第七話 現・実

 彼女と出会って数週間が過ぎた。実生活で会う機会はあまりないとはいえ、バイトではそれなりに喋ることがあった。ただ彼女がまだ高校生ということもあってか、シフトが被ってもせいぜい二時間かそこらだ。夜の十時以降は雇えない規則があるらしかった。

 不思議と名前を呼ぶことはなかった。近くにいる時は「ねえ」や「あのさ」という呼びかけから始まる。交換した連絡先にも、学校でのあだ名なのか、「シア」と書かれてあった。自己紹介は受けていないが、それにあやかって、僕もそう呼ばせてもらうことにする。

 本日もバイトに勤しんでいると、シアがやってきた。


「おはようございます、先輩」

「ああ、おはよう」


 シアはさっと挨拶だけ交わして更衣室へと入っていく。すれ違った途端、なんでもなかったはずの左手が急にちくりと痛み出す。そっと視線だけ向けると、やはり青白く光っていた。浮かび上がった紋章を隠すように、僕は右手で撫でてみる。彼女たち魔女の子の持つ紋章とは違うのか、そこにざらざらした感触はない。

 どういう理論かは不明だが、普段は透明化して見えなくなるくせに、シアが側にいる時だけ彼女の存在に反応するように薄く浮かび上がる。その仕組みに気づいた僕は、アルバイトの時だけ注意を払うようになった。幸いなことに、利き手じゃなかったことは都合が良かった。

 左手の紋章はまだ伝えていない。誰にも伝えていない。

 仕事中、人前に立つことがあれば出来るだけ左手を隠す。僕なりに不自然のないようにしていたが、シアから見れば違和感でしかなかったのだろう。時折じっと僕を見ていることがあった。それでも視線が合うと、パッとそらしてしまう。シアから紋章の話題に触れることはなかった。

 木曜日の夕方。お客さんが少なくなってきたこともあって暇を感じ始めた頃に、


「シン先輩、最近何か変なこと起きませんでしたか」


 そんな切り出しで唐突にシアは会話を始める。僕が本棚を整理し、彼女が在庫買う人表にチェックしていく。口を動かしながらも、その手は止まることはない。この一週間で雑談ができる程度には、シアにも余裕が出てきたらしかった。違う場所に収まっていた文庫本を元の場所に戻しつつ、僕は彼女の質問に聞き返した。


「変なことって?」

「まあ、何と言いますか……」


 質問自体が変なことなんだが。

 そう思ったが、突っ込むのは無粋なので口をつぐむ。


「変なことといってもな。毎日つまらないくらい同じことの繰り返しだよ」


 入店音がして入口に振り向く。作務衣を着た三十代ほどの男が入ってくるのが見えた。仕事終わりといった格好で、まっすぐ雑誌コーナーに向かっていく。レジ場から三メートルほど離れた場所で何かを見繕っているようだ。僕らの「いらっしゃいませー」という間延びした声の方をじろっと見ただけだった。続いて若い女性が小さな男の子を抱いて入ってきた。

 シアは何かを言いたそうにしていたが、もごもごと口を動かすだけで言葉にはしてくれなかった。いつもより僕の態度がそっけなかったかな。それは別に関係はないか。

 口ごもっていた彼女に黙っていると、察したシアの方から会話を再開してくれた。


「最近変な夢を見るんです。シン先輩といる夢なんですけど」


 僕と一緒にいることが変だとでも言うのか。少し心外だ。


「どこかに出かけている感じでした。少し開けた場所というか、何か赤い門みたいなのがあって。そこを二人で歩いている時に後ろから男の人たちが近づいてきたんです」

「散歩でもしてたのかね僕らは。それで、その男は知り合いか?」

「わかりません。一人はスーツだったんですけど、もう一人は何か奇妙な格好で武器を持っていました。刀とか銃とか、手錠とか? いきなり私に切りかかってきて、それで――」


 おいおい、なんだか物騒な流れになって来たな……。気になるが一応先を促していく。


「それで」

「怖くて目を瞑っていたら、シン先輩が私のことを助けてくれるんです。刀が伸びてスパって首が飛んで、全身真っ赤になるんですよ」

「おい待ってくれ! 急にすごく不吉じゃないか」

「でもでも、守ってくれるのはちょっとかっこよかったですよ! こう両手を広げて相手と私の間に立つ感じで」


 そう言いながらシアは言葉通りに手を広げて見せた。信頼を寄せてくれているのは十分嬉しいが、内容が内容なだけに素直に喜べない。命を張っても僕が死んでいるんじゃ喜べない。しかもそれは夢の話だし。


