死に戻り令嬢は二周目人生で英雄になりました

鳴田るな

第1話

 淑女たれ。それを生涯守った“偉い子”の私には何も残らなかった。


 幼い頃は伯爵令嬢として父母に尽くした。しかし、従順なだけで期待外れであり続けた娘は、ついに親の愛情を得られなかった。

 出来損ないの実子の代わりに、伯爵夫妻は可愛くて要領の良い孤児に目を付けた。引き取って溺愛すると、不出来な娘はさっさと適当な男に嫁がせて追い出した。養女となった娘は後に、見事に我が家を踏み台にして、王の愛妾にまで上り詰めたのだ――なんて、後で風の噂に聞いただろうか。


 一方で、私は嫁ぐ転機を何にも生かせなかった。男爵夫人として、教わってきた通り夫に尽くしたが、彼はすぐにつまらない妻に飽きた。そもそも彼にとっては、持参金目当ての結婚だったのだ。金だけむしり取ったら、あっという間に夫婦の寝室から追い出され――最終的には地下室に追いやられた。そして夫は私の持ってきたお金で愛人を囲い、放蕩三昧を繰り返し、借金を作った。


 私が地下室から連れ出されたのは、借金のかたに売られるためだった。夫の負債の返済のためにこき使われ、人間としての尊厳を奪われ尽くし――そして病気になって、惨めに死んだ。


 今際の際、まだ息がある状態で死体置き場に投げ捨てられ、思った。


 ああ、かみさま。忍耐は美徳と教わりました。私は何一つ悪いことをしていないのだから、いつかは報われると習いました。でも耐え続けた私の生涯に何の意味もなく、こうして死んでいく。一方で、私に酷いことをした人達は、今でものうのうと生きている。


 あなたの御許に至れることが救いになればと願いますが、もしこのまま死後も何もないのなら――もっと自由に、好きなことをして生きれば良かった。



 そんな後悔を抱いて目を閉じた私は、なんと十六歳――まだ未婚の頃の自分として目覚めた。


 最初は、ぼろ雑巾がごとく使い潰されて惨めに死んだ自分の記憶が鮮烈なせいで、とても混乱した。だが、私の嫁入り直前に辞めさせられたはずの、かつて唯一の味方だったメイドとやりとりをして、どうやら若返りを果たしたらしい、と理解する。


 これは神なるものの憐憫か、それとも死に際の刹那の夢か。

 なんだっていい。私は一度、最低な死を経験したのだ。どういう状況にしろ、あれ以下があるものか!



 というわけで、私はメイドの協力を得て、早速人生やり直しを始めることにした。


 まず最初に試みることは、ズバリ家出である。親の愛情を諦めたらこんなにも気が楽だ。夫婦にだって相性があるように、親子にだってそうなのだろう。一周目の私は、何故あんなにも彼らに執着したのか。親に愛されなくても、私は私なのに。


 とはいえ、十六歳、即時の家出はさすがに無謀と考えられた。二周目の人生とはいえ、一周目に蓄えた知識や経験は平凡な、むしろ平均から劣っていたと評せざるを得ない貴族令嬢のものである。

 そして未婚の貴族令嬢が準備もなく家を出たら、基本は世間に食われる一方なのだ。一周目で実質体験済み。


 だが、一周目の人生の全部が無駄なわけではない。私はこの先の人生の流れを大まかに知っていたし、今の自分に足りていないが必要となりそうなものにも見当がついた。

 表向きは一周目と同じく、両親の愛情を得ようと無意味に健気な令嬢を装う。すると、一周目とほとんど同様に出来事が進行していく。良いのだ、私は家族と関係を修復したいわけではない。新しい、今度こそ自分らしい人生を生きたい。

