ワシリーサさんに連れられて・・・
ガタンゴトン・・・、と月並みな音を立てて電車は仏子から出発した。
「死にたい」
「また言ってる」
「何のことはない、ただの口癖ですよ」
口癖にしたって随分痛々しいし、ありきたりで、安っぽい。
「僕はね、何の後腐れもなく安楽死できるんだったら今頃死んでいるんだよ」
でも出来ない、この"人間"というのはつくづく自殺なんてする柄じゃない、しがらみが多すぎて。
「それじゃあひとまず生き甲斐は置いておいて、他に死ねない理由とは何でしょう」
「なんのことはない。一番手頃な問題は僕が死んだら多少困る人がいるからとか」
「親に面目が立たないから、とか?」
電車が揺れる。外の景色が目まぐるしく変わっていく、ビル街の喧騒の醸す無粋な明るさが転じて、数秒後にはしょうもない街灯が民家を照らしている。空事の様なアナウンスが次の駅の名前を告げる。
「生きることも、死ぬことも出来ない。どうしようもない性分だと思わないか?」
「残念ながら、その言葉は今の貴方の有様を正確に言い表していますね」
こんな暗い話題にも関わらず彼女は微笑みを崩さないままだ。きっと本気に受け取られていないのだろう。しかしまあ、僕のこの口癖から戯言の成分が抜け落ちたら、救いようがないかな。救いようもなくダサい。
「僕が貴女を飯能のとある家まで案内してやろうっていう魂胆も、そんなところから生じたって訳です」
「成程、全く運がいいのか悪いのか、判断しかねますね」
そうして再び沈黙の時間が続く。文芸部の話の続きをしようと思ったが、どうも気が乗らない。一度切ってしまった話とは大抵そんな物だ。
「私は、妖精ですから特に語る事もないのですよ。貴方の話を聞くことばかりしか出来ません」
「妖精にしたって、それなりに例えば冷蔵庫の変遷とか歴史みたいなものはあるんじゃないですか?是非聞かせてくださいよ」
ワシリーサさんは困った様に、頭を抱えて何か思い出している様な仕草をする。
「そうですね、やっぱり曖昧です。確かに冷蔵庫の歴史みたいな物は多少知っていますが、それはあくまで知識で、どうにも実際に経験した事として語れと言われると出来そうにありませんね」
「そうですか」
それでも、単に冷蔵庫の歴史にも多少の興味があるな。僕が彼女の方に顔を向けると彼女は仕方が無い、といった風情で話し始めた。
「日本では、今の様な電気で動く冷蔵庫は戦後に普及した様ですよ。
それ以前では氷でなんとか中の物を冷やそうとする冷蔵箱なる物が主流だったとか」
僕は黙って聞いている。頷くくらいしたっていいんだが、しかし、驚くほどどう言葉を返したらいいか分からない。
やっぱり彼女に話を振るなんて間違いだったんだ。単なる知識の羅列を話されても反応しづらい。自分から聞いた手前この話をやめてくれとも言いづらい、ああ!最悪だよ!どうしたらいい。
それでも絶対何か返さないと!
