第十二話 修・羅

 書店は思ったよりがらりとしていて、閑静な空間になっていた。普段バイトしている時よりも、やや空調の音が大きく聞こえている。

 入店するとすぐに右にレジカウンターがあり、左に二階へと続く階段がある。お客さんは一人も並んでいなかった。普段から確認するのはいつもの癖だが、今日ばかりはそれを後悔することになった。僕にとって好ましくない状況というか人物というか、そいつと視線が合う。思わず声が出てしまった。


「げ」

「げってなによ、失礼ね」


 作業を止めて、不満げに返してくる倉橋。大して客が居ないことをいいことに、どこから持ってきたのか、レジ内でパイプ椅子に座っている。怠けているかと思えば、手元にはしっかりと在庫確認用の資料が広がっていた。黄色の蛍光ペンでチェックしていた途中だったらしい。

 だが、そのシートの下に栞を挟んだカバー付きの文庫本が見えた。なんだよ、その隙を生じぬ三段構えは。この光景を見つけたのがたまたま僕で良かったな。店長ならきっと卒倒していたぞ。

 厄介な客なら、苦情の一つでも言っていたかもしれない。「バイト中にサボるなんて何事だ!」って言いそうだ。単なるクレーマーに過ぎないんだけど。いやそれが厄介な客なのか。なんだこの無限ループ。

 世の中にたまにいるんだよな。自分より劣っている奴やミスした相手をやり玉に挙げて、ただ攻撃したい連中ってのが。自分の欲求不満を他人にぶつけることでしか、解消出来ない奴らが。

 倉橋がただサボっていただけならまだよかったのだが、好ましくない状況の要因となるもう一人が随分と明るい声を上げた。


「やー久しぶり。元気してたー?」

「久しぶりって……数日前に会ったばかりだろ」


 遥は目ざとく僕を捉え、こっちに来いとばかりに手を振る。倍速にした招き猫みたいだ。可愛い女子大生が手を振れば、そこらの男がたくさん寄ってきそう。

 無視すると後々が面倒になることは間違いなかったので、仕方なく傍に寄っていく。他の客がいないからこそ出来る、暇つぶしとして会話をしていたらしい。


「いやーまさか真くんにまで会えるなんてツイてるなぁ。話したい事いっぱいあるから聞いてほしいんだよねー」

「はいはい。分かったから僕の肩を叩くのをやめてくれ。……それで、どうしてここに遥がいるんだ。読書とは無縁のお前が来ていい場所じゃないだろうに」

「あーひどい! それはサベツってやつだよ! 私だって彼氏のお勧めの漫画とか読むもん。たまに」

「たまにかよ。小説なんて高校の時の朝読書きりだろ? しかも一年かけても一冊読み切らなかったって言ってたじゃないか。それに漫画を読書に入れるかは審議だ。ちなみに僕は含めない派だ」

「別に入れてもいいじゃん、同じ本なんだからさー。真くんは小説ばっかり読んでるから、そんな頭堅くなるんだよー」

「そ、それは関係ないだろ」


 ちっ。という舌打ちが聞こえてくる。


「元カノの前で、他の女のといちゃつくなんてよく出来るわね。神無月くん」

「いちゃついてねえよ!」


 僕と遥の会話が途切れたタイミングを見計ったように、倉橋がボールをぶん投げてくる。ストライクから大きく外れた即死球だった。完全に僕の頭を狙った一球。いつもより、僕の名前を呼ぶトーンが数段落ちるのがその証拠だ。ゾッとするから本当にやめてほしい。


「まあいい。遥はどうせ暇つぶしで来たんだろうけど。倉橋はこいつと何を話してたんだ?」

「なまえ」

「え?」

「あたしのことは呼べないのに、御神さんのことは名前で呼ぶのね。そう」

「……いや、その」


 だから無言の圧が怖いんだって。

 いつもなら直球なくせに、周りに人がいる時だけ遠回しの言い方をするから余計に怖い。その圧力に負けて、大抵僕が目をそらしてしまう。


「別にいいのよ。神無月くんがどうしても呼びたくないと言うのなら」

「いや嫌だってわけじゃ……」

「嫌じゃないなら呼びなさい。もし次にあたしの苗字を口にしたら、その舌ごと引っこ抜くわよ」

「だから考えることが物騒なんだって」


 閻魔大王も仰天する冗談だ。地獄に行っても第一線で活躍するレベル。これ以上抵抗することは早々に諦め、改めて会話の流れを戻した。


「……夜風は、なんの話を聞かされていたんだ」

「彼氏の相談」

「なんだって?」


 僕の聞き間違いか。今、カレシとか聞こえた気がしたんだが。


「あたしではなく、遥さんの彼氏よ。最近冷たいという愚痴を聞かされていたわ。あたしの神無月くんも同様に」

「遥の恋愛事情はともかく。おいなんだ、最後の一言は」

「そうそうー。あたしの優斗くんの話を聞いてもらってたの。というか、真くんと夜風ちゃんもやっぱり微妙な関係のままなんだね。ぜ、全然いつでも相談していいからねっ! お姉さんのこと、頼ってくれてもいいから!」


