第二話 情・報
キャンパス内は徐々に人が増えてきていた。一限目の早起きを避けた大学生たちが集まり始めている。軽い広場になっている場所の奥で、階段に座りながら話している集団が視界に入る。久しぶりだなんだという声が聞こえ、その楽しそうな無邪気な声が鼻につく。普段はなんでもないはずなのに。
混雑する人混みを華麗にスルーして二限目の教室へと向かう。時間を確認すると、あと五分で始まる所だった。危ない、少し早歩きで向かわなければ……。
後ろのドアから入って中を覗くと、既に満席に近かった。空いている席は前の方ばかりだ。大抵は後ろで固まって騒いでいる奴らで、前は真面目そうな学生が集まりやすい。真ん中で見えない境界線が引かれている気がした。
「おーいカミやん、こっちこっち」
耳慣れた声に振り向くと、そこには手招きしている黒川の姿があった。最後方の左端の席に陣を構えている。窓側の光が差し込む位置で、周りに余計な気を向けずに済むから丁度良さそうだった。
片手を挙げて挨拶代わりにする。僕が横に来たのを確認して、すっと荷物をどかしてくれた。どうやら隣に鞄を置いて、僕の席を確保してくれていたらしい。
「今日も遅かったなー」
「別に遅刻じゃない。まだ先生も来てないし大丈夫だ」
「その理屈は高校の時から変わらないよな。オレにはさっぱり理解できねえ」
両手を肩まで上げて、わざとらしいポーズをとる黒川。
「ほら、だいたい五分間経ってから来るのが恒例じゃないか。オンラインの時も決まって五分余裕あったし」
「ま、そうなんだけどさ。ほらよ」
「悪い、助かる」
黒川から緑色の藁半紙を受け取る。片手に収まるほどの小さな出席カード。そこに自分の名前と学籍番号、授業名、感想などを書き込んで、授業の終わりに提出することになっている。評価に関わる出席点というやつだ。
そこに「
それなのに実際に「まこと」と呼んでくれる友人はほとんどいない。だいたいの友人は名字の方を呼ぶ。まあ別にいいんだけど。
前方のドアが開いて教授が入ってくる。軽い挨拶をして、授業で使うレジュメを配り始めた。順々に後ろへと回されるのを遠目で確認しながら、所在なさげにシャーペンが僕の指の間で回り続ける。
おもむろに顔を上げると、いつの間にかプロジェクターに画面が反映されていた。全員に配布が済んだのを確認したらしく、教授はマイクを通して話し始めた。
「えーシラバスでは、今日から魔女のお話に触れていくことになっていましたね」
早速ですが、と妙に楽しそうな声で続けた。
「今からおよそ十五年前からですね。突如として日本を半壊させたのが、皆さんもよく知る『荒廃の魔女』と呼ばれる存在です。今までもずっと魔女の因子は継続されてきたそうですが、人の目に触れるきっかけになったのは間違いないでしょう」
スライドを操作しながら講義が続けられる
誰かの咳払いの音が二回聞こえた。
「『荒廃の魔女』は年に一度、魔女の子たちからランダムに選ばれる人災です。『血の満月』が観測される日に能力が継承されるまで、基本的に魔女の子は無害です。そんな魔女の子たちは血縁に関係なく、出生が確認されています」
教授が言葉を切ったと同時に、スライドが切り替わってデータの一覧が表示された。
「この時に仙台・名古屋・大阪・広島・福岡といった大都市に並んで東京も打撃を受けました。被害総額は過去の大震災に比べておよそ数倍。対策本部として魔女専用の保安庁が設置され、インフラの多くが分断される状況になりました」
どうでもいい――。
頬杖をつきながら鼻からため息が漏れた。
僕がこの授業を受けた理由は、新しい小説を書くヒントになるかと思ったからだ。
もっと専門的な内容が知りたくて履修したが、やはり内容は既に周知の事実となったものばかりだった。本気で調べようと思えば、図書館の文献やデジタルのアーカイブに昨今の論文が見つかるはず。だけど僕が知りたいのは字面じゃない。もっと奥に踏み込んだ、核心に触れている生の声を聴きたいんだ。
この講義室にいる学生の前で、皆が知っていることをただ無感動のまま述べる教授を前に、僕と同じ感想を抱く者は少なくないと思った。後方に陣取った席から、多種多様な容姿や格好をしている学生たちに視線を向けてみたが、やっぱりその中に真面目に視聴している人は見つからなかった。
頭を下げてスマホに没頭している者や、早くも眠気に負けたのか突っ伏して寝ている者もいる。
大方テストがなく、せいぜい簡単なレポートを提出するだけで単位がもらえる評価方法につられたのだろう。出欠もオンラインに対応しているから、わざわざ対面で授業に参加しなくてもいい。たぶん授業が進むごとに、ここにいる人たちは減っていくんだろうな。
出回っている噂によると、「魔女論理学」で弁を振るう教授は魔女肯定派を公言しているらしい。学生に話を聞いてもらうことが魔女の宣伝になる。そんな浅い考えが透けた気がして、少しだけがっかりした。
退屈を感じて、隣に座る黒川を横目で見る。真面目に授業を受ける気がないのか、出されたプリントは雑に半分に畳まれ、隅に片付けられていた。その代わりとして机の正面にスマホが置かれているだけだった。おいコイツ、ゲームの画面開いてるじゃねえか。
「なあカミやん。オンラインでも出席出せるから、もう帰ろうぜー」
「悪いけど僕は一応最後まで受けていく。新作のネタを探したいんだよ。帰るなら一人で帰ってくれ」
