第九話 誘・致
「それはたぶん、魔女狩りですね」
僕の話を聞いた後、口に手を当てて考える仕草をしながらシアはそう言った。
「魔女狩りってあの人が? どう見ても普通に働いている一般人にしか見えなかったけど。変装でもしていたっていうのか」
「いえ、魔女狩りも普通の人間です。ただ魔女の因子から血を使うことで、疑似的な『血壊』が使えるんです。一度だけ前に母と見たことがあるんですけど……」
「じゃああの蛇がもしかして」
「ええ。おそらく蛇の嗅覚を借りた索敵能力です。赤外線を通して体温を感知するんでしょうね。その男性が『匂い』と言ったのは、先輩の近くに私が居たせいかもしれません。ただ」
魔女狩りに関する情報をつらつらと述べたところで、シアは一度言葉を切った。柳眉を寄せて何かを考えているようだった。
「一般人には『血壊』は見えないはずなんですけど、先輩はどうして見えたんでしょう。ちょっと不思議です」
「ああ……それね」
左手にある紋章がひりひりと痛む。その感覚に顔を顰めた。
別に隠し通すつもりはなかった。ただ話してしまうことによって、僕と彼女の何かを決定的に繋げてしまう気がして、躊躇していたんだ。
魔女の子も魔女狩りも同じ人間。先に魔女の血を持てば被害者になり、後に持てば加害者になる。元々の線引きは曖昧でグラデーションなくせに、誰かが絶対的な善悪を決めてしまった。
殺す能力と逃げる能力。その特性は完全に二分されたものだ。
そして、その中央に、僕がいる。この左手の痛みは彼女と触れ合ったからなのだろう。この世界で曖昧に生き続けていた存在と僕は関わっている。だったら教授や黒川、店長や倉橋に打ち明けるなんて筋違いだ。話す相手はやっぱり彼女しかいない。
「僕が見えた理由、なんだけどさ」
口の中が酷くカラカラになり、唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。うまく話せるかと悩む暇もなく、僕の口からはどんどん言葉が出て行った。顎に手を当てて考えていたシアは、僕の続けた言葉で表情を一変させる。神妙な表情から、徐々にこわばったものへと移っていく。僕の説明が終わると、シアは「シン先輩、ちょっと」と手招きして僕を屈みこませた。おお。耳元で囁かれるとこそばゆいな。
小さな唇から慎重な声が囁かれる。
「この話、まだ誰にもしていませんよね」
「いや。今君に初めて話したくらいだけど。なんかあった?」
「それなら良かったです……」
ほっと息をつかれる。そんな機密情報のつもりはなかったんだけど。
さりげなく周囲に視線を向けると、お客さんや他のアルバイトはいなかった。小声で話すほどの重大なことだったろうか? 正直なところまだ、自分の置かれている状況がわからない。彼女と彼らの間に立つという意味を、僕は正しく理解できているのだろうか?
「その紋章、見せてくれますか」
「別にいいけど」
もうためらうことなく、すっと左手を差し出した。手のひらが薄く浮かび上がる程度に煌めいているのがわかる。柔らかくて、恐ろしいほどにぞっとする冷たい指が触れる。撫でる感覚がくすぐったい。一本が二本、三本と増えていき、最後には両手で包みこまれた。
そこで僕はようやく違和感の正体に気が付いた。
男の能力である蛇。赤外線による温度感知。彼女が傍にいたから僕にも伝播していたということ。いくつもの情報が積み重なって、点と点が結びつき、やがて一つの結論へとたどり着く。
ああ、そういうことか。
彼女はずっとずっと、体温が低いんだ。それも他人に影響を及ぼすほどに。
今になってようやく気付く。それまで意識することのなかった部分が、僕と彼女の違いが、明確に表れていて、それを差として捉えてしまっていた。左手を執拗に触る指の感触が心地よく感じてしまい、その動きに見惚れていた。
「どうかしました?」
「ああ、いや……別になんでもない」
シアの目を見ることが出来ない。斜め下に背けてしまう。もう少し前髪が長ければ隠せたかもな。僕はごまかすように相槌を打った。
低体温の体質を持つなら人間にだって存在する。だがおそらくそれとは別物だ。一緒に居た人間の体温すら下げるなら、それは魔女の子であるシア特有のものなのかもしれない。「おそらく」や「たぶん」といった曖昧で不確かな情報が多すぎる。もう少し、シアを知りたい。いや僕自身のことも知りたい。
「それでこの紋章のことなんだけどさ。何か意味でもあるのかな。それともただの跡みたいなもの?」
「えっと、その……」
「普段見えなくなるのはやっぱり君と関係があったりするのかな」
「以前お母さんに聞いたことがあるんですけど……あんまり言いたくないというか、なんというか」
すっと目をそらされて言い淀む。
「そっか。じゃあいいや」
「え……」
「いまは無理に言わなくていいさ」
「シン先輩は……知りたくないんですか?」
「正直知りたいのは本心だけどさ。別に君が言いたくないのに無理に聞き出さそうとは思わない」
「そうですか……ふふっ」
「な、なぜ笑う」
「いえ別に。ふふ、先輩ってやっぱ変だなーって思っただけです。普通の人なら紋章すら、穢れだなんだって騒いでいますよ。きっと」
「そうかな。僕に弊害があるわけでもないから、過剰に気にしても仕方ないだけだと思うけどね」
「先輩のその、別にいいやー流しちゃう性格嫌いじゃないですよ」
「奇遇だな。僕も自分で気に入っている」
僕が笑うと、それにつられるようにシアも笑った。その笑顔を見たとたんに、なぜか笑っている自分を、後ろからもう一人の僕が見ているのを自覚してしまう。だけどそいつも同じように笑っていて、気楽に笑い合える関係も悪くないなと思った。
この息の詰まりそうな世界で、年下の女の子と気軽に喋れる機会が来るとはな。魔女関連の存在をどこか冷めた目で見ていたはずなのに、その考え方は今でも心の中にあるはずなのに。彼女だけは違うんじゃないかと、そう思い始めていた。
「あ、そうだ。先輩」
思い出したかのように、唐突に呼びかけられる。
「土曜日って予定空いていたりしますか?」
「今週の? シフトなら入ってないけど」
「なら、私に付き合ってくれませんか」
「へ?」
予想外の言葉に間の抜けた声が漏れる。
「行きたい場所があるんです。一緒に来てくれませんか」
「え、うん」
どうせ暇だし、することも特にない。そう考えて、二つ返事で了承してしまう。どこか美しく、どこか儚げな表情で破顔する彼女に対して、僕は戸惑いとほんの少しの期待を隠さずにはいられなかった。
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