「おねえちゃん」

 ざあざあと、自然の音が響く。ここは、くらいくらい、夜の海岸だった。


「すごい、これライト持ってきてなかったらやばかったね! 何も見えなかったかも!」


 きゃらきゃら、そんな効果音が似合うような声色で、妹が言う。それに対して「そうだね」と返す私の声は、いつも通り平坦だった。


 いつもそうだった。私は愛想がなくて、感情が大きく動くこともなくて、だから人に好かれなくて。

 妹は、愛想がよくて、感情が分かりやすくて大きくて、だから人に好かれやすかった。


 だから、だから私は、そんな妹がだいすきで、だいきらいだった。


 妹の手を引いて、もう片方の手でライトを持って、海岸を歩く。砂浜は歩きづらくて、けれど今はもうそんなこともどうでもよかった。


 だって、これからすべて終わりにするんだから。


「夜の海って、なんだか特別って感じだね!」

「そうだね」


 いつも通りに、元気な妹の声に、私の平らな声が返事をする。いつもと違うのは、歩いているのが通学路でも、スーパーへの道でもないってこと。

 そして、その足元が濡れ始めていること。


「春の海ってまだあったかくないんだね、おねえちゃん!」

「そうだね」


 少しずつ、足が海に沈んでいく。私が沖へ歩みを進めていくから、自然私に手を引かれている妹もどんどん沈んでいく。

 私と妹では妹の方が身長が低いから、きっと妹の方が先に海に沈むんだろう。そして、私はあとから沈んだ妹の手を引いたまま一人で沈んでいくのだ。

 そう、分かっていたはずだった。


「ねえねえおねえちゃん!すごいね、こっちまで来たの、初めてだよ!」

「……そうだね」


 いつも通りに、元気にそう言う妹は、もう首まで沈んでいる。もう一歩踏み出せば、喋ることすらできなくなる。

 それを望んでいたはずなのに、どうしてだろう。私は。


 私は、妹の声をもう聴けないかもしれない、と思ったら、怖くなったのだ。


 一歩、妹の方へ、海岸の方へ振り返って足を動かした。先導していた私が急に振り返ってからか、妹はきょとんとした顔でこちらを見ている。

 それを見て浮かんできたのは、罪悪感だった。

 喉の奥が熱くなる。情けなさが限界を迎えて、それは涙となって溢れてきた。妹にそれを見られたくなくて、どうにか誤魔化したくて、妹をぎゅうと抱きしめる。

 海水に濡れた妹の体は、普段よりずっと冷たかった。


「ねえ、おねえちゃん。お腹、空いたね」


 なんでもないように、でもいつもより少しだけに静かに、妹が言った。「うん」と、しゃくり上げないように気を付けながらどうにか相づちを打つ。


「帰りにさ、スーパー寄ろうよ。割引セール、やってるかもしれないし!」


 妹は続ける。私は、変わらず泣いているのを必死で誤魔化しながら「うん」と言った。


「……ねえ、おねえちゃん」

「なあに?」


 その呼びかけの返事がすぐに出てきたのは、私が「おねえちゃん」だから。私は、そういう生き物だから。


「わたし、おねえちゃんがだいすきだよ」


 ……私は、「おねえちゃん」だから。妹の前で泣いたりしたら、いけないのに。

 私は気づけば、嗚咽を隠そうともせず泣いていた。


 妹が、慣れない手つきで、私の背を撫でているのが分かる。濡れた服越しに伝わるその動きが、なぜか妙に懐かしかった。


「……かえろう、か」

「うん」


 話せる程度に泣き止んだ私がした提案に、妹は頷いた。それを見て、そういえば妹は私の提案を拒んだことは一度もなかったな、とふと思う。

 二人で、手を繋いで、びしゃびしゃになった重い服に難儀しながら海岸へ向かった。どうにか砂浜までたどり着いて、びしょびしょになった服を絞りながら唯一の光源を見上げる。

 暗い海岸で、うすぼんやりと見える時計台。それが指しているのは8時20分で、ああこの時間だとスーパーにはもう何も残っていないかもなとぼんやり思った。


――――――

以下の診断メーカーからお題をいただきました

困ったときの三題噺(https://shindanmaker.com/1114055)

お題:8時20分と海岸と「お腹空いたね」

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