難攻不落-1

 夜の見回りが終わって、今日の当番のやつに変わってから歩く朝の町。普段は心地よく感じる朝日が、澄んだ空気が、夜番が明けた後だけは酷く鬱陶しく感じる。

 朝日に眼を眇めながら自宅へ向かって町を歩く中、唐突に背後から声を掛けられた。

 

「ねえ、お兄さん?これから、私とどうかしら?」

 

 もう朝だぞ。内心でそう毒づいて、向こうにとって色好くない返事を返すために足を止める。……いや、そもそも俺がこの女の相手してやる義理は無くないか?こちとら夜番開けだぞ俺はさっさと部屋に帰って寝たいんだ。

 振り返る寸前にそう思って足を動かそうとすると、するりと俺の腕に女が絡みついた。それに驚き半分、怒り半分で女の方へ顔を向ける。一体いつの間にここまで近づいてたんだこの女。

 

「お兄さん、見たところ兵士さんでしょ?色々、溜まってるんじゃない?」

 

 言いつつ、女がぎゅうと俺の腕に胸を押し付ける。なるほど、こんなことをするだけあって立派なものをお持ちだ。……じゃなくて。

 自分の考えと女に向かってため息を一つ。

 

「悪いけど、俺はこれから帰って寝るところなんだ。相手探してんのか宿探してんのか知らねえけど、他当たってくれないか」

「うふふ、つれないのねえ。でも、そういうところも素敵よ?」

 

 まるで暖簾に腕押しだ。無理やり振り払ってもいいが、それで怪我でもされたら加害者はこっちになる。ましてや女の言う通り、俺は兵士だ、下手すりゃ号外のネタである。

 はあ、とまたため息を一つ。

 

「俺はお前みたいな軽い女は嫌いなんだ」

 

 これでどっか行ってくれねえかなと、厳しい目つきで女を睨んだ。どうだ、夜番明けってこともあって中々迫力あると思うんだが。

 しかし、女は「きゃっ、こわーい」なんて言って体をくねらせただけだった。なんなんだこいつ……。

 

 意識せずとも顔が険しくなるのが分かる。そんなに俺は怖くないのか、確かに軍の中じゃまだまだ若造と呼ばれるような齢だけれども。


 どうにか言ってこの女を引き剥がさねえと、と再び口を開く。それと同時に、背後から何よりも知った気配を感じた。

 消しきれていない軍揃いの革靴の足音が近づいてくる。続けて、軍の中では珍しく清潔感を感じる石鹸の香りがふわりと香った。

 

 ほぼ反射で頭を下げた。

 俺の動きに付いてこれなかった女が、振り払われる形になって地面に転がる。それを視界の端で捉えるのと同時に、下げた頭の上で空を切る音が聞こえた。


 低い姿勢のまま、その攻撃を仕掛けてきたやつを見据えるべく振り返る。そこには、予想通り俺の良く知る同期の女が、蹴りの姿勢を保ったまま居た。


「おい、どういうつもりだ?」

 

 さっき女に対して作ったそれよりも、ずっと低い声が出た。自分でそれに驚きながら、低い位置から同期を睨む。

 

「なに、絡まれていたみたいだったから助けに入っただけだよ」

 

 言いつつ、同期が地面に転がったままだった女に向かって手を伸ばす。「大丈夫ですか、お嬢さん」なんて気障ったらしい台詞付きだ。

 しかしながら、伸ばされた手は女によってパシリと払われた。それに少しだけ胸がすく。

 

「いきなり何すんのよ!!アンタのせいで転んじゃったじゃない!」

「乱暴な手段になってしまったことは、申し訳ありません。どうもうちの馬鹿があなたに絡んでいたようでしたので、引き剝がすにはこれしかないと思いまして」

 

 ……おい待て、こいつ、俺が女に絡んでいたとでも思ってんのか?っていうかうちの馬鹿って。

 女も俺と同じように思ったようで、怪訝そうな顔をして「はぁ?」と同期を見た。……しかし、女って怖えな。さっきはあんな猫撫で声だったのに。すっかり蚊帳の外になってしまった俺が二人のやり取りを傍観していれば、同期がにっこりと微笑みを作って口を開いた。うわ、余所行きの面だよあれ。気色わりい。

 

「貴女、恐らく先の戦に乗じてこの国に入ってきた方でしょう?そんな貴女が自分からこの国の兵士に手を出すわけがないじゃないですか、ねえ?」

 

 同期の言った内容に、ぎょっとして女を見る。先の戦に乗じて、ということは、隣国である貧しいあの国から違法入国してきたということだ。確かに、この間の会議で違法入国者が多くいることを上層部で問題視している、みたいなことを上官が言っていた。

 

「身分を隠さねばいけない立場である貴方が、いくら馬鹿とは言え兵士であるそこの男とお楽しみだったとはとても考えられません。ということは、馬鹿の方から貴方に声をかけたと言うことじゃあないですか」

「おい、馬鹿馬鹿言い過ぎだぞお前。確かに座学じゃお前に負けてはいたが、それでも俺の成績は上から数えた方が早いんだからな」

「ねえ?お嬢さん」

「おい無視か」

 

