無気にはしないはずだ。仲良い友達が増えるのはお互いにいいことのはずだから。


「それにしても……倉橋先輩もシン先輩も仲良さそうですよね。別れたとは思えないくらいに。何か理由がありそうですけど」


 聞いていいですか、とは彼女は言わなかった。前に僕がシアの過去を聞いた時に無理やり聞き出そうとしなかったように。母親や魔女狩りと何があったのか、それを知っているのは本人だけ。その外枠を語ることはあっても、内を埋めることはない。だから僕も同じように、「互いに好きなまま別れたから」とだけ発した。

 自分で言っておいて、その臭さに笑ってしまう。

 僕が好きなのは本心だとしても、倉橋がまだ好きかどうかなんて保証はないのに。単にからかっているだけかもしれないのに。


「だったら!」シアの語気が強くなる。

「好きな人とつながっていたいとは思わないんですか?」


 直球の言葉が胸の内に響く。喉が鳴って、目と鼻の間にツーンと熱いものが集まってくる感覚がして、言葉を返そうとした僕の口が閉じていく。彼女の意思が確かに問いかけに乗っていたから。軽口で返すなんて、到底出来そうになかった。

 並んでいたはずの僕たちはいつの間にか正面の向かい合わせになっている。逆光でうまく彼女を見ることが出来ない。だが、シアはまっすぐに僕を見つめていて、その視線から逃げることも許されない。

 わかっている。そう言おうとしたが、やはり言葉には出来なかった。何かが喉から出る言葉を押し戻そうとする。倉橋とよりを戻したいのは確かに本心だ。

 けれど、破局した僕と彼女は先に進めない。

 進んではいけないというのが僕のエゴだとしても。本当はとっくに彼女のアピールに気づいていて、わざと気持ちをスルーしているとしても――。


「シン先輩。私だったら」

「痴話喧嘩の最中に失礼するよ」


 シアの言葉を遮るように、どこからともなくそんな声が聞こえた。

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