老人、異世界を語る

水攻めで僕が死なないと彼らは暫くして理解したようで、彼らは少し牢獄を後にし、おそらく『次の拷問何しようか会議』を絶賛開催しているであろう、そんな矢先だった。


「やあやあ、魔法使いの方。少しお話ししませんか」

牢獄に繋がるの地下道に声を響かせながら人が近づいてくる。

声の主はあろう事か今まで通じなかった日本語を喋っていた。それどころか。

「葉多!葉多!お前が何でここにいる!」

その人物に僕は見覚えがあった。それどころか知己だった。葉多は困った様な顔で言う。

「葉多?はて誰のことでしょうかね。私の名前はブブゾですが。

お初にお目にかかります。何やら訳のわからない言葉を発する人物がいるとの事で、気の狂った魔法使いだとか、それで私は駆けつけてきた訳ですよ。

日本語を喋るのは久しぶりですね。

こうしてまともな生活が出来るまでにかなりの時間と苦労を要しました。それに比べて貴方は運がいい。先駆者がこうして今目の前にいるのですから」

ブブゾ?冗談もいい加減にしろ。こいつの顔はどう見たって葉多そのものだ。ここまで似ていて他人の空似という訳でもあるまい。もういい加減僕を困惑させるのはやめてくれ。

「葉多。お前もまさかこの異世界に来ていたとはね。びっくりしたよ」

「だから私はその葉多某では無いと言っているでないですか。

しつこいですよ。それに貴方。私にそう馴れ馴れしく話しかけますがね、私はもう還暦を過ぎているんですよ?

老人にはそれなりの敬意を持って接して貰おうじゃありませんか」

確かに、葉多にしてはやけに落ち着いた喋りをする。

異世界には確実にいる実感があるし、僕を騙す如きの所業でこんなことまでするだろうか。やはり僕の目の錯覚か。こういった魔法があっても可笑しくはない。

「ブブゾさん。話に来たならまず、私と彼をこの牢から出してくださいませんか?」

「そうですね。取り敢えずそうしましょう。私の屋敷の客間でゆっくり話を聞きましょうか」


 ***


「さて、それでは話を始めましょうか」

豪奢な客間だった。そこらに細かい装飾の施された調度品が並び、正面には暖炉、僕とワシリーサさんは葉多に促されるままに大きなソファーに座り、彼に向かい合った。彼と僕との間には小さなテーブルもあり、その小ささと利便性の低さが、この部屋の豪奢な有様を象徴している様だった。

「貴方もやはり日本からいらしたのですか?」

「ええ。ですが僕にもよく分かっていないのです。僕は隣のワシリーサさんに促されるまま、この異世界にやってきたのですから」

「なるほど」

今度は彼はワシリーサさんの方へ向きを変え、鼻の下を摩りながら問いかける。

「では、ワシリーサさん。貴方はどの様にしてここまでやってきましたか?」

「いえいえ、私にもよく分かりません。

木幡さん。そもそもよく覚えていないのですが、私たちははっきりいつからこの世界にいましたっけ」

ワシリーサさん?貴女がこの世界に僕をつれてきたんでしょう?それじゃあ僕達、本当に元の世界に帰れないんでしょうか。いやあ、困った困った(笑)。

葉多はどうやら困り顔だ。葉多の困っている顔なんか初めて見るが、やっぱりこいつは葉多の様に見えて本当はブブゾという老人なのだろう。取り敢えず現実から目を逸らすためにこの会話に興じるとしようか。

なんかみんな落ち着いているし。


「そうするとブブゾさんもやっぱり日本から来たんですか?」

「ううむ」

ブブゾは唸り、小さいが確かな覚悟をして改めて話に臨む姿勢を見せた。

「やはり、礼儀としてまず私から、この世界に来た経緯を説明しなくてはなりませんね」

そうして、ブブゾは今までの経緯について覚えている限り仔細に話し始めた。

「まず私は、この異世界に来た、と言うよりも召喚されたらしいのですよ。

ここは貴方方とは明確に違う。それが私に貴方々について元の世界に帰れる希望を見出している訳ですが。

もうこの世界に来て数十年になりますがね。当時の私は職についていて。そりゃもうバリバリのサラリーマンでした。とはいえ、男女の交際も芳しくなく、冴えない男でしたがね。

突然のことでした。通勤中の私は光に包まれました。それから私は暫く気絶していたのですが、目が覚めたら手足を縛られ、何だかよく分からない魔法陣らしき紋様の上に置かれていたのです。

