第一話 遭・遇
キャンパス内にある洒落たカフェで時間を潰す。
僕は自動販売機で買った缶コーヒーをちびちびと口に含みながら、文庫本を読んでいた。
一限目の授業中ということもあってか、利用者は離れた席に数人いるくらいに留まる。この時間帯は人が少なくて丁度いい。静かな空間にまどろんでいると、後ろからポンと頭を叩かれた。叩いたという表現よりも、撫でられたと言う方が正しいか。それから癒すような優しい手触りが訪れる。ぼさぼさの髪の毛を手櫛で梳かす感覚に、僕は顔をしかめながら不満を口にした。
「やめてくれ。髪を触られるのは嫌だって前にも言っただろ」
「えーでも、ぼさぼさはダサいかなぁって。
「二回も言うな。これはそういうヘアスタイルなんだよ」
「へーじゃあ素敵な寝癖ですねぇ」
からかうような笑いに振り向くと、そこには予想通りの人物がいた。
「ここで何してたの? ほら、お姉さんに話してみ?」
「別に何もしてない。ただの暇つぶしだ」
「そんなこと言ってー。毎日がつまんないなー何か刺激的なことでも怒らないかなーって顔してたよ」
ぼおっとしているようで、案外鋭いから侮れない。
振り返ると、どや顔を浮かべていた。
今日の装いは、白のブラウスにサイドポケットの付いたブラックのフレアスカート。小柄なショルダーバッグを肩から下げている。およそ勉強をするために大学に来たとは思えない格好。
「今日は何しに学校に来たんだよ」
「ひどいこと言うなぁ。これでも私は大学生だよ?」
「知らないなら教えてやるけど、大学は勉強する所だからな」
「今日はコマなしなんですぅ。午後から彼氏とデートの約束をしてるから来ただけだし! あ、真くんには縁遠い話でごめんねぇ?」
にひひと白い歯を見せて笑う。いちいち煽らないと会話が出来ないのかこいつは。腰を曲げたわざとらしいポーズ。女の子らしいしなりのある体勢だ。これで色々な男と付き合ってきたのだから、魅力的なポーズなんだろう。残念ながら僕には効かない。まったく惹かれない。けど視線は向いちゃう。悔しいなこれ。
遥はウェーブのかかった茶髪の毛先を片方の手で弄りながら、反対の手で僕の頭を引き続きポンポンと叩いてくる。何を気に入っているのかは知らないが、最近は大学で遭遇するたびにこんな調子だ。
「気合が入っているのはわかるけど、いちいち僕に絡んでくるな。下手につるんでいると、遥のファンで嫉妬する男たちの視線が怖いんだよ」
「まーたそんなこと言うんだから。気にしても変わんないってば。今日はちゃんと用があるの」
「……一応聞いてやる。なんだよ用事って」
「ひつまぶし? じゃなかった、ひまつぶし?」
すごくイラっとしました。
一音ずつ区切って言う所が余計に腹立たしい。
「お姉さんとしてはボッチで可哀そうな弟くんに癒しを与えに来たんだよ。ほら、砂漠の中のオアシス的存在、みたいな!」
「誰が弟だ! 僕らには血縁関係なんてものはないから!」
「じゃあ、ラブラブな恋人?」
「おい、平然と嘘をつくな。まずそのにやにやとした表情をやめろ」
「じゃあ、男と女?」
「最大限正しいんだけど誤解を招きかねないからそれだけはやめろ。お願いしますやめてください!」
意地悪そうな口許は、僕の一辺倒の謝罪でさらに上がっていく。それがわかっていても僕は半ば無意識で頭を下げていた。くそ、遥の奴わかってやっているな……。
どっと疲れが押し寄せてくる。指先で目頭を揉みほぐしながら、僕は息を吐き出した。
「もういい。頼むから早くどこかに行ってくれよ……」
「だから暇つぶしって言ったじゃん。彼氏が授業終わるまで待っているんだって。あーあ、学年が同じ三年だったらよかったのになあ」
「同じ年の男には惹かれないんじゃなかったのか。というか、また先輩に手を出したのか。高校の時に懲りたって言ってたはずだろ」
「手を出したって失礼ねー。優斗くんから抱いてくれたんだから。それに高校の時はバスケ部の先輩だったから仕方なかったの。あ、そうだ。聞いてよ」
「のろけなら他所でやってくれ」
僕がそっぽを向いて耳に手を当てる仕草を見せると、遥は慌てて僕の腕を掴んできた。
「ち、違う違う! そうじゃなくて、優斗くんの事なんだけどね」
少し口をつぐんで、珍しく言葉を選んでいるようだった。普段の明るい声ではなく、どこか周りに配慮したように静かな口調で遙は言った。
「なんというか、その、紋章があったの。お腹の所に」
「あー……」
なんと返せばいいのかわからず、曖昧な音が口から出て行った。
この国で紋章を持つ人間は『魔女の子』と呼ばれる。生まれ持って紋章を持つ子供も稀にいるらしいが、九割は後天的に身に着けるという。『幼少期から思春期に受けた身体的及び精神的なストレスが表面化して発症する』と言うのが、一般的な研究者の解釈だ。
そして共通して、彼らは差別対象にされてしまっている。
それは一年に一度、数百といる『魔女の子』からランダムでたった一人に『荒廃の魔女』の力が継承されるからだ。魔女の子から魔女になることで強大な力を手にし、人災を引き起こす。そして無差別破壊を繰り返した魔女は、自分の命を代償に願いを叶えることで、また次の魔女に力を託す。
このメカニズムは一切解明されていないため、人々は理不尽な暴力を恐れるしかなかった。一部ではそんな魔女の子たちを排除しようと暗躍している集団もいると、SNSではそんな根拠のない噂が出回っていたりする。
「気持ちはわかる。僕も前に迷ったことがあったから」
「……うん」
「あいつらも同じ人間で、たまたま紋章があっただけのことだろ。それに彼氏さんが魔女になるって決まったわけじゃない。そんなこと考えたってどうしようもないさ」
「そう、だよね……でも」
僕の知り合いにも魔女の子がいる。会えば挨拶もするし、言葉を交わせば笑い合える。なんら無害な友人だ。だが僕が力説した所で、遥の不安材料を取り除くことは出来なかったようだ。僕の言葉に頷いているが、まだ歯切れの悪いままだ。
そんな遥の様子を見て、胸が苦しくなり、この場から逃げたくなった。まるで過去の自分を見ているような気分だった。
「じゃあ僕は講義があるからこれで」
「ああ、待って待って! せめてあと五分くらい」
「おい、ちょっと。服が伸びるから引っ張らないでくれ!」
無地の安物のTシャツの裾がぐんぐんと伸びる。僕の抵抗構わず引っ張り続ける遥の手を半ば強引に引きはがした。まだ何か言いたそうにしていたが、逃げるようにして次の教室へ向かう。背中から「女の子の相談くらい聞きなよ! これだからモテないんだぞー」という文句が聞こえた。ったく、余計なお世話だっての。
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