 とはいえ、いつ予想外がねじ込まれてもいいように油断せず、こちらも裏で粛々と準備を進める。


 二年後、両親は予定通り孤児を見出し、私の縁談を決めた。動くのはここだ。


 私はメイドの協力を得て、自殺を偽装した。遺書には「パパとママが私を愛してくれないどころか、他人を娘に迎えるなんて。嫁ぐ相手も最低だし、これはもう儚くなるしか云々」とでも記しておき、川に落ちたことにする。


 案の定、私に無関心だった伯爵家はろくな捜索もせず、雑に墓を作ってことを収めた。男爵家は破談になったことで、お金の当てはなくなるし評判は落ちるしだったろうが、まあささやかなお返しだ。あの酒と賭博と女がやめられないろくでなしは、遅かれ早かれどのみち破滅する。逆によくもまあ、両親はあそこまで約束された失敗旦那を私にあてがったものだ。いくら期待外れだからってそこまでする? まあもう、過ぎたことだからいいけど……。


 ともあれ、出て行く際には、金庫から持参金分のお金をはなむけ代わりにいただき、その一部をずっと手助けしてくれたメイドの退職金に当てた。

 彼女とお別れになるのは寂しくもあったが、これから私が向かう先を考えると、一緒に来てくれとは言えない。お互い生きていればまた会うこともあるかもしれないと、涙ながらに別れた。


 というわけで、伯爵令嬢としては無事死んだことになった私は、一人旅を開始した。

 道中は髪を切り、ちょっと線の細い青年を偽装する。すべてが順調とまではいかなかったけど、なんとか無事に海も渡りきって辺境領へとたどり着き――城門を叩いた。


「お願いします! 私を騎竜軍団に入れさせてください!!」


 そう――二度目の人生で私が目指したものは、辺境の騎竜兵になることだ。


 親、あるいは夫に愛情と生きる意義を求めた依存気質の私が、唯一誰にも強制されず心ときめかせたもの――それが竜という幻想種だ。

 吟遊詩人が歌う空の覇者と、その背を任された軍人達の物語に、幼い私は歓喜した。騎竜兵達がまとうおそろいの軍服も、初めて話を聞かされた時には王冠より輝かしいものに思えた。


 しかし、私の出身国では、海の向こうの島国の猛獣使いは、尊敬ではなく軽蔑の対象だった。というのも、本大陸から少し離れた実りの少ない島で年がら年中魔物と対峙するだなんて……まあ、控えめに言って、誰もがやりたがる仕事ではない。

 自然と、辺境の島は大陸の余り者達が集う場所になりがちだった。行き場がそこしかなくて騎竜兵となった者もいる。


 だが、彼らをまとめ、すべての竜を従え海を制する者――辺境伯ともなれば、就任するのは消極的な非推薦者ではなく、皆実力でその座をつかみ取った立候補者だった。


 彼らが誇りを持って周辺海域の安全を確保していたから、大陸の人間達は憂いなく海に出ることができ、我が国とて潤っていたのだが……残念ながら、特に私の両親や夫は、それを理解できていなかったのだ。


「お前! この国の令嬢でありながら、あんな野蛮なものに興味を抱くなんて! 恥知らず! 生まれ損ない! 妖精の取り替え子めが!!」


 と言って、ウキウキと竜の話題を出した幼子を鼻血が出るまで殴ったのが我が両親。


「ほら見たまえ、高かったんだぞう! 我が武勲として広間に飾る!」


 などとほざき、どこぞから買ってきたらしい竜の骨(素人目に見てもたぶん偽物)を嬉々としてインテリアにしていたのが我が元夫。


 うん、まあ、一周目の私が心折れるのも無理はないかもな。二周目の私は折れた結果がろくでもない死に様だと知っているので、踏ん張りもきくのだが。


 しかしまあ、こうして思い出してみると、元夫がアホで見境がなかったのはもはやどうでもいいとして、我が父母は頭に血が上りやすいところがあるのかもしれない。

 そして、こうして「どうせ死ぬなら二周目人生は騎竜兵になるぞお!」と二年かけて練った家出プランの後出たとこ勝負を挑んでいる私も、よくも悪くも彼らの系譜であると言えるのかもしれない。


