86. 不審な灯り

 ルゥルリィの強化から数日が経った。今日もいつもの如く、夜の狩りに勤しもうとコークスローの防壁を越える。


「……ん? 灯りか? こんな時間に?」


 遠方に薄らと灯りが見える。北西方向、アースリル方面への街道沿いだ。


 この周辺に灯りを放つような魔物はいないはず。おそらく人間なのだろうが、普通に考えて、この時間に人間が出歩くことはまずない。よほど差し迫った事情があるのか、さもなくば無謀か酔狂のどちらかだろう。


 ひょっとしたら、初日の俺のように、狩りにかまけてコークスローへの到着が遅れてしまったのかもしれない。だが、俺には他の可能性も思い浮かんでいた。


「まさか、シャスカじゃないよな?」


 コマタが言うには、夜になると性格が変わり、放っておくと一人でどこかに出て行こうとするらしい。気づいてからは、シャスカを一人にしないように気をつけているとのことだったが、万が一という可能性もある。


 誰であるせよ、気になった。今は夜。宵闇の外套があれば、気づかれずに接近することができるだろう。


 灯りの主はゆっくりと移動しているらしく、俺自身の敏捷の高さもあって、程なくして追いつくことができた。暗視スキルもあるので、ある程度まで近づけば顔もわかる。


 暗がりの中、ランタンを手に無表情で歩くのは、知った顔だった。名前は知らない。ときおりファントムに絡んできたヒュムの探索者だ。どこかのパーティーのリーダーだったはず。だが、今は一人で歩いている。


「アイツか」

『シャスカじゃなかったね』

「そうだな。だが……」


 ペルフェと小声で話す。とはいえ、この距離なら向こうに聞こえていてもおかしくはない。だというのに、ヒュムの探索者は何の反応も示さなかった。


 そもそも、魔物の異常発生の最中、夜間に一人で出歩く時点で正気とは思えない。もちろん、何事にも例外的な存在はいるが。


「口は悪いが、突拍子もないことをするタイプには見えなかった。本人の意思ではないのかもしれんな」

『シャスカみたいに?』

「……そうか。そうだな」


 俺が思い浮かべたのは、コークスローで起きているという失踪事件だ。夜間、気づかないうちにパーティーメンバーが失踪するという怪事件。今まさに、コイツは失踪するところなのではないか。


 それに、ペルフェが言う通り、シャスカの症状にも似ている。そもそも、シャスカかもしれないと思って、ここまで追ってきたのだった。


「ともかく、見過ごすわけにはいかんな」


 あまり好意的ではない相手とはいえ、敵対しているわけでもないのだ。俺の知らないところで事件に巻き込まれるのならともかく、目の前でおかしな行動をしているのをそのまま放置するというわけにもいくまい。


「おい、アンタ」

「……なんだ、ファントムか。いったい、どうしたんだ、こんなところで」


 声を掛けると、ヒュムの探索者は表情のない顔を一変させ、笑顔を浮かべた。


 絶対におかしい。昼間でも、コイツに笑顔を向けられたことなんて一度もないんだが。それに、夜にいきなり声をかけられたら、警戒するのが普通だ。まともな状態でないのは確定と見ていいだろう。


 だが、どうしたものか。ステータスを正常化するのなら、法術系統のアーツを使えばいいのだが、俺には心得がない。回復アイテムの類なら多少は確保してあるものの、今のコイツに何を使えば良いのだろうか。


「用事がないのなら、俺は行くぞ?」

「ああ、いや、ちょっと待て」


 考えていると、早くもヤツは去ろうとしている。打開策は思い浮かばないが、とりあえず呼び止めるしかない。


「なんだ?」

「いや……そうだな。アンタこそ、なんでこんなところに? パーティーメンバーはどうしたんだ?」


 ひとまず、ヤツがこの状況をどう認識しているのかを知るために質問してみる。もしも、ヤツの奇行が状態異常に起因するなら、おそらくは精神系統だろう。話してみれば何かの拍子に正気に戻る可能性もある。そんな思惑もあった。


「俺か? 俺はもちろん、夜の散歩さ。パーティーメンバーとだって常に一緒にいるわけじゃない。何の不思議もないだろう?」

「いや、不思議だろ。魔物が異常発生しているのはアンタだって知っているはずだ。こんなときに、夜に一人で移動する? 正気の沙汰じゃないぞ」

「……お前だって、一人じゃないか」


 ぐぅ……明らかに正気じゃないヤツに、正論を言われるとは……!


 だが、スルーだ。いや、論破されたわけではない。俺にはペルフェやルゥルリィがいるからな。


「アンタがまともな状態なら、こんなことをするとは思えない。自分がおかしな状態である自覚はないのか?」

「俺が……おかしい?」


 俺の言葉に、男の表情が抜け落ちた。正気に戻ったのかという期待も一瞬。ヤツはランタンを左手に持ち替え、武器の長剣を抜き放った。


「俺は……俺はおかしくない!」


 男は躊躇なく切りつけてくる。だが、その動きは洗練されているとは言いがたい。ただ、がむしゃらに剣を振っているという印象を受ける。


「っち! 錯乱状態か!」


 そういえば、シャスカも夜間のことを尋ねると取り乱すというようなことをコマタが言っていたな。あまり問い詰めると、自分の中でも整合性がとれなくなって、混乱するのだろうか。


『どうするの?』

「どうするって言われてもな」


 錯乱状態のせいか、男はアーツすら使わず、ただ無闇に剣を振るだけの相手だ。反撃するのは容易いが、だからといって魔物のように倒すわけにもいかない。


「まあ、とりあえず無力化するしかないか」


 単調な攻撃なので避けるのは難しくないが、そのまま放置しておく必要もない。落ち着いて考えるためにも、コイツを大人しくさせた方が良いだろう。


じっとしてろ!威嚇の叫び


 まずは、咆吼スキルで竦ませる。長くは続かないが、本命は別だ。


「ルゥルリィ! 眠らせろ!」

「あい!」


 移動の関係で宿環に籠もっていたルゥルリィが返事とともに姿を現す。そして、男に両手を向けた。


「眠れ~♪」


 立ち竦む男の足下に無数の花が咲く。樹魔術によって生み出した眠りを誘う花だ。その影響をまともに受けた男は、意識を失い崩れ落ちた。


「よくやった、ルゥルリィ」

「えへん!」

『僕の出番はなしかぁ』


 さて、大人しくすることはできたが、コイツをどうするか。目を覚ますと正気に戻るというのなら助かるのだが……さすがにそう甘くはないかな。

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