「後輩の尊敬と引き換えに死は重すぎるだろ」

「それで先輩が死んだあとなんですけど」

「まだ続きあるのかよッ! 正直あんまり聞きたくないんだけど」

「いやいや聞いてくださいって。ここからが相談したい内容なんです。そうやって耳塞いでも無駄ですよー! それでシン先輩が死んだ後に……私が魔女化するんです」


 予想もしなかった『魔女化』という単語に、僕の心臓がとくんと跳ねた。


「少し前に血で魔女の子が覚醒するっていう話を聞いたんですが、その特徴と似ている気がして」


 覚醒という単語に引っかかる。数秒程考えてから言った。


「少し語弊があるな。覚醒っていうのは、『血の満月』の日に継承される一人の魔女を中心として、その能力に影響を受けて変化するパターンだ。仮に君に影響があったとしても、ほとんどの魔女の子は能力はないし、使えたとしても効果も低い。まあ一部を除いてだけどさ。夢とは言っても、そこまで心配する必要はないんじゃないか」

「そうなんですが……集団事件のニュースもあるじゃないですか」


 不安そうに尋ねてくる。魔女の子たちが取り上げられている事件のことを言っているのだろう。自分のことではあるが、詳細な知識はあまりないのかもな。むしろ大学で履修している僕の方が詳しいか。頭にある情報をひねり出してなんとか話を続ける。


「確かに、稀に覚醒するパターンもある。だけど年一の『荒廃の魔女』を除いて、過去に三件しかない特例ばかりだ」

「じゃあやっぱり――」

「そんなもの誤差だよ誤差。日本にどれだけの魔女の子がいるのか。正確な数は知らないけど、母数から言って確率は限りなくゼロに近い」

「でも、ゼロではないんですよね……!」

「そうだけどさ」


 実際に覚醒の記録は報道されている。テレビや新聞やSNS、ありとあらゆる媒体によって魔女化の話は拡散しているのだ。詳しい記事になるほど、近親者や関係者などが浮き彫りにされて、そうしてまた二次被害が生まれる。悪意ってやつは、どんな媒体でも伝染していくんだ。

 僕も自分の目で記事を確かめたが、どうも嫌な感じに湾曲された表現しかなかった。その現実に彼女は怯えているようだった。


「さっきの話ですけど、魔女化して周りの人を殺しちゃうって思った所で、毎回夢が覚めるんです。もう怖くて、私どうしたらいいのか……」


 夢の断片を思い返してしまった恐怖からか、両手で自分の身体を小さく抱いていた。日焼けしていない白い手が微かに震えている。夢の中の彼女は、どんな気持ちで人を殺めるのか。その感覚をリアルで感じるならば、どれほど残酷なことか。

 僕の想像は実の結ばない花のようで、型取った言葉だけが残り、やはり想像はできなかった。そんなことよりも、彼女の口から『殺す』という単語が出たことに顔を顰める。猛烈に嫌だった。


「あんま気軽に言えないけどさ」と言いかけて、心の底にある言葉を探す。

「……」

「考えるなら楽しいことにしよう。嫌なことばっかり考えて、それが正夢になっちゃうかも、なんてそれこそ笑えない冗談だ。誰だって見るなら楽しい夢の方がいい」


 口にした後でちょっと恥ずかしいが、この際僕の恥じ一つで元気づけられるならどうってことない。そんな僕の想いが通じたのか、シアは顔を上げて笑った。


「……そうですね。あんまり気にしないことにします。でも本当に辛いときは、またシン先輩に相談してもいいですか」

「ああ、全然かまわない」

「それじゃあ今度パフェおごってくださいね」

「うん……っておい、頼ってくれるのは嬉しいけど、それは違う話だろ!」

「あははー」

「笑って流すな。せめていつもみたいに冗談ですって言ってくれ」

「あ、お客さんが来てますよ。ほらほら、接客! 接客してください先輩」

「まったく……器用に使ってくれるなあ」


 レジを僕に任せて、シアは本棚へと向かって行ってしまう。まだ整理されていない本の山のせいで、その姿が見えなくなる。落ち込んだ気分が晴れていればいいんだが。仕事でもしていればいい気分転換になるかもしれない。前に教えた返本作業の仕分けでもしておいてくれると助かる。そんなことを考えた。

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