「帰れ。ここは掃きだめ、お前のような目に未だ光を宿す者の来る場所ではない。大方英雄譚にのぼせ上がっただけだろう、数日もすれば幻滅する」


 一周目人生では音にのみ聞いた辺境伯殿は、浅黒い肌に漆黒の衣装を身にまとい、まるで死に神がごとき風体であらせられた。飾り紐や肩の飾りは金で華やかだが、この男がまとうとそれらすら威圧感に変わる。右目の下にある傷は、敵にやられたのか、あるいは竜を御する際についたものか。


 確かこの御仁は、由緒正しい王族の非嫡出子であらせられた。

 父上どころか、母上もかなりやんごとなき生まれのお方らしいのに、政略だとかしがらみだとかで、結婚できなかったのだそうだ。

 男女が交わって生まれる過程は同じでも、妻が夫と正式に結婚しているかそうでないかは、子どもの人生に明暗を分ける。彼は本来、その暗部に一生こもらねばならぬところを、逆境をはねのけて辺境伯にまで上り詰めたらしい。


 とはいえ、私だって本気なのだ。

 本大陸でのほほんと育った小童程度、睨めばすぐ怖じ気づくと思われるのは癪である。こちとら人生二周目、しかも一周目ではかなり社会の底辺を舐めさせられたのだ。

 こけおどし程度で怖じ気づくと舐められるのは業腹である。しっかり辺境伯をにらみ返して差し上げる。


「帰る場所はありません。故郷では死人です。資格はあるはずです!」


 辺境は終わりなき魔物との戦いの地、常に人手不足。余りものが自分からやってきたわけだから、これ以上の良マッチングはないはず!

 ……なのだが、強面の辺境伯はため息を吐いた。確かにいきなり門を叩いたのは若干非常識かもしれないが、この後ろ向き反応はちょっと予想外。


 どうやら私がなまじ若くてキラッキラしてて(金髪なのは遺伝だからなんとも)小さくて(まあこれは女だから仕方ない)――総合すると、辺境伯的「こんな地にいるべきではない」センサーに引っかかったがために、殊更拒まれているらしい。


 これは予想外。一周目で体は資本と学んだから二周目ではその辺気をつけていたのだけど、まさか健康体が仇になるとは。もうちょっとあと三ヶ月ぐらいで死にそうな感じにしないといけなかったのかな。


「おー、おもしれー奴が来たなあ。んじゃちっこいの、俺んとこに来るかあ」

「竜師、また面白半分で若者をたぶらかさないでいただきたい」

「なんだい、お前だって俺が鍛えてやったんだぞ。ちっとは顔を立てろや」


 辺境伯は私を船に押し込めて大陸に送り返す勢いですらあったが、幸いにも騒ぎを聞きつけてやってきた一人――どうやら助言役的な役職者らしい――に、私は拾ってもらえることになった。


 この壮年のおじさまも、眼帯をしていてなかなかいかつい見た目である。怪我によって引退したが、元はバリバリ名のある騎竜兵だったのだそうだ。彼によって育てられた兵も少なくなく、辺境伯すら若干頭が上がらない所があるらしい。

 まあ最初に関わった相手がそんな大御所でしたなんてことは、後々で知り得た情報なのだけど。


 ともあれ私は、最初はこのおじさま、もとい竜師殿に、雑用係としてあれこれ命じられた。身の回りのお世話はもとより、掃除に洗濯、炊事も担当したし、そこに朝一番の水行が加わる。まだ寒さの残る春先の朝に、氷が半分張ってる井戸水をザバアとやるのだ。これに耐えれば頑丈な体になるらしいが、耐えられなければ当然凍死である。なんだそのデッドオアアライブは。さすが辺境、野蛮だ。


