第十一話 勇・気

「もしもし」


 コール音に驚きつつも電話に出ると、控えめな声が聞こえてくる。


「電話しても大丈夫でしたか先輩……?」

「授業が終わったところだ。問題ない」


 周囲の人だかりに気を配りつつ、小声で返答する。まあ電話に出た時点で問題はないのだが、シアは心配の方が勝っていたらしい。よかったです、という小さな声が囁き程度に聞こえてきた。文章でやり取りをするつもりだったのだが、電話をかけてきたのであれば、そのまま約束の事も確認しておくことにした。


「昨日連絡もしてたけど、肝心の話はどうなってるんだ。時間も場所も何も聞いていないから、僕からは何のアクションも出来ないんだが」

「あれ。先輩のことだから、てっきり忘れられていると思っていました」

「忘れるわけがないだろ。僕は真面目なんだから」

「自分で言う辺りさすがですねー」


 くすくすと笑うシア。


「それで」と遮って先を促す。

「約束の話だよ。土曜日に行きたい場所があるって。何時にどこへ行けばいいのか、さっぱりわからないと、僕からはどうしようもないんだけど」

「何もできないというのは不思議ですね」

「何言ってるんだよ。行きたいところがあるって話だっただろ」

「つまり、それは先輩からのデートのお誘いですか?」

「はあ?」


 会話がどうにも噛み合ってないことに、思わず苛立ちの孕んだ言葉が出てしまう。どういうつもりだ、まったく。元はシアから言い出した用事なのに、それを忘れたわけでもあるまい。どうして僕が彼女を誘うという逆の立場になってしまっているんだか。それを丁寧に説明すると、


「もー先輩から誘ってほしいんですよっ! 女の子にこんなこと言わせないでくださいよぉ!」

「君が行きたいからって――」

「女の子が行きたがっていたら男性からどう?って誘うもんなんですよ。常識です」

「そりゃあどこの世界の常識だよ、まったく……」

「とーにーかーく! 情熱的な誘い文句をお願いします」

「なぜ、僕が」

「いーですからー」


 どのみち情報を握っているのは彼女だし、機嫌を損ねればお誘い自体がなくなりそうなものだが。正直ここまで来ると、なぜか逆に行きたくなる。

 今まで女の子をデートに誘った経験はほとんどないが、普通はこんなものなのだろうか。倉橋と付き合っていた時も、そういうデート関連はほとんど彼女から誘ってくれた。ウィンドウショッピングや映画館、水族館とかに行ったっけ。楽しかった思い出はあるけれど、僕から特別何かをしたという記憶はない。あ、いや一度だけ僕から誘ったことがあったかな。

 それにしても世の中のカップルたちは、皆こんなことをしているのか。なんだか理不尽さを感じるが、いつまでも逡巡しているわけにもいかない。一通り脳内でシミュレーションしてから、浮かんだ言葉を適当に繋いでみた。咳ばらいを一つしてから、


「僕と素敵な場所に旅立ちましょう!……とか」

「なんですか、そのメルヘンチックなキャラは。お花畑な脳内だけは勘弁してほしいんですけど。先輩って、案外そっち系だったりします? ちょっと意外でした」


 第一戦は僕の大敗。思ったより酷評を喰らって、メンタルが軽く死にかける。二打撃目は少し時間を置いてから放った。


「……一緒に楽しいところに行きませんか」

「ちょっと下心が見えてキモイです」

「キモイとか言うな。傷つくだろ僕が」

「素直な感想です。再チャレンジで」

「えーじゃあ」


 正真正銘の三本目で勝負する。もはや変化球はなく、直球のストレートだった。


「僕とデートしてください」

「……」


 口に出すと同時に、胸の内から熱いものがこみあげてくる。これ、周りに聞かれていないよな。


「なんか言ってくれないか。無言は一番寂しいんだけど」

「……おまけで合格にしておきまーす。それじゃあ、待ち合わせの事案と場所は、まとめてあるので送りますね」

「用意してあったなら、最初から送ってくれよ」

「それでは、当日は楽しみにしていますね!」


 楽しげな声を残して通話が途切れる。

 そのままスマホの画面を眺めていると、メモ帳をスクショしたらしきものが送られてくる。十一時半に駅前集合とのこと。どうやら目的地は電車で十数分ほどの距離にあり、降りて歩けばすぐに着くらしい。なんとなくだが、シアの「行きたい場所」とやらに心当たりが見つかった。ただどうしてそこに行きたいのかまではわからない。そこで得られるものが目的なのか?

 周辺を散策するというのなら、動きやすい格好の方が良いだろう。昼食もかねて多めの予算を財布に用意しておく。なんとなく当日の動きを考えて、さらっと用意を見積もってみる。帰ったら準備しておかないと。


「さて、どうするかな」


 用が済めば手持ち無沙汰になる。スマホを弄る気分でもない。何かないかとバッグの中身を探しても、既に読んだ文庫本が入れてあるだけだ。手を伸ばして引っ張り出すと、透明なフィルムカバーに包まれた表紙が顔を出した。緑青を基調とした爽やかな風景に、二人の男女が手をつないでいるイラストが描かれている。確か先週発売された小説だったか。


「本屋にでも行くか」


 なんとはなしに口に出た言葉を反芻する。やはりそれが妥当だと思った。決めたらすぐに準備する。迷っていると結局楽な方に流されて、しないまま終わってしまいそうだ。

 片耳にワイヤレスイヤホンを差して学校を出た。肌に張り付く生ぬるい風が吹きつける。雨が降りそうな淀んだ雲空だったが、なんとかなるだろう。楽観的な考えと一緒に、僕は自転車に飛び乗った。

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