水と光の森

青山ごう

プロローグ

 薄暗い影に包まれたコンクリートの上方に、青いクレヨンで書き殴ったような長方形がぽっかりと浮かんでいる。目が暗がりに慣れていたせいで、出口に向かって急角度で伸びる階段の先のほうが光の中に溶け込んで見える。まるで天国の扉が開かれたかのようだ。溢れ出した空の青さの向こうから誰かが手を差し伸べているかのような錯覚に襲われる。

 サン=サーンスの『Le Cygne』をピアノが静かに奏でている。こんなときなのに、いや、こんなときだからこそ聴きたくて一曲だけリピートにして、さっきからずっとあのやさしいメロディがイヤフォンの中で流れ続けている。


 会いたい。一秒でも早く。


 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。

 胸の裏側の奥まったところから、穴の開いた風船のようになにか掛け替えのないものが零れ落ちていく。両手の掌を一杯に広げて掬いとろうとしても、決して堰き止めることができない。キュッと胸が締めつけられる。

 自分はどうなってもいい。あなたを奪おうとするどんなものからでもあなたを守りたい。ただそれだけだ。ただそれだけなのに——その想いの強さに心を打たれる。

 誰かに対して、何かについてこんなに強い想いを抱いたことは一度もない。自分の中にこんなにも強い気持ちが芽生えていることに、我ながら驚かされる。

 この薄暗い階段をもうあと数段登れば、あなたに会える。もうすぐそこにあなたはいる。

 と同時に不安に襲われる。もう二度と会えないのではないかという理不尽な不安がこみ上げる。胸が締めつけられ、体がバラバラになりそうになる。

 すぐそこに、あなたはいる。

 なのに、そこにはいないとあなたは言う。

 クレヨンで書き殴ったような真っ青な空が長方形の扉の向こうに浮かんでいる。光の渦の彼方に浮かぶ空は果てしなく蒼い。

 どう見ても世界は希望に満ちているようにしか見えない。

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