 とにかく、前日どんなに晩まで活動していても、毎朝同じ時間に角笛でたたき起こされて、決められた準備をきっちり時間内にこなすことを求められる。できないと、怒号が飛んできたり拳が落ちてきたりする。


 まあでもこの程度は想定内だし、繰り返すようだが私は理不尽耐性ならそれなりにある。


「根性あるじゃねーの」


 一度もめそつかずけろっとしている私を、竜師はますます気に入ってくださったらしく……そして更にしごきが強くなった。愛の鞭と思おう。


 それに、竜師に付き従っていれば、竜を拝めることがある上に、歴戦の猛者が他の人と交わすあらゆるやりとりを自然と見聞きすることができた。

 つまり雑用係としてこき使われることは、私にとってデメリットより圧倒的にメリットの方が大きかったのである。


 他の騎竜兵には相当きついらしい食べ物の乏しさとやらも、自分で獲ってきた獣を捌いたり耕した畑から収穫したりの達成感の方が上回った。

 貴族令嬢として生きてきた今までより、騎竜兵の見習い以下としてあくせく毎日走り回っている方が――私には、よっぽど人生を生きているように感じられる。


 あと地味でありながら大事なことだったのだが、竜師は私が女であることに最初から気がついていたらしく、その辺さりげなく折に触れてフォローしてくれた。

 やっぱり基本は男所帯ゆえ、自分の安全においても辺境伯による追放を避ける観点においても、貧弱小柄若者スタイルで通すのが全方面に都合が良かったのである。たぶん竜師も同じ考えだったのだろう。



 一月、二月、三月――季節が変わる頃になっても、私は相変わらず、竜師に毎日元気よくしごかれていた。時折辺境伯と顔を合わせると、彼は呆れたような表情になったが、だんだん「今日こそ音を上げるだろうな」という目つきは消えていく。


 そして春が夏に変わる頃、私の仕事についに竜の世話が追加された。

 と言っても無論、見習い以下の私が任されたのは、現役竜などではない。年を取ったり怪我をしたりで、前線から引いた竜達だ。


 しかし彼らは人間と一緒に長年過酷な戦いを繰り返してきた偉大なる先輩方である。その上、いざという時に再び空に上がってもらったり、あるいは死後、貴重な資源になっていただくこともある。


 私は担当の先輩と一緒に、心を込めて彼らを世話した。どうすれば彼らがより元気に健康になるか考え、あるいは日々の状態を細かく書き留め、異常があればすぐに気がつくようにした。


 一方で竜師の雑用係を解任されたわけではない。私はどちらの仕事にも手を抜かなかった。


 そうしている間に、あっという間に夏から秋に変わり、冬が来て……この冬は随分冷えて、本大陸では例年以上に厳しい冬となったらしい。


 我らが辺境もまた、冷たい風によって体調を崩す人も竜も増えたが、引退舎では比較的被害が少なかった。その上、倒れた竜から採取される素材の質と量も増えたと報告が上がった。


 とはいえ、私は特別なことはしていない。舎や竜の体を清潔に保ち、夏や秋の間に舎のガタついているところを整備し、冬に備えてしっかり蓄えをして……そういう当たり前のことを、当たり前にしていただけだ。

 後はなるべく、竜も、竜に関わる人も、楽ができる方法はないかと思って、ちょっと窓の形を変えてみたり、道具を作ってもらったり……まあ、心当たりがあるのはそのぐらいだ。


 けれどありがたいことに、竜師も、そして一緒に働いていた引退舎担当の騎竜兵達も、私の勤勉さを評価するべきだと再三辺境伯に進言したようだ。

 明くる春、島に押しかけてから一年越しに、私は正式な見習いとして認められた。


「おごることなく励めよ」


 辺境伯がそう言って、私に飾りの少ない、けれど確かに黒い服を与えた時の高揚感は何にも例えがたく――ちょっと感極まって泣いてしまった。

 その後、支給された軍服の管理が厳しいことにもちょっと泣いた。


 さて、見習いとなって引退舎から現役舎に出入りが許されるようになっても、相変わらず私のやることのメインは雑用だ。

 とはいえ、さすがに行動範囲もやることも増えすぎたから、関係者と話して少し整理してもらった。引退舎には毎日ではなく数日おきに顔を出すことにし、竜師のお世話も私が来る前彼が自分でやっていたことはそちらに戻していただく。