幸い場所は汚い地下牢なんかではなく、結構立派な屋敷の一室でした。


暫くすると誰かが降りてきました。それが他でもない、私の恩師、ロロルデルネさんでした。

最初、彼女の喋っている言葉は全く理解できませんでした。

恐らく向こうも同じでしょう。

相互に全く言葉も通じないまま、私は簡易的な食事を与えられ、まあ手足を縛られているこ以外は筒がなく健康な体を維持できて居ました。

糞尿ですか?そうですね、其の時だけは部屋を連れ出され、厠の様な場所へ連れて行ってくれました。

初め私は仕方なく漏らす事しか出来ませんでした。その後彼らが厠に連れて行ってくれるのです。

何せ、此処は異世界で厠の形とか、そこまでに至る屋敷の構造だってめちゃくちゃだったのですから。

つまり、めちゃくちゃなのはお互いに同じことで、ここで一番やってはいけないのはお互いがお互いの世界の物事を間違って理解してしまうことですよ。

しかし、このままでは駄目だと考えた私はトイレに行きたい時には必死に『漏れる!漏れる!』叫びました。

ここで大事だったのはそれ以外の言葉を発さなかった事です。

なにしろ、僕をここに呼び出した理由が何であれ、まず必要なのが相互理解ですから、そのためにはまず互いの言語を理解しなくてはなりません。

ハリネズミのジレンマと言いますか、そこからお互いの常識を知っていくのですから。とにかく、トイレだけに関して言えばファーストコンタクトはすぐそこです。

彼女は、暫くして、その『厠の様なもの』の小さな模型を持ってきて、黙ってそれを私の手前に持ってきました。

これが何かを答えろと言うことか?と私は考えたので私は言いました『トイレ』

次に彼女がしたことは私を厠に連れて行った看守を連れてくることでした。彼女は彼らを自分の前にやりました。

私は答えました。『かんしゅ』

彼女は頭を抱えて暫く姿を見せませんでしたが、暫くすると戻ってきて、その手には腕となにか鋭い杭の様なものを持っていました。

腕を置くと、中には水がいっぱいに張られていました。彼女はその側面を杭でくり抜き、その穴からは勢い良く水がこぼれ出てきました。

そうです!私は思わず指を差し叫んだ『漏れる!』どうです?私も彼女も感動して思わず泣いてしまいました。

その間にも私は『泣いている!私は今泣いている』と叫んでいました」

彼はその数十年越しの思い出話に自分でほのかな感動その顔に浮かべ、話していた。

「あら、口元がにやけていまわすよ」

彼女は僕に向かって言った。不意のワシリーサさんの指摘に、僕は自分が何かに満足していることに気がついた。

一体なにに満足すると言うのだ。確かに彼の話は面白いかもしれない。

しかし、それからくる満足感とは何か違う、そんな満足感を僕は確かに感じた。

「いやあ、それからの日々はトントン拍子に進みましたよ。

私が何かを言えは彼女は給仕に命じてその音を記す。それを分析して彼女は着実に日本語を理解していきました。

ある時は彼女は私を外の世界に連れ出して、竜車を引いて旅に出かけました。彼女は事あるごとに外の物を指さしてそれが日本語で何と言うのか聞くのです。

私に関わる人間は日に日に増えていきました。

それでいよいよ、私が布に文字を書く時がやって来たのです。私の口と手が止まることは数年間ありませんでした。

数年後、彼女はすっかり流暢な日本語を喋れる様になっていました。多少語彙力に欠落はありましたが。数年の成果にしては凄まじい理解力と言えるでしょう。

そうして彼女は私に言ったのです。

『亮太郎。私が今から君にこの世界の言葉を教えよう』ってね!」

彼はそれで一応、一通り話を終えたようだった。

僕もワシリーサさんも黙って彼の話を聞いていたが、それは余りに体験談としては物語的過ぎて、いややっぱり物語であるべきなのだろうか。嘘を上手くつくコツは、絶妙に体験談を織り交ぜるものだし、恐らく多くの捜索に携わっている人間は自らの体験談をその成果物に織り交ぜているだろうから。

