第三話 救・出
大学から出ているバスで駅へと向かう。
その道中の構内では、魔女狩りを讃える演説が行われていた。スピーカーで大層な御託を並べて、「魔女の子を殺すべきだ」と叫んでいる。トラックの荷台部分を改造した立ち台の上で、たすきを肩に掛けた総髪の男が拳を振る。
「皆さん、魔女の子たちがこの日本にウイルスをまき散らしているのです! わかりますか、この危険な状態をッ! 我々人間を滅ぼそうとしているんですよ」
「そうだそうだー」
「魔女の子が災害を起こして、被害が拡散してきました。最新の研究では、魔女の災害によって困窮した若者の自殺者数も増えているという結果も出ています! それなのに、今の政府は保護法さえ検討しています。任せておけば、ずっとこのままですよ! 改革が必要なんです。いい加減正しいのは誰か見極めましょうよ」
一拍置いてまばらに拍手が聞こえた。息を吸う音が乗って、スピーカーが耳障りな音を鳴らす。
「魔女から国民を守る党に、力を貸してくださーい!」
「自分たちの生活ですよ、社会ですよ? 安全も未来も守るために、魔女狩りが戦っているんです。一人残らず無くさないと、魔女の恐怖は続きますよ。だからこそ皆さんのご助力が必要なんです。発見次第、報告をお願いします。一人につき、一万円まで支給しております」
「よっ、さすが!」
「ありがとうございますー!」
声を上げて賛同している人々は、明らかなサクラだった。魔女狩りを支援する団体なのだろう。周りの人間が薄っぺらな言葉に感化されていく。スマホを向けて写真を撮ったり、動画を回したりしている者もいた。
SNSに転載されて、上っ面な言葉が書き込まれていく。数字が伸びていく。その大きな数字は意味を持たないはずなのに、どうしてか大小の価値へと転倒してしまう。
いま僕の顔は冷めているな。それを自覚しながら、速足で彼らの横を通り過ぎていく。向ける視線すらもったいなかった。
何が魔女の子だ、何が魔女狩りだ。バカバカしい。
一部のイカれた連中が作り出した幻想に決まっている。魔女の子は必ずしも魔女に成るわけじゃないんだ。無知な奴らが勝手に盛り上がって錯綜していく。いつの時代もそんな奴らがバカをやって、世の中を悪い方向へと動かしてきた。
本屋のバイト先にやってきた僕は、貸与されている制服に着替えながらそんなことを考える。なんとなくロッカーを勢いよく閉めた。
この国に魔女の子がいるのは事実だ。だけど一般人が魔女の子や魔女狩りと深く関わることはほとんどないといっていい。いないように扱われているから。見えてしまったら、隠して消してしまうから。
自分から調べようとしない限り、偏った情報しか流れてこないように統制されている。そんな社会が完成されてしまっている。だから興味がない人間たちが、知識も乏しくなるのは仕方ない。一方的なイメージだけが蓄積されていき、出来上がった常識が色眼鏡を掛けるようになる。
中世のヨーロッパにおける魔女は、悪魔と性的な交わりを得た異端者として認識された。だが、現代では災害の象徴だと認識されている。どちらも排除してしかるべきものだ。
そうした中で、魔女の子は曖昧で空想のような存在に位置づけられる。
そんな彼らを積極的に保護するべきだとは言わないけれど、魔女狩りたちのように攻撃する必要もないはず。
表では平和そうに見えて、誰しもが心の中で人を疑っている社会。窮屈この上ないだろう。子供の頃はもっと簡単に人を信用し、信頼されて、友情や恋愛に親しんできたはずなのに、今ではそれが難しい。
ブラックボードに張り出されていたシフト表を確認する。六人いる中で僕の名前と同期の女子を見つけた。正直言うと被りたくはない相手だが、無視するわけにもいかない。因縁というでもないが、どうも今の関係性を掴めずにいる。彼女とはまあ、複雑な事情があるというかなんというか。
「はあ……」
なんだろう、すごく気分が重い。
あとは黒川のこともあったな……。友人としては協力して連絡先を教えてやりたい所だが、まずは本人に許可を取らないといけない。もし許可なく勝手に教えでもしたら、たぶん間違いなく報復が還ってくるに違いない。僕に。
あの方は情報の漏洩だなんだと難癖をつけて、酷くお怒りになられる。いやほんと、何するかマジでわからない所が一番怖いんだよな。無視するとか叩くなんて可愛い方だ。というか、それぐらいであってくれ。
だから僕の保険も兼ねて確かめなくてはならない。逆鱗に触れないように慎重に。彼女の性格を考えたら……どのみち無理だろうけど。シフト表をぼんやりと眺めていると、その表記にもう一つ引っかかるものがあった。
「なんだこれ……」
黒く塗り潰されたような跡がある。インクが滲んでいるというか、下に書いてある名前をかき消しているようで上手く読めない。誰かが意図的に塗りつぶしたのか? どうしてこんなことを。
わからないが、なんだか嫌な感覚がした。店長に確認したい所だが、緊急の用事でもないし後回しでいいだろう。