じゃあなんて返せば良い!『冷蔵庫の歴史、勉強になりました』か?『ワシリーサさんは電気で動くか、氷を差し入れられるかでしたらどちらを選びます?』とか?『高度経済成長期がワシリーサさんにとっての思春期だった訳ですね』とかか?そしてあろう事か彼女は僕が押し黙っているにも関わらず話を続けた。
「どうやら冷蔵庫、リフリジェーターの名付け親というのはアメリカのトマス・ムーアさんという方でして、そうすると彼は私の父にあたるのでしょうか。
ただ、彼の作った物はどちらかと言うと冷蔵箱に近かったものの様です。
その後、なにせ産業革命期でしたからイギリスやアメリカで現在の電気で動く冷蔵庫へと進化していったんです」
「ためになりました」
結局、酷い一言を絞り出してしまった。
彼女は完全にそっぽを向いて、何も喋らなくなってしまった。
最後に放った言葉はこうである。
「貴方の自殺を私はもう止めはしないですよ。死んでください」
この冷蔵庫ばりに冷え込んだ空気を、まるっきり僕のせいにしてもらっては困る。いや、やっぱり僕が悪かったのだろうか。つまらないという彼女の前振りを無視して彼女に語らせてしまったのだから。
そんな所で「間も無く飯能〜、飯能〜」というアナウンスがあった。
***
改札を通り駅を出ると、田舎だなあと感じさせる小さめのロータリーに出た。取り敢えず僕と彼女の二人はそのまま歩を進める。するとまたあの憎たらしい橙色と若葉色の光る二本線。
静かで暗いこの夜に、無粋な白く人工的な光を放つ。セブンイレブンだ。
「どうしたのですか?」
「何でもないよ」
しかし、ふらっと入ってしまいそうになるのは飛んで火に入る夏の虫みたいな、僕の愚かさを自覚させる。全く何を買うと言うわけでもないのに。
そんな事を思って結局カップラーメンやおでんの一つくらい買って店から出てきてしまうのだろう。資本主義の旗手としては人間も虫も同じと言う事か。
思い通りにはならないぞ。
「行こうか」
ふと思ったが、妖精というファンタジー的な存在なら、死後の世界について何か知っている事があるかも知れない。この際だから聞いておこうか。
「ワシリーサさん。天国や地獄はあると思いますか?」
「貴方はどうです?恐らく信じてらっしゃらないでしょう?神様も信じていませんし」
「でも妖精は信じていますよ」
彼女は微笑んだ。
「それなら、きっと妖精が何処か良い所へ連れて行ってくれますよ」
何だろう。例えば中世ヨーロッパ風の異世界とか?やっぱり死後の世界といえば地獄や天国なんかよりギフトを得てそういった異世界に行く方が僕らにとって馴染み深いだろうか。
「神様がいない貴方に、恐らく地獄や天国は意味を為さない物ですよ」
「だったら、妖精を信じている僕は異世界にでも連れて行ってくれよ」
「良いでしょう。それなら行きましょうよ!異世界に!」
彼女は両手を広げて、大仰に言い放った。彼女が珍しく感情的になった瞬間だった。
その時僕はあくまでも、彼女は冗談に冗談で返してくれたのだと思っていた。
しかし、今になって思い返せば冷蔵庫の精なんて存在がそもそもあり得ないわけで、けれどそんな存在が目前に実在している訳で…
だとしたら異世界に行くなんて事も、彼女の前では単なる戯言の領域を飛び越えてしまうのだと思う。
彼女は不意に僕の後ろに回り込んだ。
僕が振り返れば元の、暗く寂れた駅前のロータリーなんか見る影もなく、なんと太陽が僕とワシリーサさんを照らしている!
そこは壮大な草原だった。僕の立っている道は舗装などされておらず、固い土が生い茂る草から肌を見せているだけであった。
空は青々としていて、遠くには塀が見える。無骨な木材で出来た物だ。
しかし、その高さは軽く僕の身の丈の二倍はあり、超える事は不可能に思える。そもそも、これ程の高さの壁が草原にポツリと築くられている様は中々お目にかかる事はない。今僕の立っている粗雑な道をそのまま辿っていけばどうやらそこには扉がある。
壁の先へ渡してくれるのだろうか、扉には人が二人程立っていて槍を持って簡易的な鎧すら装備している。
そうだ。ここは今までいた世界とは明らかに様相が違った。
引き換えそうと後ろを振り返れば今まで来た道は綺麗に消えて、背後にもまた壮大な草原が広がるばかりだ。
全く、悪い夢だ。
これは恐らく何かの幻覚なんじゃないか?それにしてはあまりにも五感が研ぎ澄まされている様に思えるが、やっぱりこんな状況は幻覚でなければ有り得ない。
「ほら。本当にあったでしょう?異世界」
ワシリーサさんがどうやら興奮していっている。僕にとっては全く状況に頭が追いついていないのだが、彼女にはここを抜け出す算段でもあるのだろうか。まあそりゃそうか。彼女が僕をここまで連れて来たのだから。
しかし、意外なことに、僕もそこまで焦りを感じていない。余りの展開に頭が追いついていないという事も当然あるだろうが。
「ワシリーサさん。これ僕達多分帰れなくなっちゃいましたよね?どうしましょうか。
ねえ、こんな状況だって言うのにどうしてそんなに落ち着いているんですか。
何か企みがあるんだったら僕に隠さず話してくだい。
ここは何処なんですか?僕達は帰れるんですか?」
「大丈夫ですよ。そのうち帰れる筈です。それよりせっかく異世界に来た事だし、見て回りましょうよ。この世界を」
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