貴方から教わった星の名前をまだ覚えている

 近所に、プラネタリウムができたと聞いたのはいつだったか。それほど前ではないような気がしていたのに、いざ向かってみたら一周年記念なんてキャンペーンをしていたもので驚いた。

 昔から比べたら、本当に時間が過ぎるのが早くなった。

 

 このご時世プラネタリウムというものはそれほど流行らないようで、自分以外に人は居なかった。だるそうに接客をする女の子からチケットを買って、暗いプラネタリウムの中に入っていく。自由席らしいので、入り口から見て中央の席に座った。

 

 貸し切りで、しかも特等席。贅沢なものだなと小さく笑って、そして自分の考えに驚いた。少し前の若い自分なら、きっと寂れた場所だなとしか思わなかっただろう。そもそも、プラネタリウムなんて来なかったかもしれない。人間は変わるものだ。

 

 録音されたものらしき女性のアナウンスが流れて、室内が暗くなっていく。角度のついた椅子に深く腰掛けて、作られた星空を眺めた。

 

 アナウンスは、映し出された春の空から星座を説明していく。春から夏、秋と移り変わっていく星空をぼんやりと眺めた。

 

 移り変わった、冬の空。見覚えのある三角形が出てきて、そこに視線が止まる。

 

「南東に見えますのは、冬の大三角」

 

 知っている。

 

「おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウスからなっています」

 

 知っている。

 

「これら三つの星は、地球から見た太陽系外の最も明るい恒星一〇個の中に入っており、」

 

 ああ、そんな細かいことでさえ。

 知っている。

 覚えている。

 彼に教えてもらったことは、全て覚えてる。

 

 視界に広がる偽物の星空が、じわりと滲んだ。

 

 私よりも年上なのに、なんでもないことではしゃいでいた彼。

 子供みたいな言動をするくせ、私よりもずっと博識で、でもそれを嫌味に感じさせないところを含めて実は尊敬していた。

 楽観的で人生は素晴らしい、なんて正直に言える彼が、どうして厭世的な私と一緒に居てくれたのか、今でもよく分からない。でも、それが私に対する同情とか、憐れみからではないことを私は分かっていた。それが分からないほど、私は人間というものが分からない訳じゃなかった。

 

 ……むしろ、分からければよかったのに、と今なら思う。

 だって、それが分からないままなら、彼が居なくなったとき、こんなに悲しくならなかった。辛くならなかった。胸が空っぽになるような、それでいて鋭い針が刺さって抜けないような、そんな思いをしなくて済んだ。

 

 気づけば、星空なんて分からないほどに視界がぼやけていた。滲んだ星たちはそれでもきらきらと輝いていて、自分らしくもなくそれをきれいだと思う。

 

 ああ、でも私は、変わったようで何も変わっていない。彼なら、きっとこの星空を見て子供のようにはしゃいで、笑って、「楽しかったね」と言えるのだろう。偽物なんて、そんな単語はきっと出てこない。

 私は、彼のそんなところが大好きで、そして自分のそんなところが大嫌いだった。

 

 気づけばアナウンスは終わっていた。星空は消えて、プラネタリウムの中が明るくなっていく。

 体を起こすと、膝の上に冷たい液体が落ちる感触があった。鞄から手探りでハンカチを探して、それで目元を抑える。

 

 ふう、と長く息を吐いて、喉の奥の熱を静ませる。年の功だろうか、昔よりは、ずっと簡単にこれができるようになった。……昔は、中々自分で治めることができなくて彼に頼りっぱなしだったっけ。彼の腕の中は、どうしてか安心できる私にとってのセーフゾーンだった。……もう二度と、あの場所へ行くことはできないけど。

 

 椅子から立ち上がって、屋外へ出ていく。受付の女の子は、暇そうに外を眺めていた。

 

 中にいる間に結構な時間が立っていたようで、外は既に夜の帳が下りていた。なんの気無しに頭上を見る。

 都会とは言い難いこの場所では、いつか彼と見たような満天の星空は望めなかった。それでも、いくつか強く輝く星だけは見ることができて、それをじっと見つめる。

 

 あのとき、彼は「亡くなった人は、星になるって言うよね」とか言っていたっけ。それに対して私は、星なんて宇宙の塵が光ってるだけでしょなんて可愛気のない返事をした気がする。

 

 ねえ、そこにいるなら、答えてよ。

 

 どうして、私を置いて逝ってしまったの。

 

 しばらく空を眺めていたけど、答えなんて当然帰ってこなかった。はぁとため息を一つ。いい年して、私は一体何をしているんだろう。

 視線を地上に戻して、自宅の方へ向かって歩き出す。

 

 そう、私はもう大人だから。一人で歩いて往かないといけないのだ。

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