第十三話 事・件
遥の姿が見えなくなってから、二人きりになったことに気づく。ちらっと目線を送ると、倉橋は静かに俯いていた。何をしているかと思えば、膝の上で隠していた本を読んでいる。無言のままページをめくる音だけがかさりと聞こえてくる。
集中しているこの状態で話しかけると、怒るんだよなぁ。そんな所も僕と似ているというか……。それでも残された沈黙に耐え切れず、会話を始めてみる。すると意外にも倉橋は話に乗って来てくれた。
「恋人がいるとあんな直球になれるんだな」
「それはあたしに対する不満かしら」
「違う。別に誰の話とも言ってないだろ」
「逆説的に恋人がいないあたしと神無月くんは、互いにひねくれた考えでしか行動出来ないということになるわね。お似合いなんじゃないかしら」
「その結論は無理がある」
強引すぎる着地に思わず苦笑してしまった。
「というかそんな話をしたかったんじゃなくってだな。僕が気になっているのは、遥と夜風が一緒に居たということだよ。あんな感じで恋愛相談をする仲だったっけ、二人とも」
「あたしの方こそ驚いたわ。客かと思えば、普通に友達みたいに話しかけてくるんだもの」
「あ、友達とすら思ってなかったんだ……」
砕けた雰囲気で喋っていたように見えたのは気のせいだったらしい。僕が店に来る前はどうだったのか知る術はないけれど、見かけた瞬間は倉橋も作業を止めて話を聞いていた感じだった。と思いたい。
「じゃあ知り合ったの自体はいつだったんだ」
「神無月くんと付き合っていた頃に見知ったけれど、さほど連絡とかのやり取りは一切していなかったわね。彼女から話しかけてくることはあっても、あたしからはあり得ないわ」
「あの時か。まあ紹介というか、勝手に遥が割り込んできたというか」
なんとなく高校三年の頃を思い出す。同じクラスだった三人。僕と遥、僕と倉橋で話す機会はいくつもあったが、彼女たち二人だけで話している所は見たことがない気がした。
「最初は神無月くんが二股でもしているのかと思って、もれなく関係者全員殺してやろうと思ったけれど。今は改めて神無月くんの女性関係が狭くて助かっているわ」
「素直に怖いっす、夜風さん……」
「神無月くんが他の女になびくのは嫌だもの」
淡々とした口調だが、言葉の節からは棘の取れた優しい雰囲気が伝わってくる。
別れていても、ここまで好意を寄せてくれる相手は珍しい。倉橋とよりを戻そうと思えばいつだって出来るのかもしれない。それでも僕の心の底で拒否してしまうのは、たぶんそれは違う何かだと確信しているからだ。壊れてしまった高級な壺をどれだけ接着剤で修復したとしても、元のような輝かしい価値が戻るわけではない。どんな理由であれ、破局した僕たちは破局したままでしか居られないのだ。
「だとしたら、余計に二人が一緒にいた理由がわからないんだが。恋愛相談なんて仲良くない奴にしないだろ」
「さあ。あたしにもわからないわよ、あの子の考えることなんて。単なる気まぐれじゃないかしら。『夜風ちゃんと真くん、どうしてるかなー』とでも考えたんじゃない? で、本当に
「ぷっ、似てないなモノマネ」
「似せようと思ってないもの」
随分とあけすけな物言いだ。その一言を皮切りに、僕らの間に再び沈黙が訪れる。店内に流れていた流行りのJPOPが、こんな曲だったかと今更ながら思った。
不意に倉橋が「そういえば」と口を開いた。
「今月の新刊コーナーはもう見たかしら」
「いやまだだけど……?」
僕らの間で目ぼしい新刊の情報を交換することは珍しくないが、普段とは少し異なる物言いが気になった。言外にそれがどうしたのかと意思を込める。すると倉橋は、カウンターの引き出しから一冊の本を取り出した。
魔女の子が引き起こした一つの殺害事件を扱ったルポルタージュのようで、帯に『魔女の報復と奪われた尊い命たち』という物騒なフォントがあった。魔女の子が起こした事件を複数扱った記事が載っている。
魔女狩りたちが英雄視されている所以でもある。こういう情報が世間の誤解を助長させているんだ。
「最近のニュースの一つにこんなのもあったな。魔女の子も確か捕まったんだろ」
投げやりな態度で僕は視線を外す。正直見たくはなかった。見ても気分が悪くなるだけだ。小さくため息を吐く僕に対して、見かねた倉橋はカウンターを爪でコツコツと叩いた。見ろってか。
