十年分の感情の発露

「ねえ、秘密の話なんだけど」

 

 そう、なんでもない話のように切り出したのはもう十年来の付き合いにある古い友人だった。秘密の話、なんて言う割にはその口調は軽くて、まるで次の瞬間「今月金欠なんだよね、今日のご飯奢ってくれない?」なんて言い出すのではなんてわたしが考えるくらいだった。

 だから、きっとその程度の話題だろうと、そう思って。返事が適当になってしまったことを、後から心底後悔した。

 

「わたしたち、もういい大人じゃないですか」

「そうだね、もうお互い二〇代も後半だね」

 

 言いつつ目の前の枝豆へ手を伸ばす。ぷち、皮から中身を出して、口へ運んで、用済みとなった皮はそれ専用の籠へ。わたしたちは、こうやって居酒屋で二人飲み交わすことにすっかり慣れ切ってしまうくらいには大人で、でもお互いから見てまだどうしようも無く子供だった。

 

「親からさ、『いい加減いい相手は居ないのか』なんて、聞かれたりするのよ」

「まあなあ、うちも覚えがあるよ」

 

 よくある話だ。自分だって、一度も言われたことがないわけではない。その度に、「まだ早いよ」とか、「仕事が忙しいから」なんて誤魔化し続けてはいるけれど、それができなくなるのも時間の問題だろう。

 

「で、本題なんですけど」

「はいはい」

 

 適当に相槌を打って、ジョッキを手に持ちぐいと一口。疲れた体にアルコールが染み渡る。あ゛ー、とおっさんくさい声が思わず漏れた。

 

「実は、そうなるならこの人がいい、って言うひと? まあ言ってしまえば、心に決めたひと、が、いて」

「へえ、意外。そんな相手居たんだ」

 

 それは素直な感想だった。だって、ずっと恋愛に関わってこなかったひとだって、長い付き合いだから知ってる。……自分の心の中に沸いた寂寥感や、相手への嫉妬心は見なかったふりをして酒と一緒に飲み干した。──この関係で居るために、その感情には蓋をすると遠い学生時代に決めたではないか。

 

「そう、それで、その相手なんだけど」

「はあ」

 

 やめて、言わないで、聞きたくない。そんな自分の心の声を、心の奥底へ押し込んで何でもないように相槌を打つ。またぐいとジョッキを呷った。

 

「いま横に座ってるひと、なんだよね」

「……は?」

 

 言われた意味が理解できなくて静止する。いま座っているのはカウンター席で、今わたしを混乱させているそのひとが座る隣は私で、反対側の隣は壁である。いまこいつはなんと言っただろうか、いま横に座っているひとがなんだって?

 

「ちょっとそれって、どういう」

 

 混乱の最中、どうにかそう音にして問いかけるも、その返答は返ってこなかった。がたんと音を立てて、隣に座るその人が立ち上がる。慣れた動作で伝票を取って、レジへ向かった。

 

「おいこらちょっと、何勝手に」

「返事、」

 

 唐突なそれに文句を言おうとして立ち上がって、しかしそれは小さな声の、一つの単語に遮られた。

 

「つぎ、会うときでいいから」

 

 そして最後に付け足すように「あんまり飲み過ぎないようにね」なんて言って勝手に精算を済ませてそいつは出て行った。

 しばらく呆然として、とりあえずと椅子に腰を下ろす。残り少なくなったジョッキの中で気泡が弾けるのを眺めた。

 次に会う時っていったいいつだとか、結局それはどういうことなんだとか、わたしはまだ飲み足りなかったとか、いろいろと言いたいことはあるけれど、まず何より。

 

「いきなり、何言ってくれちゃってるのあいつ……」

 

 ジョッキ片手にカウンターに項垂れる。くそ、ほんと、とんでもない爆弾を落として行ってくれたものだ。ずっと静観を決め込んでいた居酒屋の大将に、「若いねえ」と一言投げかけられた。くそ、うるさいこちとらいい大人だってんだ。

 

 はあ、とため息を一つ。ジョッキの残りをぐいと一気に飲み干した。

 

 

 はあはあと自分の息が上がっている。それに気づいて、ずっと動かしっぱなしだった足を止めた。こんなに走ったのはいつぶりだろう。学生の頃以来な気がする。いやまあ、今日やったこの行為だって、とても大人のするそれとは思えないようなことだったけど。

 気付けば駅近くに来ていたようで、そこかしこに休憩用のベンチがあった。普段なら滅多なことがない限り近づかないそこへ腰を下ろして、顔を手で覆う。ああもう、顔が熱い。あの人の前ではうまく誤魔化せただろうか。

 ちいさく、ちいさく呟いた。

 

「やっと言えた」



――――

診断メーカー、こんなお話いかがですか(https://shindanmaker.com/804548)より。

「ねえ、秘密の話なんだけど」という台詞で始まり「やっと言えた」という台詞で終わります。

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