時計を確認しようとしたところで、突然店内の方で大きな物音と誰かの揉める声が聞こえて、僕は慌ててバックヤードから顔を出した。離れた場所にいる僕にまで聞こえてきたのだから、相当大きな声を出している。
そっと物陰から覗き見る。
「やっぱくっせえなあ。お前ら魔女の子が普通の店に来るんじゃねえよ」
「魔女の子が人間と同じだと思うなよ、この災害野郎が」
「や、痛い……やめてください」
「聞こえねえよ。文句があるならはっきり言えよ、くそジジイ」
金髪にピアスをした如何にもといった格好の二人組が、一人の中年男性に手を出しているように見えた。あからさまに殴ったり蹴ったりしているわけではないが、差別発言は聞き取れる。
彼らが居る場所は監視カメラから死角になる。だが周囲のお客さんからは見える。敢えて魔女の子の存在を周囲に見せつけている。とことん陰湿な奴らだ。
他のお客さんたちは関わり合いにならないようにと、少し遠巻きに見ているだけで誰も仲裁しに行かない。面倒事は誰だって関わりたくはない。触らぬ魔女に祟りなし。仕方ない。それがこの世界のルールだから。
ツカツカと音を立てて、早足で僕は向かった。ただしあまり深刻にならないように。少しおどけた感じを演出して間に割り入ることにする。こういうのは慎重さが大事だ。
「ちょっとちょっとー。お客さんたち何してんすか、他のお客様のご迷惑にもなりますからやめてくださいよ」
僕の登場にあからさまに二人組は機嫌を悪くしたようで、チンピラたちのヘイトは僕に向けられた。カッと唾が飛ぶくらいに、大口を開けて噛みついてくる。
「なんだよてめぇ。このジジイの味方すんのかよ」
「ちょっとぶつかってコイツが倒れただけですがー? 手は出してませんけどー?」
やはり防犯カメラに映っていないことを理解しているらしく、妙に強気な態度を取ってくる。本当にたちが悪いな。だからこそ、僕も強気で言葉を返してやる。
「いえいえ。差別発言もされていましたよね。ちゃんと写真も録音も取っていますよ」
ズボンに突っ込んでいたスマホを取り出した。録音アプリを見せてやる。
「これを証拠品として、警察に提出しますよ」
「はあ? 警察が魔女の子なんか助けるわけねーだろ。馬鹿じゃねえの?」
しまった、間違えた。すかさず訂正する。
「ごほん、失礼しました。魔女専門の保安庁の方でしたね。そちらに連絡してもいいんですよ。過度な干渉と暴力は刑法にも載っていますし。そうなれば処罰が下るのは、お客様の方になりますよね。どうしますか?」
一瞬だけチンピラたちが顔を見合わせた。
「チッ……」
「くそ、もういい。ほっといて行こうぜ」
さすがに証拠があると言われては気が引けたのか、舌打ちをして言葉を吐き捨てる。保安庁が来れば大事になる。まあ店側としても、事情聴取やら面倒事が増えるのであまり呼びたくはない。それに証拠はブラフだったし。お互いに助かった。
転がる魔女の子の男性を無視して、二人組はさっさと店から出て行ってしまった。その背中を見て大きなため息が漏れる。呆れと安堵と同情がぐちゃぐちゃに混ざったものだった。魔女の子に手を差し出す。
倒れた拍子にタイルの床に鼻を打ったのか、血が付着して赤くなっていた。痩せこけて荒れた頬に、複雑な線や点が絡み合って出来た紋章があるのがわかった。魔女の子だけが持っている烙印。見た目は人間と同じなのに、これがあるだけで人生が狂ってしまう。さっきの二人組は男性の紋章を見つけて、手を出したんだ。
「大丈夫ですか。よかったら裏で手当てしますが」
さっと手を差し出す。
「いや、もういい。二度とここに、来たくない……」
魔女の子は僕の手は取らなかった。何もつかむことのない手が空に浮いたままになる。
「助けてくれたことには感謝する。だが、同情はされたくない」
鼻をすすりながら震えた声で彼は言った。
「可哀そうに。そんな言葉をどれだけ聞かされてきたか、わかるか? 日々を死に物狂いで生きている私たちに憐れむ言葉を向けるのは、自分はそうではないのだと鼻高な人間だけだ。同情が残酷なことを知らない人間だけだ」
弱弱しい声ながらも、はっきりと底に重い感情が秘められているものだった。
苦境から脱しようとしている人を「可哀そうな人生」に閉じ込めてしまう。この国で魔女の子として生き残っている大人は少ない。大半は子供の頃に狩られてしまうか、周囲の悪意に耐えられずに自身で命を絶ってしまうからだ。
僕は本当に、彼への善意だけで動いていただろうか。何も言えないまま、魔女の子を見つめるしかなくなる。そんな僕を後ろからもう一人の僕が薄く口を開いて笑っていた。『お前に何が出来るんだ』と――。
あざ笑っているのが悔しかった。
ふらふらとした足取りで、男性は出口へと向かう。立ち上がった時には僕より体が大きかったはずなのに、彼の背中はやけに小さく見えた。同情さえ向けられない。
僕自身は本当に魔女の子を差別していなかっただろうか。……わからない。わからないけれど、あの時裏で見ているだけなのは違う気がしたんだ。
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