第十八話 神・社
二十分ほど電車に揺られて目的地へ向かう。
道中は意外と話が尽きなかった。バイトの話や大学で勉強している話、一人暮らしの話、黒川とカラオケに行った話。シアも今度行きたいと言うので約束をした。好きな歌手やよく聞いている歌で盛り上がる。思わず乗り過ごしてしまいそうになり、僕らは慌てて飛び降りた。
地上に出れば、そこは街並みに隣接するように雑木林が広がっている。休日の割にはまばらに人がいるだけで、混み合っているというほどでもなかった。
正面奥に明るいメープル色のベンチが整備されており、そこで高齢者のツアー団体が休憩しているのが見えた。広い一本道が右に大きく曲がっているせいで先は見えないが、その奥が本殿へと繋がっているらしかった。
僕の予想通り、シアは神社へ行きたかったのだ。ずっと同じ姿勢で座っていて疲れたのか、シアがグッと背筋を反らしながらくぐもった声を出す。
「いやあ、晴れてよかったですねー先輩」
「ほんとにな。最悪降るかもしれないと思って、折り畳み傘は鞄に入れたんだけど。必要なかったみたいだ」
「あるあるですねー」
「普段持ち歩いているのに、忘れた時に限って必要になったり」
「昨日の私がそれでした……」
正午に近づくにつれて、段々と日差しも強まってきている。手で覆わなければ、上を向けないくらいだ。ちょうど傘の事で昨日を思い出す。自分も同じ経験をしたと言おうとしたが、倉橋の顔が浮かんできて口をつぐんだ。休日にシアと出かけているこの状況を、倉橋に見られたらどうなるか。もう考えるだけで恐ろしい。
しばらく道なりに沿って歩いていると、神社への方向が示された看板が見えた。数メートル先で、コンクリートから石の道へと切り替わっていた。
「思ったより閑静だな。前に来たときはもっと人で賑わっていたのに。それとも時期によって変わったりするのか?」
「シン先輩は来たことあったんですか、ここの神社に」
「いやぁ。確かにあるはずなんだけど、その時の記憶が思い出せないんだよな……」
「そうなんですか?」
幼い時に来たのかそれとも高校生の時に来たのか、どうも記憶が曖昧だ。誰かと一緒に居たはずなんだが、その部分を思い出そうとすると、その顔の部分だけもやがかかったように見えなくなる。煮詰まって、うなり声をあげているとシアが僕の顔を覗き込んでくる。
「シン先輩は、思い出せない記憶があるんですか?」
「え?」
「あ、いえ。何でもないです。忘れてください」
単純に聞こえなかったから聞き返したのだが、流されてしまった。シアはたったったっと、軽い足取りで三歩ほど前に出た。くるりと僕の方を振り返る。まるで何かを払拭するように、努めて明るい声で宣言した。
「じゃあ今日、新しく思い出を作りましょう。私が忘れられない日にしてあげます!」
年相応の女の子らしい、飾らない笑顔だった。
置いて行かれないように、小走りで寄っていく。追いついてから僕は呟いた。
「不思議だよな、やっぱり」
「何がですか?」
「いや、こうやって右と左で通行人が別れているの。誰も何も言っていないし、線が引かれているわけでもない。看板があるわけでもないのに。どうしてだと思う?」
「えっと、なんででしょう……」
軽いトークのつもりで始めたが、思ったより真剣に考え込んでしまった。頭をひねっても思いつかなかったのか、「降参です」と手を上げた。僕は苦笑を抑えきれずに答えた。
「さあね」
「知らないのに聞いたんですか!」
シアは口だけで怒りながらもツッコんでくれた。しばらく歩いた後で、彼女の方からさっきの話題を広げて来た。
「左右は通行人がいるのに、真ん中だけ誰も歩いていませんよね」
「どうしてだと思う?」
「あ、二度目は引っかかりませんよ?」
僕の質問に、シアはふふんと笑みを浮かべる。残念だが、僕は返しの言葉を用意してあった。
