僕とワシリーサさんの、異世界のあるきかた!

「ほら。本当にあったでしょう?異世界」


ワシリーサさんがどうやら興奮して言っている。僕にとっては全く状況に頭が追いついていないのだが、彼女にはここを抜け出す算段でもあるのだろうか。

しかし、意外なことに、僕もそこまで焦りを感じていない。余りの展開に頭が追いついていないという事も当然あるだろうが。


「ワシリーサさん。これ僕達多分帰れなくなっちゃいましたよね?どうしましょうか。ねえ、こんな状況だって言うのにどうしてそんなに落ち着いているんですか。

何か企みがあるんだったら僕に隠さず話してくだい。ここは何処なんですか?僕達は帰れるんですか?」


「大丈夫ですよ。そのうち帰れる筈です。それよりせっかく異世界に来た事だし、見て回りましょうよ。この世界を」

ワシリーサさんは駆けだして門まで行き、そうして門番に日本語で話しかける。

「すいません!道を聞きたいのですが」


門番は何やら鎧を触り出し、意味深長な動作を始めた。彼女は門番の理解できない挙動にも臆さず果敢に話しかける。

門番は先の動作を繰り返すが彼女の変わらない姿勢に折れた様で、漸くその動作をやめて口を開いた。


「*** ** ****」

案の定、聞き取れなかった。少しだけ懸念していたがその言葉今まで聞いてきたどの言語とも違っていた。異世界なんて一口に言っても様々だろう、僕は剣と魔法のヨーロッパ風ファンタジーを想像していて事実この風景を見て納得していたのだが、やっぱり日本語は通じなかった。


ワシリーサさんは英語、それから出身の国の言葉で続けて挨拶の言葉を言ってみたがまるで通じなかった。

さて、残るは身振り手振りしかないのだが、漠然とした不安がある。


彼女も言葉でのコミニュケーションを辞め、身振り手振りで『私と、彼に、地図を、下さい』と僕からすれば十分人伝わる動作で臨んだ。

それでも門番は首を傾げるばかりで、彼女の動作も次第に大振りになっていった。


しばらくすると門番はなにか納得した様で、壁の向こうに行って、内から門を開けてくれた。


***


「それで、今に至ると言うわけですね」


僕らが今どうなっているかと言うと、両手を拘束されて、何やら役所の地下牢に入れられている。

ここまでの経緯を簡単に説明すると、そう関所の門番が簡単に通してくれるはずもなく、僕らはまもなく拘束され、役所まで馬車で運ばれてしまったのだ。


役所でも、小さい部屋に通され役人の様な人から訳のわからない言葉で話しかけられたが、やっぱり暫くすると話そうとするだけ無駄だと思われ、牢に入れられた始末だ。


しかし、ここまでくるために乗った馬車たが、香車は元の世界でよく見た馬車のものとそう変わらないのだが、それを引いていたのは馬ではなかった。そうだな、近いと思ったのはイグアナだな。恐竜とトカゲの狭間にいる様な見た目の生き物だ。

それならば竜車と言った方がいいのか?


しかし、碌に異世界人とコミニュケーションを取る事もできず牢屋に閉じ込められると言う段にまで至った訳だが、ここから良い展開に向かう描写が全く浮かばない。

当たり前か。こうして落ち着いて過去の回想までしてしまうのだからこの世界に来てからの自分の胆力には驚愕してしまうね。


そういえば勘違いしていたのだが、彼らにとって僕らは外国人じゃない。この世界においては宇宙人に近い存在なんじゃないだろうか。共有する常識とか、それに基づいた言語も違う。人間という身体構造だけが同じなのだ。


全く、異世界人が『言語を口から喋っていて』よかった。文字もあるようだし、これならば数年単位で見れば意思疎通も可能になってくるんじゃあないか。


辺りを見渡せば、ファンタジーにありがちのすかすかで何か策を巡らせば抜け出せそうな鉄柵に、ひび割れた石の壁が小さく部屋を隔てている。

僕を連れてきた看守は柵の鍵を閉め、そのまま何処かへ消えてしまった。


蝋燭の薄明かりが泥に塗れた僕の肌を照らす。ワシリーサさんの上品な着物も泥で煤けてしまっていた。

異世界に来てから一時間、牢獄に囚われてしまった。恐らく、もっとやりようはあったんじゃ無いかと思う。少なくとも、言語も通じないのに迂闊に人に話しかけるべきではなかった。


僕らのことを何か怪しい人間だと思い取り敢えず役所に連れてこられ、なあなあで事情もよく分からないままにこの牢獄に閉じ込められてしまったんだろう。


異世界と言ったら意味もなく何故か日本語が話されているかと思いきや、そんな事は無かった。まして僕らと彼らでは共有する常識すら全く違う物なんだろう。倫理観だって元の現代社会とは違う。しかし、やっぱりこのまま現代に戻れないのだったら誰かとコミニュケーションを取らなければいけない訳で。