 ふんすと、両手で握りこぶしを作って応援する遥。全員が同年代のはずなんだが、気持ちはありがたいが、誤解している部分は訂正しなければならない。


「ちょっと待て。僕と夜風はもう付き合ってないからな」


 高校から大学に進学して数か月、僕たちの関係は既に終わっている。もうあの頃には戻れない。それを正確に言葉にするのはやっぱりしんどくて、言葉尻が萎んでいった。

 そんな僕を横から眺めていたであろう倉橋が口を挟む。


「そうよ、こっぴどく振られたわ。あたしはまだ、こんなにも好きなのに」

「夜風は一回黙っていてくれ。ややこしくなるから。マジで」


 嘘がバレバレの口調で僕をからかう倉橋に、人差し指を口に当てるポーズを取りストップをかける。まさか僕のいない所でもこんな調子じゃないだろうな。猿芝居を続ける倉橋は満足げに口角を上げた。横目で確認して、憂いを帯びた様子の遥へ言葉を続ける。


「それで、遥は彼氏さんとどういう状況なんだ」


 指を口許に当てて、遥は思い出そうとする。


「先週までは普通にデートしてたんだけど、月曜からメッセージが未読のまんまなの。インスタは友達とご飯に行った写真載せてたから、普通に生きてると思う」


 いの一番に生きているかを確認したことに少し笑ってしまう。普通だったら忙しいとかスマホを無くしたとか壊れたとか、物理的な問題を考えると思うんだが。本人を第一に気にするのは遥らしい。それとも彼氏さんが魔女の子だからか……。いや、流石に考え過ぎか。

 余計な思考を振り払って、遥が差し出してくれたスマホの画面をのぞき込んだ。ん、と無言で表示されたのはなにやら真っ暗な写真だった。


「なんの写真だ?」

「どこかに出かけた時っぽい感じだった。東京なのかな、背景にタワーみたいなのが見えたし。そこで……確か三人くらいの人とご飯食べてた」


 スマホの写真フォルダから別の写真も探しているのか、言葉が途切れがちになる。


「旅行でもしていたのか」

「そんな感じには見えなかったけどなぁ。なんか真っ黒な雰囲気だったし」


 暗闇の中で写真を撮ったっていうのか。まったく予想が付かないのだが。


「優斗くんと繋がりある女の子に探ってもらったけど、そっちも未読のまんまだって。じゃあ浮気の可能性も低いんじゃないかなって」


 言葉足らずな部分を推測する。遥だけがブロックされているというわけではない、ということか。


「私のことメンドクサイって思われてるのかなぁ。構い過ぎたかな、構ってもらいすぎたのかな……」

「普段のやり取りはどんな感じだったんだ」

「私が長文で、優斗くんはスタンプ」

「じゃあ、既読が付かない状況と大して変わらないだろ」

「……」


 無言で俯いてしまった。さすがに言い過ぎたか。

 謝罪の代わりに、適当に聞いていたのを反省して、考えをまとめることにした。彼氏さんが突然音信不通になったのはなぜか。

 真っ黒なインスタの写真、東京のような風景。遥をブロックはしておらず、普段のやり取りからスタンプで済ませる性格。数日間、ラインに気づかない可能性……。

 もし彼氏さんが面倒で返信していないのではなく、別の理由があるのだとしたら。返したくても返せないような状況、もしくは忙しくてラインのメッセージに気づかないような状況。

 一つだけ嫌な予感がする。魔女狩り――いや、まさかね。これは早計過ぎか。何か別の理由を考えよう。

 そうだ。そういや前に会った時に、遥は彼氏さんとは学年が違うと言っていた。年上なら今は四年生のはず。この時期に忙しいということは……つまり。

 一つの答えにたどり着く。気づいてみれば簡単だったと、浮かんだ考えを告げた。


「あれじゃないのか。最近になって就活が忙しくなったとか。よくあるだろ、企業の開催している一週間や二週間のインターンみたいなの。他の人も一緒に参加してるから連絡取りにくい状況なんじゃないのかな」

「あ、そっか。こないだセミナーがどうとか、オンラインがどうとか言ってたかも。エントリーシートの期限が意外と早くて大変だって話してた」

「じゃあやっぱり就活じゃないか」

「勝手に部屋に押し寄せた時あったけど、たまたま見たスーツ姿もカッコよかったんだよねー。あ! 今度ネクタイでもプレゼントしようかなぁ」

「プレゼントはいいとして、その前が気になる。勝手にってどうやって入ったんだよ。不法侵入かよ」

「え。普通に合鍵だけど」


 怖い、怖いよこの人……。普通にって言っちゃう所がまず怖い。合鍵ってそんな簡単に作れるもんなのか。なんかこう、本人の同意書とか費用とかいろいろあるだろ。作ったことないから知らないけどさ。

 話が逸れて、もう大丈夫そうだと思っていたら、まだ「忙しくても距離を詰める方法が知りたい」とごねていた。彼氏さんも大変だな……。

 そう思い、あまり負担のならないようなアドバイスを考えることにした。そういえば、前に遥がお勧めされた漫画を読んだとか言っていた。それなら逆もあってもいいはずだ。

 オススメの漫画を見繕うことを勧めると、すぐに遥は「ちょっと見てくるー」と言って、僕の指さした二階へ続く階段を上っていった。ぶんぶん手を振る前に、前を見て歩けっての。転ばないか心配になるんだよ。

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