第5話 立浪草の墓標 その参
そうさな、立浪殿がこの地に居を構えた頃の事から話そうか。
立浪殿がこの村に来た当時の儂はまだ二十にもならぬ若造で、立浪殿はその時四十程の歳であった。
お主も知っている通り、魔祓いというのは歓迎されぬものだ。気味悪がったり、怖がって避けたり、中には石を投げる者もいた。
儂の父親はそれを哀れに思ったらしく、懇意にして立浪殿の大刀を研いだりしておった。それ故、儂も自然と立浪殿と歳を越えた親交が生じた。
立浪殿は村人共の罵りを意に介さず、いつも飄々と笑っていた。当時の儂はそれを不思議に思っていた。
「なぜ怒らないのか」と聞いたこともあった。
しかしそれにも立浪殿は笑って「大したことでは無いからさ」と答えただけだった。
そこから数年経ったある日、大型の塊が村に襲いかかってきた。原因は伝えられておらぬ故、儂も知らぬ。
圧倒的な闇に、村の全員が終わりを覚悟した。目の前に迫る闇に逃げることすら出来ず死を待つのみだった。
しかし、そこに立ちはだかったのが立浪殿だった。
立浪殿は身の丈ほどある大刀を構えると、目の前の闇にそれを切り込んだ。
瞬にして、闇が2つに分かれた。
分かれた闇の片方は燐光に包まれ消えたが、まだ消えぬ方は死に物狂いで立浪殿を取り込もうと覆う。
しかしそれも、散り散りとなって吹き飛んだ。
立浪殿が神の如き速さで振るった大刀が周りを斬り払ったのだ。
闇はもはや小石の大きさとなり、その内泡のように弾けて消えてしまった。
これが最初に立浪殿がこの村を救った日だった。
この日を境に村の人々は手のひら返しに立浪殿を神だ仏だと崇めた、儂は都合のいい話だと思った。
そこで儂はもう一度聞いた「なぜ怒らないのか」と。
やはり立浪殿は前と同じように「大した事では無いからさ」と言って笑うだけだった。
儂が二十五となる頃、立浪殿が十にもならぬ程の一人の子供を連れてきた。その子供はその時でさえ首根っこを掴まれながらも立浪殿に食って掛かろうとするほどの荒い気性を持っていた。
それが後の睡蓮、お主の師匠だ。
立浪殿が言っていた事には、睡蓮は戦で親を亡くした男だったらしい。それ故に刀を持つ者をとにかく嫌っていた。
村に四禅弥右衛門殿の部下が依頼していた刀を受け取りに来た時も、罠を仕掛けていたが為にて
立浪殿にしこたま怒られておった。
さらにはよく修行を逃げ出そうとしたり、怠けようとしたりしておった。その度に修行をきつくされている姿を良く見たものよ。
月日は流れ、睡蓮が修行を終えて村を出る頃には儂は三十五を越え、立浪殿は六十を越えた。
睡蓮は連れてこられる前とは見違える程の色男となったが、傍若無人な性格は治らんでな、村を出る時まで暴風のような奴だった。
立浪殿が言うところには、弟子で1番優秀にも関わらず、奴は立浪草という名を受け継ぐのを嫌がって、自分より一つ下の兄弟弟子に任せ旅に出たらしい。いくらタッパが育っても根っこは変わらず糞餓鬼だったと言うしかない奴だった。
村を去ってからも睡蓮は年に何度かはこの村に帰ってくることがあった。
そしてその度に修行として立浪殿と手合わせをしてはいつも打ち負かされていた。それはもうボロボロにだ。
また月日は流れ、立浪殿が七十の頃、その頃には立浪殿は段々と目が見えなくなっていった。
長い間村を塊から守り続けた立浪殿にも限界が訪れたかと誰もが思った。
しかしそうでは無かった。
立浪殿は言っていた、「死神は俺の死に際に目より良い物を俺に授けてくれた。」と。
しがない鍛冶屋の儂にもわかった。その剣筋は、剣聖の域に至るのでは無いかと思うほど冴え渡っていた。
睡蓮も言っていた、「師匠は目を失ってからより強くなった。」と。
そこから五年程経ったある日、塊の大群が押し寄せてくるという伝令が来た。
立浪殿はそれに一人で向かっていった、立浪殿の元で暮らしている弟子たちは依頼に出ていたがために居なかったからだ。
あらゆる方向から押し寄せる塊は、立浪殿の周りに近づく度に塵となって吹き飛んだ。
大刀たった一振が黒い波を割っていく、まさに神話の如き光景だった。
戦いは夜になっても続いていた、闇夜に大刀が振るわれる音が暴風の様に響き続け、燐光がいくつも立ち昇った。
何刻経っただろうか、気づけば朝になっていた。大刀が振るわれる音は聞こえず、黒い波は跡形もなかった。
立浪殿は村の外で立ち尽くしていた、一体どうしたのだろうかと、若者の1人が様子を見に行った。そして次の瞬間慌てだした。
立浪殿は死んでいた。体に傷一つ無かったが、その心の臓は止まっていた。その姿は武蔵坊弁慶を思わせる仁王立ちだった反面、死に顔はとても穏やかだった。
誰かが知らせたらしく、村を去った弟子や依頼を終えた弟子達が急いで帰ってきた。
しかし睡蓮は帰って来なかった、「師匠に勝てなかったことだけが惜しい」という文をよこしただけだった。薄情な奴だと思ったものよ。
立浪殿は手厚く葬られ、大刀は墓標として鞘ごと突き立てられてな、今でもそこに残っておる。
それが三十年程前の話だ。
それ以降の事だった、村の近場で乱や戦が起きても塊が出ぬことが少なくなったのは。
村人は最初は不思議がったものだが、今じゃ気にせぬ者も多い。
中には立浪殿の事すら忘れてしまう恩知らずの輩までおる程だ。
しかし儂は、立浪殿は死後も塊にならず、生前の如く「楔」となってこの地を守ってくれているのではないかと信じておる。
まぁ、大した根拠といったものは無いがな。
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