「ワシリーサさん、僕達このまま殺されるかもしれませんよ?」


「そんな事は無いですよ。少し学のある人々から見れば私たちは興味の尽きない存在になれますから、最もそのような人がいればの話ですが」

「どうして、こんな状況になっても落ち着いていられるんです?ワシリーサさん」


「私は妖精ですからね。その気になればここから抜け出せますし。貴方もそうですよ。貴方がそうしないだけで、その気になればこんな状況切り抜けられるでしょう」

そっか。日本に帰れないとしてもワシリーサさんは妖精だし。妖精って結構曖昧な存在だもんなあ。もしかしたら彼女は死とか、言語や常識でさえとらえられない存在なのかもしれない。


僕でさえその気になればこの牢獄を抜け出せるなんて冗談は置いておいて。そう、僕も異世界に転移してしまったからには例の如く、何かしらギフトが与えられているのかなと思っていたのだが、そんな事はないらしいと分かった。僕は無能力だ。それを確かめるために変な動きとか 謎の呪文を唱えたりした。


しかし、こんな状況になってさえ僕は落ち着いている。まるで彼女の言う通り、その気になればこの状況から脱出できるかの様な余裕ではないか。



「*** * **** **」

この看守が同じ言葉を都度に繰り返しているのは分かるのだが、意味が汲み取れなければただの無意味である。


そのうち拷問が始まるのでは無いかと恐れながら考えていた矢先、また別の看守が桶を持ってきた。桶には水が張られている。その時点で、僕には大方の予想がついた。



数人がかりで僕の等身大よりも少し大きい桶を運んできた。僕はそこにまた、数人がかりで放り込まれた。

桶の中は暗く、周りが見えない。ただ天井に何か注ぎ口があることだけは分かる。

天井から水が流れてきた時、彼らはいよいよ僕のことを本気で殺すつもりで拷問を始めたのだと理解できた。


桶によって外の声が遮断され、上手く聞こえないが、看守は先と同じ言葉を繰り返している。通じないというのに、まったくこいつらは分からんのか。

彼らの戯言は僕にとっては死刑宣告に等しい。


「ワシリーサさん。僕このままじゃあ本当に死んでしまうのですが!」

「大丈夫ですよ、気をしっかり持って。ここで貴方は死んだりしません。」

「拷問で情報を引き出せずに捕まった奴が死んだらそりゃ拷問失敗だからな!本末転倒だからな!」


「いや、拷問で人は死にますよ。そんな例は貴方が沢山の知っているはずです」

「それじゃあやっぱり死ぬじゃないですか」

「いいえ、死なないです。なにしろこれは現実ですから」

「現実だから死ぬんじゃないのか!」


「それとも貴方はこれが現実ではなく、単なる妄想、小説の一節だとお思いですか?」

「いいや、そう思いたい所だけれど!肌に感じる水分が、この泥臭い匂いがやっぱり現実に違いないよ」


「それではやはり、先に言った通りですよ」

一体どうして?僕があの『ある一つの真実』を知らないからか?単に知らないってだけで僕の生死すらも分かとうというのか!

桶に水が溜まり始めた。このままでは桶の水が一杯になって僕が溺れ死ぬのにそう時間はかからないだろう。しかしどうして、彼女は僕を助けるよう看守に言ってくれないのだろうか。


彼女は妖精だから、もしかしたら現地の言葉は喋れなくとも何らかの意思疎通を彼らと計れるかもしれない。

そうだよ。なんで彼女は何もしてくれない。僕が死んだって何にも思わないのか。冷蔵庫みたいに冷たい女だな。


「ワシリーサさん!何とか彼らと意思疎通が出来ないのですか!」

「出来ますけどね。ですけれど貴方はその気になればこの様な拷問乗り越えられますから。私が態々彼らとコミニュケーションをとらなくてもいいと思うのです。

勿論、思っている事を念じてメッセージを彼らに送り意思疎通を測る事は可能です。でもそれにはかなり体力が必要でして。無闇にやりたく無いのですよ」


「でも!僕このままじゃ死んじゃいますよ!」

「だったら死ねばいいではないですか。貴方は常々死にたいとおっしゃっていたではありませんか」


今完全に理解した。彼女は僕を謀ったのだ。僕を殺すために、何者かに依頼されて、こんな証拠も残らない場所にまで連れ込んで、確かに精霊だったら都合よく現れたり消えたり出来て、足もつきにくいし。

おもえば今迄不可解な行動が多かった。いや、そもそも冷蔵庫の精なんて存在が馬鹿げている。この世界も含めてまるで、まるで何だ?何だっていうんだ?まあいい。


「ワシリーサさん。じゃあ一つだけ聞かせてください。誰に頼まれて僕にこんな仕打ちをしたんですか」


桶の外から返答は返ってこない。

ああまさか、自分の死場所がこんな珍妙な場所になるとは。たが、よくよく考えてみれば死ぬしか無い状況であれば、僕の抱えているしがらみを気にしなくて済むのではないか?


僕がこれから死にゆくのは仕方のない事だ。増していく水嵩に情状酌量を求めても何も返ってこないだろう。


僕の趣味はここで続けることが出来なくなり、それはいずれ寿命を迎えれば同じことが起こる。僕が死んで困る人何人か、彼らを困らせる事は忍びないが、僕には現状がどうしようもないので何をする事も出来ない。

だったら、今こそ自分の命を断つ絶好の機会なのでは?