 同期は俺の方には目もくれず、相変わらずの余所行きの顔のままで言った。そして、再び地面に転がっていたままだった女へ手を伸ばす。

 女は、不服そうな顔を作って同期の手を取った。立ち上がってから、これ見よがしに服の裾をパンパンと叩く。

 目線が並んだ女二人は、片方は相手を睨んで、片方は相手へ微笑んでいた。それに、どうしてかうすら寒いものを感じて思わず後退する。なんだあれ、戦場よりおっかない空気があそこだけ流れてないか。

 

「……助かったわよ」

「ええ、今後もどうかお気を付けください。軍は、私のように優しい人ばかりではありませんから」

 

 女は、同期の言葉に悔しそうに顔を歪めて足早に街の裏通りに駆けて行った。

 

「おい、誰が優しいだ。体術訓練で何度お前に吹っ飛ばされたことか」

「それはあんたが弱いからでしょ」

 

 いつも通りの仏頂面に戻った同期が、いつも通りの口調で俺に向かって言った。それに、ピキリと青筋が立つのが分かる。

 

「はぁ?つーかなんだよさっきの口調と顔。キッショ」

「一応あれも一般市民だから。それに、あの手合いに穏便に帰ってもらうにはこれが一番と判断しただけよ」

 

 いつも通りの、お高くとまったような口調と仕草。それにどこか安心したような気持になりながらも、同時に腹が立った。

 

「へーえ?それで俺を悪者にしたわけか」

「そもそもあんたが無視するなり振り払うなりすれば私が手出しする必要は無かったのよ。あ、それとも何?あのままあの女、お持ち帰りしたかったわけ?」

 

 そのあんまりな言い草にこちらも「はあ?」と治安の悪い顔と声で同期に返す。何なんだこいつ、何に怒ってるんだよ。

 

「んなわけ」

「あんたがどこで誰とお楽しみしようが私には関係ないけどね、相手は選びなさいよね」

 

 言い返そうとするも、それより先に同期が言った。ていうか、なんかこいつ、普段よりも口数多くないか?

 

「お前、何に怒ってるんだよ」

 

 考えるのが面倒になって、直接そうぶつければ同期が虚を突かれたような顔を作った。

 こいつのこんな顔見るのは、なんだか久しぶりだ。普段の大人びた雰囲気が抜けて、同世代であることが分かるようになるこの表情。そもそも、隊が分かれてからは顔を合わせることも減ったんだったか。今更ながら、こいつとこうして話すのはいつぶりだろうと思った。

 

「……別に、怒ってるわけじゃ」

「いや、怒ってるだろ」

「……」

 

 追求してみれば、同期は口を閉じて黙りこくってしまった。続けて視線が逸らされて、地面へと落とされる。

 

「……私が、あんた見つけたときどんな気持ちになったと思ってんのよ」

 

 普段、はっきりものを言うこいつにしては随分とか細い声だった。ギリギリ聞き取れはしたものの、言われた言葉のその意味が分からなくて「は?」と聞き返す。

 

「なんでもない!!あんた夜番明けでしょ、明日以降のためにも早く帰って寝ることね!!」

「うわ、」

 

 言うが早いが、同期が持っていた布袋を俺に投げつけた。どうにかそれを受け取る。至近距離からの攻撃と言っても差し支えないそれに驚いている間に、同期はどこかへ走り去っていった。

 

「ちょ、お前!!」

 

 走り去るその背中に声を投げるも、同期は振り返らなかった。

 

「……なんなんだよ、一体」

 

 思わず独り言ちて、ぼりぼりと頭を掻く。まあ、あいつの言う通り明日の午後から訓練がある。明日のためにも早く帰って、夜番明けの体を休ませるべきだ。……あいつの言う通りなのは、ちょっと癪だけど。

 ……ていうか、そう。俺、今夜番明けなんだよな。

 自覚した途端眠気が襲ってきて、ふぁあと欠伸が出た。

 

 くるりと自宅の方へ向き直って、ぼんやり考えながら帰路に就く。

 あいつ、結局何に怒ってたのか分かんなかったな、とか。あいつがああやって声を荒げるのは珍しいことだな、とか。

 そんなことを眠気の大分回った頭で考えていると、気付けばもう自室の目の前だった。ガチャリと扉を開けて、抱えていた荷物を机に置いてベッドに転がる。

 

 そう言えば、まだあの布袋の中身確認してなかったな。思って、ベッドから手だけ伸ばして机の上の布袋に手を伸ばす。

 紐で縛られた口を開けば、中には俺の好物であるりんごが二つ入っていた。それと一緒に、紙切れが一つ。瞼が落ちかける中、その紙に書いてある文字を読んだ。

 

『きちんと休養を取ること。

 訓練は全力で挑むこと。

 座学のテストが無いからって勉強をサボらないこと。

 

 たまには、息抜きもすること』

 

「……いや、なげえわ」

 

 すっかり見慣れた、読みやすいその文字。あいつはなんだかんだ言いながら、俺が座学で行き詰っているとこうやって考え方や覚え方のヒントなんかを教えてくれたものだ。

 訓練生時代のその記憶が蘇ってきて、小さく笑う。そこで、俺の意識は夢の世界へと旅立った。


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