倉橋が指さしたページは『天草財閥の御曹司・天草恭太郎が殺された』という事件だった。友人との帰り道に一人でいる所を狙われて、腹部をナイフで刺突されたことによる失血死。さらに奇妙なことに、両足の骨は粉砕されており、タイヤ痕が強く残っていたという。何かの呪いのように、くっきりと。
「あたしが言いたいのは、この殺人事件そのものではないわ。その過去に何が起きていたのか、そっちよ」
「というか、いつ読んだんだよこれ」
パラパラと紙をめくると、読んで擦り切れた跡がある。それに幾つか付箋を貼ってあるページがあった。
「搬入されたのは昨夜。倉庫に一冊取っておいたのがあったから、それを読んだわ」
たぶんそれ、店長の私物だよ……。あの人、一応全部の本に目を通すために一冊バックヤードに置いていること多いから。いや、全ページしっかり読んでいるのかは知らないけど。
無くなったことに気づいて、今頃慌てているかもしれない。静かに合掌。
「そんなことは置いておいて」と、倉橋が話題を戻す。
「天草恭太郎が殺された事件。ただその裏にはもう一つの事件があった。財閥がマスコミに圧をかけたか賄賂を贈ったかで、表では公表されてないから大半の人は知らないはずよ」
「それが過去に起きたっていうやつか?」
「殺害事件のひと月前に天草恭太郎は、重大な罪を犯した。友人二人を乗せた車で夫妻を轢いてしまい、そのまま放置して逃走」
「あれ、未成年じゃなかったっけ」
微かな記憶だが、どこかで彼の名前を見かけた時に、まだ高校生だったはずだ。
「そう。もちろん無免許運転でね。赤信号無視で突っ込んだ交差点で二人を殺害。相当なスピードは出ていたでしょうね。飲酒運転の疑いもあったそうだけど、立証はされなかった」
倉橋は目印にしていた付箋を辿り、情報を読み上げながら僕に説明してくれる。
「三人とも取り調べを受けたみたいだけど、一緒に乗っていた二人が補導され、主犯の天草恭太郎だけは釈放された。執行猶予も付かない。明らかにおかしいけど、未成年っていう理由だけで実名報道はされなかった。便利なものね、少年法とやらは」
「皮肉なものだな、本当に」
「そしてその殺害された夫婦の子供さん……名前は出ていないけど、Rちゃん。生まれた時は普通の人間だったそうよ。だけどこんな経験をすれば、魔女化するのも無理はない。両親の命を無残にも奪われた彼女は」
倉橋の声のトーンは落ちきっていて、気楽に言葉を発するのも躊躇ってしまった。
「復讐を誓って、天草を手に掛けた」
何を言えばいいんだろうか。天草を罵倒すれば気が晴れるのか? その魔女の子に同情すれば気が済むのか? うまく言葉も見つからないまま、僕は上辺だけの気持ちを吐くことしか出来ずにいる。
「こんなのを今更公開しても、現実は変わらないのにな」
「と、一般人はそう思うでしょうね」
随分と棘のある言葉だった。知らず自分の声も低音になる。
「何が言いたい」
「掘れば掘るほど、事件は残酷なものが眠っている。現にRちゃんと天草の過去を知らなければ、単にRちゃんは悪役として片づけられていた。掘らなければ、隠された真実にすら気付くことが出来なかった」
「でもそれを書くことで、誰かを傷つけているかもしれないだろ。一般的に魔女の子として括られて、晒されるのは気分がいいものじゃない。魔女の子たちだって、何一つとして望んだ結果にならなかったはずだ。それなのに――」
「書けば売れるからよ。特に人の死を扱うドラマティックなものは」
淡々とした物言いのわりには、倉橋の顔は俯いたままだった。悲観でも達観でもなく、ただこの現実を受け止めている。そんな気がした。
「こういうのを読めば、魔女の子を見る視線が変わると思うのか?」
「変わらないでしょうね。所詮は書く人の自己満足よ」
でもね、と倉橋は言葉を続けた。
「あなたたち普通の人間がコンビニに出かけて、店員さんが『外国人だ』と思ってしまうくらいに自然に、ナチュラルな差別にまで程度が下がれば、魔女の子たちは死ななくなる。あたしはそう思うの」
生きやすくなる、とは言ってくれなかった。
どこまで言っても、差別は消えないのだ。それでも。そうだとしても。
解放される日が来ることを願うくらいは、許されてもいいんじゃないだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます