【短編集】星屑を詰めて

琴事。

左手薬指のそれが、いやに冷たく感じた。

 冷たい風が頬を刺す。ううと身震いして、マフラーへ顔を埋めた。

 

 今日は休日で、いつも通り暗くて寒々とした部屋で目が覚めた。時間を確認すれば、短針が刺す数字が普段よりも一つ小さい。暖かい布団から離れ難いなあなんて思ったけど、でも二度寝する気分にはなれなかった。だから、ほんの気まぐれで、日もまだ出ていない時間帯なのに外に出てみたのだ。暖かいマフラーを巻いて、歩きやすいスニーカーを履いて、いわゆる散歩というものである。

 

 近所を少しだけ歩くつもりだったのに、今現在私は神社の階段を登っていた。今年の年初めに彼と詣でたそこは、頂上までの階段が結構長くてしんどかったからもう二度と来るものか、なんてあの時は思っていたはずなのに、気が付けば足が向かっていたのだから不思議なものである。

 

 石造りの階段を登っていると息が上がってきて、はあと息を吐くとそれが白く染まって少し驚いた。そう言えばもう十一月も半ばだもんなあとぼんやり考えて、そしてそれにはっとした。気付けば十一月に入っていて、もう数週間で年が明けて、そしてまた春が来る。昔に比べると、時が過ぎるのが本当に早くなった。

 小さい頃、まだ幼かった学生時代は、早く大人になって自由になりたいなあなんて考えていたものだけど、大人は子供の目から見えているほど自由なんかじゃない。しがらみばっかりで、本当にやりたいことなんて何もできなくて、これならあの頃のほうがよっぽど自由だったと、そう思うのは私がまだ未熟だからなんだろうか。

 彼によく言われていた、「君は考え過ぎなんだよ」という言葉を思い出した。


 階段を登り切る頃には完全に息が上がってしまって、あんなに寒かったのに少し汗ばむくらいだった。マフラーを外して、はあはあと息を吐く。自分の運動不足を痛感させられた。

 

 息が落ち着いてきて、ごそごそとコートのポケットを探る。目的の物、小銭入れを発見して中身を確認した。お誂え向きに五円玉が入っている。ご縁がありますように、と五円玉を入れるんだったかな、なんて情報源がどこかも分からない雑学を内心で呟いて賽銭箱へ向かった。

 

 初詣の時はそこそこ人が居たのに、季節外れの今は一人も参拝客が居ないのだからなんだかんだみんな薄情で神様なんて信じていないんだろうな。そんなことを考えながら五円玉を賽銭箱へ放る。そして鈴を鳴らして、作法なんてよく分からないからパンパンと手を二回叩いた。目を閉じて、手を合わせたまま一礼。


 みんな神様なんて信じてない。だって、神様を信じて何になるって言うんだ。今まで困ったことがあって、辛いことがあって、悲しいことがあって、助けてくれたのは神様なんかじゃなくて、自分の周りにいた人たちと自分自身だ。


 神様なんて、信じちゃいない。自分一人でどうしようもなくなって、誰か助けてって縋ったとき、助けてくれたのは神様なんかじゃなくて暖かい、生身の人だった。


 その暖かい人が、冷たくなって棺の中に入っていて、気付けば焼かれて骨になっていた。

 

 彼の死に目に立ち会っていても、葬式に参加しても、何度墓参りをしても、彼がもうここにはいないと言う実感が沸かない。それでも、一人で暮らすようになった部屋は今までの倍広く寂しく感じるし、彼の声を忘れ始めている自分に絶望したりする。

 彼の、「君はたくさん生きるんだよ」という呪いで私は今も生きている。寝て、起きて食事を摂って仕事をして、それでもふとした瞬間、彼の場所へ行きたくなる。

 

 ねえ、たくさんってどれくらい。私はあとどれだけ生きたらあなたのところへ行けるの。私はあまりにも不器用で、一人で生きていくのは難しくてつらい。あなたが支えてくれていたから、今までどうにか生きていたのに、そのあなたが居なくなってどうするの。

 今でも料理を作ればうっかり二人分を作って余らせてしまうし、だれもいない部屋へ向かってただいまと声をかけてしまうし、朝起きてあなたの姿が見えないと泣きそうになるの。

 どうせ死ぬならば、私が良かった。彼なら、私が居なくても生きていけただろうに。

 

 枯れたと思っていた涙が一筋流れた。

 

 ……もう帰ろう。

 

 目を開けて、涙を指先で拭う。冬の風が顔に当たって、涙が流れた後を一等冷やした。先ほどまで手を合わせていたそこに背を向けて、階段の方へ向かって歩く。階段の最上段に辿り着いて、このままここから飛び降りたら彼に会えるだろうか、なんて考えたその瞬間。ちかりと光が目を差した。それが眩しくて、小さく目を伏せてそちらへ視線を向ける。

 

 朝日が昇っていた。町の少し高いところにあるこの神社は眺めだけは良くて、ああそうだ。あの日も彼と、ここで同じ景色を見た。あの日、彼とここで未来について語り合った時に見たそれと、同じ景色。

 

 涙なんて枯れたと思っていた。それなのに殺しきれない嗚咽が漏れる。涙が止まらない。もういい大人なのに、私はいったい何をしているんだろうなんてどこか冷静な部分で考えた。情けなくて、みっともなくて、そんな自分を少しでも小さくしたくてその場に蹲る。

 

「来年ここに来るときは、恋人じゃなくて夫婦だね、って、そう言ったじゃん」

 

 銀色の指輪が朝日を反射して眩しかった。




――――――

診断メーカー、こんなお話いかがですか(https://shindanmaker.com/804548)より。「冷たい風が頬を刺す」で始まり「銀色の指輪が朝日を反射して眩しかった」で終わります。

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