「またあれか? パソコンでかたかたしてんの、ほんと飽きねえよなまったく。前に応募したラノベもどうだったんだ?」
「別にいいだろ……あれは」
趣味で小説を書いていることは、特定の友人にしか話していない。正直恥ずかしいので、そういう話題を周囲に人がいる場所で振られると、そっけないふりを装って塩対応になってしまう。
シャーペンをくるくると回しながら如何にも授業に参加している風を装う僕に対して、黒川は堂々とさぼっている。度胸があるのかバカなのか。……たぶん後者だな。そうはいっても僕も対して変わらないけど。
黒川が間伸びしたトーンで話しかけてくる。
「そーいやさー」
「沖縄弁か?」
「それは微妙に違うだろ。なんだっけ、そいやっさ、みたいなの。いやそういう話をしたいんじゃなくてだな」
「じゃあなんだよ」
「カミやんのバイト先の可愛い子いたじゃん。倉橋さんだっけ? その子の連絡先教えてほしいって話したじゃねえか」
「言ってたな、そんなこと」
相手をするのも面倒で、おざなりな返事になる。
「お前、さては忘れていただろ! オレが学食おごってやったっていうのによぉ」
呆れ顔の黒川。待てよ。食事をご馳走になった記憶はないぞ。
「なあマジで頼むって! 聞き出してくれよ。あ、あと出来れば好きなものとか趣味とかも一応。狙ってるってバレないよう、さりげなくな。……デートに誘えねぇかな」
「自分の恋路くらい自分で頑張れよ」
「冷たい奴だなあ。友人ならサポートくらいしてくれたっていいだろ」
「魔女の子と向き合うのも大変なんだけどな……」
「なんか言ったか?」
「いや、別に。なんでもない。気にするな」
小声で会話しながらも、脳内で何か面白そうなネタがないかとフル稼働させている。ヒントになりそうなものが見つかればプリントの端に乱雑にメモしていく。長い付き合いでそれを知っている黒川から、せわしない奴だなという愚痴が聞こえた。
後ろの方から数人分のこっそりと去っていく気配がした。ほどよくざわついている教室に向かって教授は咳払いを二、三つしたが、それ以上注意をする気もないのかそのまま授業を続けてしまう。
「そんな魔女を討伐したのが、今の魔女狩りの団体に繋がります。今は魔女の子たちを処置している集団が多いですが、時に悪質な集団殺戮を起こしています」
今でも魔女は継続されていて、その可能性のある人たちに『魔女の子』という呼び方が付けられている。レジュメの印字には強調されるように下線が引かれてあった。
「魔女狩りや魔女の子たちの中には、紋章に宿る能力を使える者もいます。血壊といい、生命力から魔術的な力を用いますが、これらは未だに解明されていません」
ホワイトボードのキュッキュッと鳴る音が聞こえ、教授がホワイトボードの端の方でペンを動かしていた。ぐちゃぐちゃで辛うじて原型を留めている。汚ないなあ、もっときれいに書いてくれ。
そう思いながら、一画一画しっかりとした筆記でプリントに赤ボールペンで『血壊』と書いてみる。言葉の意味は知っていても、どこか現実感の浮いた言葉。日本から遠く離れた異国の文字のような感覚がした。
それから教授が魔女についての説明をした後で、何本かの映像資料を見た。しかし電気が消された部屋の中では、自然と眠気と疲労が襲ってくる。
それに耐え切れずにうつらうつらと頭が揺れる。ああくそ、瞼が重い。半分寝た状態で見たせいか、あまり記憶には残らなかった。気づけば終わりになっていたようで、教室の電気がつけられて、虚ろだった意識が覚醒する。
「それでは以上です。来週は魔女狩りについて触れていきます」
その言葉を合図に授業が終わる。一斉に学生たちが教室から飛び出していった。お昼の学食が混む前に席を確保しておきたいのだろう。
授業内容を覚えているだけノートに軽くまとめておく。あとで見返して使えるネタは使うことにしよう。固まった姿勢を伸ばすと、軽く関節が鳴った。すっかり静かになってしまった周囲を見渡す。教授は質問がないかと一応教壇に待っているが、誰も見ていなかった。
片づけをしていると、隣の黒川が大きなあくびと共にむくりと起き上がった。頬に変な跡がついているのに気づき、鼻で笑ってしまう。
「やっと終わったかー。相変わらず長すぎて、完全に寝てたわ」
あくびをしながら、伸びきった声でそんなことを言ってくる。
「お前はどの授業でも寝てるだろ」
「なめんなよ。可愛い子と隣の席の授業は起きてるっての。あ、今日はこの後カラオケ行くんだろ? 前回貰ったフリーの割引あるし」
思い切り伸びをしていた黒川は、財布から紙切れを取り出したかと思うと、それを僕に見せつけてきた。にやりとした表情に残るあどけないと思った。
「悪いけど今日はバイトなんだ。また今度誘ってくれ」
「えーたまには休めよ。カラオケ行こうぜー。な? 暇なんだよ」
「カラオケは先週行ったばかりだろ。それよりお前は次も授業あったはずだろ。この講義と違って小テストもあって、重要なんだから気を付けろよ」
背もたれに寄りかかって呻く黒川を放置して、僕は一足先に教室を出た。ズボンに入れていたスマホを取り出して時間を確認する。バイトの時間まではもう少し余裕がある。ゆっくり向かえば丁度いいだろう。
ずり落ちそうな鞄を担ぎ直して歩き出した。
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