苦しみながら死ぬ?まあ仕方がない。ともかく、こうして死ねる機会をみすみす逃すわけにはいかない。

むしろここで死ななかったら僕はやっぱり死にたくないという結論に至ってしまう。


その時、僕の思考を顧みた。

これじゃあまるで僕が死にたくないみたいじゃないか。

違うんだよ。そうだ、僕は死にたい訳じゃ無い、死ぬと言う行為の先にある何かを欲している。麻薬が欲しいと言っている奴は葉っぱが大好きな植物マニアじゃ無い。その先にある快楽を欲しているのだから。


死によって得られる何かを欲しているだけで、僕は死にたいわけじゃあない。畜生。まさかこんな死の間際になって解き明かさなくちゃならない疑問が見つかるなんてな!


気にすることはない。もうすぐ死ぬんだ。間も無く考えるまでもなく答えが出るじゃないか。

待とう。僕は何もしなくていい。何もしなくていいんだ。


その時、僕は何か気がついた気がした。そうだ・・・何もかも辞めろ。思考だけじゃない、足の力を緩めて、全身を水に任せるんだ。僕はそのうち呼吸すら辞めた。

身体が浮いている。

ぼんやりと、明るいような感じがした。



心臓の鼓動が今まで感じたことのないくらい強く体に響いている。

体が酸素を求め、血液が奔走している。全て、意味のないことだ。

そのうち僕は息を吹き出した。

溺れる。


かと思いきや、僕は何故が呼吸ができていた。皮膚の感覚やこの目に捉えている視界は水中そのものだ。にも関わらず呼吸ができている。ありもしない空気を肺に吸い込み、水の中に泡を吐き出す。

これは、これは・・・(何故か意識がぼんやりとして二の句が継げなかった。何か決定的な事を言ってしまいそうな予感がし、頭がぼやけた)一体なんだろう。一体何が起こっているというのだ。


──ほら、死ななかったでしょう?貴方がその気になればこんな状況どうってことないって。

ワシリーサさんが頭に直接語りかけてくる。

──でも!ワシリーサさんが直接助けてくれたっていいじゃないですか!てっきり謀られたのかと!

──確かにそうしても良かったのですが、些か貴方にうんざりしていたので。ここいらで何かもっと前向きな事をしてくれてもいいんじゃないかと思ったのですよ。


彼女はやっぱり冷蔵後ばりの冷たさだった。

ともあれ、水の中でも呼吸が出来るっていうのは魔法の一種なのか?ほら、ファンタジーだったら呪文を唱えるとか、然るべき儀式の準備をするとかそういう事をしなくてもいいのか?


これが魔法と言うのならこの世界に対して些か無粋なものじゃないか?

暫くして、桶は斧によって壊され、中の水は無くなった。


「いやあ!耐えた耐えた!危うく死んでしまうところだった!」

「幾分か晴れがましい顔になりましたね。木幡さん」

「確かに。まあこの調子がいつまで持つかね」

「ほらほら、また顔が暗くなっていますよ」


***


 水攻めで僕が死なないと彼らは暫くして理解したようで、彼らは少し牢獄を後にし、おそらく『次の拷問何しようか会議』を絶賛開催しているであろう、そんな矢先だった。


「やあやあ、魔法使いの方。少しお話ししませんか」

牢獄に繋がるの地下道に声を響かせながら人が近づいてくる。

声の主はあろう事か今まで通じなかった日本語を喋っていた。それどころか!


「葉多!葉多!お前が何でここにいる!」

その人物に僕は見覚えがあった。それどころか知己だった。葉多は困った様な顔で言う。


「葉多?はて誰のことでしょうかね。私の名前はブブゾですが。お初にお目にかかります。何やら訳のわからない言葉を発する人物がいるとの事で、気の狂った魔法使いだとか、それで私は駆けつけてきた訳ですよ。

日本語を喋るのは久しぶりですね。こうしてまともな生活が出来るまでにかなりの時間と苦労を要しました。それに比べて貴方は運がいい。先駆者がこうして今目の前にいるのですから」


ブブゾ?冗談もいい加減にしろ!こいつの顔はどう見たって葉多そのものだ。ここまで似ていて他人の空似という訳でもあるまい。

「葉多。お前もまさかこの異世界に来ていたとはね。びっくりしたよ」

「だから私はその葉多某では無いと言っているでないですか。しつこいですよ。それに貴方。私にそう馴れ馴れしく話しかけますがね、私はもう還暦を過ぎているんですよ?老人にはそれなりの敬意を持って接して貰おうじゃありませんか」


確かに、葉多にしてはやけに落ち着いた喋りをする。異世界には確実にいる実感があるし、僕を騙す如きの所業でこんなことまでするだろうか。やはり僕の目の錯覚か。こういった魔法があっても可笑しくはない。


「ブブゾさん。話に来たならまず、私と彼をこの牢から出してくださいませんか?」

「そうですね。取り敢えずそうしましょう。私の屋敷の客間でゆっくり話を聞きましょうか」

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