「感動的なお話をありがとうございます」

 ワシリーサさんは老人に微笑みながらそう労った。彼女は続ける。

「それではロロルレルネさんはいまどこに?」

おいおい、それはまずいんじゃあないか?この異世界は見知らぬ人間に対し平気で拷問を施すような世界だし。死亡率も元居た日本よりも遥かに高いだろうに。

まあしかし、結果から言えば僕の心配は唯の杞憂に終わった。老人ははしゃぐ心を抑えて元気に答えたのだから。

「そうですね、私達、同じく異世界から来た者同士じゃないですか、折角ですしロロルレルネさんもこの場に招こうと思います。

きっと何か貴方々にも良い発見があるに違いありませんよ」

葉多の恩師に当たる人物か。


「木幡さんには彼が葉多さんに見えるのですよね?そうなれば、彼の恩師に当たる人物ですから箕谷先生がもしかしたら出てくるかもしれないですね?」

彼は静かに、上品な仕草で召使にロロルレルネなる人物を呼びにやった。

ブブゾという老人が葉多に見えるのも単なる幻覚であろうに、その恩師が出てきたら箕谷先輩の姿をしているか。全く馬鹿げた妄想だよ。

僕が一方的にみている幻覚だって言うのに、それも無意識に。例えそんな事態になったとして僕に何の得があるって言うんだ。

「少し時間がかかりますが、お待ちください。

そう言えば、この国のことはお二方、あまりご存知ないでしょう?この会合が終わったらすこしこの国を見て回りましょうか。

私も久々に元の国の言葉で話して興奮している所です。

そう言えばこの世界に来てから、言葉の通じない関所の門番に果敢にも話しかけ、捕縛されたと聞きましたが全く災難でしたね。

恐らく貴方々の事を怪しい呪い師か何かだと勘違いしたのでしょうね。

これから見るこの世界は、それ程残酷に満ち溢れてはいないですよ。私がこうしているからには大丈夫です。

彼女と少しここで話したらすぐにでも出かましょう!私も楽しみですよ。同郷にこの世界を案内するのは」

まあ、それは嬉しいが、着実にここに数十年単位で留まる流れになっていないか?

まあここだって探したら当然元居た日本にも勝る魅力があるかもしれないが、それだって観光気分で物見由山な気持ちがあってこそだよ。

それがなくなれば、そう、全部が全部東北に毎年大量降り積もる雪みたいなものになってしまう筈だ。


「それにしても、やっぱり実感が持てないのです」

「というと、この世界にいるという事がですね」

「違いますよ。

この異世界の存在が信じられないという事ではなくて、そうですね。僕には自覚が必要なんですよ。それはその『忘れている真相』を実感する事で漸く得られると思うのです」

「言っている意味がよくわかりませんな。まるでそれじゃあ貴方が世界の中心であるかの様に聞こえる。世界の前に先ず貴方の意識がある、みたいな」

彼の口ぶりは酷く無粋な様に思えた。それをあくまで口に出してしまうには、僕はこの世界で余りに大きな気づきを得てしまったから。

「少し、出かけてきて良いですか」

「それまたどうして?この世界から帰れる算段がついたのですか?

それなら帰る前に是非私にも教えて頂かないと。そうでなくちゃ、そうでなくちゃあんたをまた帰れないように牢に拘束しますよ」

「そうですね、多分元の世界に帰れるでしょう。それでそのついでに貴方も元の世界に帰す事も恐らく出来ます」

「そうですか!是非、その方法を私に教えて下さいませんか!」

「それがですね、無理なんですよ。ブブゾさんは自力でこの世界から脱出することは絶対に出来ないのです」

「どうして?私を揶揄っているのですか?私は、元の世界に帰るためにあらゆる努力を尽くしてきたのですよ。

そのはしかけを貴方々にも話したでしょう?その後も、こうしてこの屋敷の主となった後も、莫大な財産を投じて元の世界への出口を探してきたのです。

最早これは私一人の夢じゃない!最早これは事業なんですよ、多くの仲間が出来た、彼らもその『出口』の発見を熱望している!それなのに一体どうして!」

今思い至ったが、仮に僕がこの老人を元の世界に連れ帰るのだとしたら、結果的に僕は彼を殺したも同然なんじゃなかろうか。

「むしろ僕が心配しているのはそれですよ。僕らが帰る方法は貴方の事業とやらを台無しにしてしまう物だし、その上で貴方はもう、この世界に残したものが元の世界に比肩するくらい多くなってしまってるんじゃないですか?

僕が貴方を連れ帰るのは貴方のこの世界での人生への完膚なきまでの否定なんですよ。

それに、どうですか。

元の世界に戻った所で戸籍もない、縁故もない、そんな透明な老人が元の世界で生きていけるとでも言うのですか?僕は、貴方を抱えて今後の人生を生きるなんてごめんですよ」


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