第八話 異・能

 レジ内に入る。顔を上げると、先程見かけた作務衣の男性が仏頂面で立っていた。どうやら待たせてしまっていたらしい。申し訳ない。ソーリーおじさん。

 胸の辺りを見ると、簡素な白色のネームプレートに「笹木」という文字が見えた。笹木は無言で本をカウンターに置いた。ささっと会計を済ませようとバーコードを通した所で、ぼそっと声を掛けられる。声の主が正面の男だと認識するのに時間がかかった。


「兄ちゃん、気ぃ付けなよ。すごく臭うぜ」

「え?」


 頭に巻いた手ぬぐいの下から覗く眼窩。そこには鋭く尖った視線があった。睨まれるなんてもんじゃない。僕の体は一瞬にして警戒体勢を取り、あり得ない恐怖に身体が強張る。緊張で閉じた喉からなんとか絞り出す。


「な、なにがですか。匂うってなんのことです」


 シャワーは毎日浴びているから大丈夫なはずだぞ。それとも僕の体臭ってそんなにきついのか。だとしたら相当ショックなんですが。

 頭の中でそんな冗談を考えることで精神を保とうとする。笹木はカウンターの台に爪を立てて、威嚇でもするみたいにコツコツと音を鳴らしてくる。


「臭うーつったら、魔女の臭いに決まっとるやろ。まあ魔女の子も似たもんやけどな。ほんで兄ちゃん、もしかして近くに魔女の子と関わっとるやつおんのか」


 その様はドラマとかで見かける尋問に勤しむ歴戦の刑事のようだった。自然に首だけを回して、周囲を警戒している。鋭い視線は僕にも向けられた。


「い、いませんけど」

「なんやそんなに緊張して」

「きょ、きょどってませんよ別に。緊張で噛んだだけです」


 笹木の言葉が一つ一つ刃物のように、僕の心に突き刺さってくる。グサグサと刺さる剣がいつ核心を突いてもおかしくない状況に嫌な汗が止まらない。なぜ匂いで魔女や魔女の子が識別出来るのか。この男は何者なのか。そんな疑問がいくつも湧いてくる。なにより僕は、異様なまでに高鳴っている自分の心臓を意識せずにはいられなかった。

 今この瞬間、あの子が戻ってきてしまったら――。

 嫌な想像が止まらない。最悪な展開なることだけは確かだ。目の前に立つ男から感じる気配が、僕の想像を形にしてしまう。妄想すればするほど、それが現実になるのではないかという焦りに繋がる。

 まさか先ほど彼女に向けた言葉が自分に帰ってくるとは……。

 とにかく出来る限り、この男を穏便に帰らせる方法を考えなくてはならない。言葉を慎重に選ぶ必要がある。


「ええか。魔女の子っていうのは擬態に長けた能力が多いんや。洗脳に近い方法で、人間社会に溶け込んどる。かといってアジトに潜伏しとるわけでもない。それがまた厄介なところやで」

「へ、へえ……」

「まとまっていれば一掃も容易いんやがな。魔女の子は個々に生きとるせいで魔女狩りは苦戦しとる。それを実現させておるのが、魔女の子が持つ能力のせいや。お前さんも、見たことあるんちゃうんか?」

「いや、どうでしょうねー」


 つらつらと笹木から出てくる情報に戸惑いを隠せない。魔女の子に対して詳しすぎるだろ。間違いなく、この男は関係者だ。


「まあとにかく、気を付けておきます」


 顔色を伺うようにゆっくりと言葉を吐いて、相手の表情を確かめる。


「気を付けるゆーてな、魔女の子と関わりたくないと思っとる奴も、知らんうちに縁が結ばれとるもんでな……まあええわ。忠告はしたで。ほれ」

「丁度お預かりします。ありがとうございましたー」


 トレーに出された代金を確認し、即座にレシートを返す。こっちはこっちのペースを貫かせてもらう。毅然とした態度で一礼する。僕の反応を受けて笹木は満足したのか、


「それに兄ちゃんとはまたどっかで会う気がすんねん」

ほな、と片手を挙げて去っていく。後ろ姿を見送りながら、僕は「できれば会いたくないっすねー」と心の中で呟く。店員にはあるまじき態度だが、こうでもしないと僕の不安が拭えない気がした。


 視線を逸らそうとした瞬間、笹木の背中が歪んで見えた。思わず自分の目を疑う。

人の輪郭がだんだんとぼやけていき、崩れ落ちた肉が蛇の形へと変形していく。半透明の骸骨がくねくねと身体を這うように、まとわりつく。骸の蛇はくるくると八の字を描くようにして、笹木の身体を這い続ける。

 なんだあれは……幻覚か?

 それにしてはやけにはっきりと見える。もしくは白昼夢ってやつか。当の本人はそんな奇妙な蛇に気づく素振りもなく、すんなりと出て行ってしまった。いったいアレは――。


「あの、先輩」

「うわ! ……びっくりした」

「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんですけど」

「どこ行ってたんだよ。たまにはレジやってみないと、覚えられないんじゃないか」


 気づくと彼女が傍に立っていた。シアが苦手な接客を避けていることは知っているが、先輩として口を出しておこうと思った。説教にはならないよう、軽く仄めかす程度に伝える。だが彼女は別の事を気にしているようだった。


「いや、それはそうなんですけど……。さっきのお客さんについてです」

「何かあったか? たまには、ああいう変わったお客さんもいるって。こういうのは慣れだから」

「そうではなくてですね、その」

「何が」

「お二人は何のお話をしていたんですか」

「え」

「先輩はあの男性に何か、感じませんでしたか」


 シアの透き通った瞳が僕を覗き込む。その奥で、幾何学的な紋章をかたどった赤色の光が揺れ動いている。爛々と輝く綺麗な色は僕を深い底まで惹き込んでいき、目を見ているうちに、自然と口が動いていた。それを自覚したのは僕が一連のことを話し終えた後だった。

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