「真ん中は神様の通り道だから、歩いちゃいけないんだ」
「今度は知っているんですか、もう! 先輩は意地悪です!」
境内は巨大な神木が傍にあるおかげで空気が澄んでいた。二人して立ち止まり、一礼する。大きな木製の鳥居をくぐると、長い石畳が僕らを本殿へと案内するように続いていた。どちらから合図するでもなく、二人同時に進む。踏み出すたびに石の音が鳴り、僕の記憶にあった懐かしさと愉快さを想起させた。途中で手水舎があったので、柄杓で水をすくって清める。
「つめたっ! 冷たいですよ、先輩!」
「公園の遊び場じゃあるまいし、騒ぐほどのことでもないでしょ」
「えへへ。ちょっとくらいはいいじゃないですか」
春の気温にしては意外と冷たく感じた。
開けた場所に出ると、僕らの他にも参拝客がちらほらと数えるほど見かけた。中には外国人の観光客もいるようで、いかにも高そうなカメラを構えて風景の写真を撮っていた。日本の宗教が色濃く出ている場所だから、余計に物珍しいのかもしれない。
境内の奥へと進むにつれて人の数も減っていく。僕たちの他には、お洒落に着飾ったカップルが二組とスーツ姿で高身長が一人。杖を持った老夫婦が一組いるだけだった。楽しそうに会話したり、どこかを指さしたりしている。
僕たちの方を見ているのかと思ったが、背後を振り返ると授与所の窓口が見えた。御札、御守り、破魔矢といったものだけでなく、御神籤もまとめて並んでいた。後で是非とも寄っておきたい。
「先輩。先にお参りだけ済ませておきませんか」
指差した方を見ると、賽銭箱を挟んで神殿に拝んでいる人影が見えた。
「そうだな。神様への礼儀的なもんだから、やるなら一番最初が良い」
「神様への礼儀、ですか?」
「神社は神様のテリトリーみたいなもんだからな。そこに土足で入る以上、何かしらの
「それって新年の時だけじゃないんですか?」
「え、わかんない」
「テキトーすぎますって」
あははと声に出してシアは笑った。見知っただけの知識で話すもんじゃないな。そう思っていると、ひとしお笑いきって落ち着いたのか、静かな調子の声が飛んでくる。
「シン先輩は、神様はいると思いますか」
「……どうだろうな。いてもいなくても、僕に実害があるわけじゃないし。それでも、いてくれたらいいなとは思う」
「どうしてですか」
「本当に辛くて困ってるときにさ。誰も自分を助けてくれなくても、心の中で神様なら助けてくれるかもって願えるから、かな。拠り所があるだけで、わりと心の負担って軽くなるもんだよ」
先ほどからの流れで適当に答えそうになってしまい、僕は間を置いてから慎重に言葉を返していた。そんな僕の言葉をどう受け止めたのだろう。彼女はしばらく黙ったままだった。
拝殿に続く、わずか四段ほどの短い石階段を登る。参拝者は僕らだけだった。
財布から五円玉……がない。ので、十円玉を取り出して、賽銭箱に投げ入れた。軽い音を立てて中に落ちる。手を合わせ、目を閉じる。
何を祈ればいいのか、考えていなかったな。
色々欲張っても仕方ない。当たり障りのないことを願っておいた。
たぶん、横で彼女も同じ仕草をしているだろう。何を祈っているのか。その心の中までは想像できなかった。
たぶんそうしていたのは数十秒くらいだったろう。後ろで順番を待つ人がいないことをいいことに、僕らは長めに祈っていた。時間によって効果があがるわけではないけど、それが良い気がした。
「行きましょうか、先輩」
返事代わりにその場を離れる。これで一つやることを終えた。神様の挨拶も済んだのだから、あとは自由に散策したい所だ。道に習って進むと、左側に御神籤が大量に結ばれた木の柱が見えてきた。白紙がこうも束ねられると圧巻だ。
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