 そうして今度は現役の竜や兵の手伝いをしていると――ある日何気なく、辺境伯が箒を握っていた私の前で足を止めて言った。


「巡回についてくるつもりがあるなら、十分以内に私の竜の装備を整えてここに連れてこい」


 理不尽慣れしている私だけど、このときはちょっと驚きで心臓が止まるかと思った。無論、即座に立ち直ったし、いつも以上に機敏に動いた。こんなビッグチャンスを逃す二周目の私ではない!


 気位の高い竜に移動していただくことにはちょっと苦労したが――それでも私はなんとか言いつけを守ったし、辺境伯は約束通り、初めて私を空に連れて行ってくれた。


 風の冷たさ、空気の薄さ……そして何もかも、束縛を地上に置き去りにした自由。

 私であって私でない場所。それが空で、それが竜の上だった。

 あの感覚は一生忘れない。



 さて、そのように当初の初手「帰れ」に比べれば随分態度が軟化した辺境伯だけど、相変わらず厳しくもあり、私を特別扱いすることもなかった。


 最初は私を胡乱な目で見ていた騎竜兵達も、一年過ぎると随分可愛がってくれるようになった。無論、私に当たりの厳しい先輩だっていたけど、竜師の子飼い、という身分が私を守ってくれていたらしい。


 そんな竜師が、二度目の冬、病に倒れた。私はつきっきりで看病して、なんとか彼の命をつなぎ止めることに成功した。


 意外にも、同じように看病に熱心な人がいた。辺境伯だ。

 眠る竜師を前に、自分はこの男に半ば育てられたこと、彼が負傷して前線を退いたのと入れ替わりに辺境伯になったことなどを、ぽつぽつ伯は語った。人に歴史あり、だ。


 まあ見ていれば語られずとも察するものはあるのだけど、まさか本人が直に語ってくれるとは思わず、ちょっとびっくりした。恩師が死にかけたのを目の当たりにしたせいだろうか。いつもは何が起ころうと揺るがぬはずの男が、なんだかとても儚く見えた。


「お前は若い頃の私に少し似ている。そのめちゃくちゃに一途な所。だから竜師も可愛がっているんだろう」

「では辺境伯は早期引退などなさらず、いつまでも私の頭上でふんぞり返っていてください」


 彼はくしゃっと笑ったが――一方で私は、自分の放った言葉に違和感を覚える。

 すーっと自分の血の気が引くのを感じていた。


 ああ、馬鹿め。そうだ、一周目では赤の他人、風の噂だからあまり頭に入れていなかったけど。


 この冬、今までと同じように出来事が進んで行くなら――彼、辺境伯は春を迎えられない。次にある大規模な魔物の進軍で戦死する。彼の死後、スムーズな辺境伯交代がなされず、海域はどんどん荒れていき――それに伴い、我が国も荒んでいくのだ。私の元夫が竜の首なんか買ってきたのも、戦死の数がおびただしいせいで、本来流通しない市場にまで竜の死体が出回っているとかで……。


 いや、だが……落ち着け。まだ絶望するには早い。私は気を取り直す。


 まず第一に、たぶん一周目の彼は、恩師の看病で自分も弱ってしまったのだ。竜師は今でこそ容態が安定したが、一時は危篤状態になりかけた。あのまま死んでいても何らおかしくはない。辺境伯殿が大分この件で胸を痛められているらしいことは、滅多に語らない過去を酒と共に披露している点からも推し量れる。


 そして第二に、一周目ではおそらく、島は本大陸同様前年の冬の害を受け……そのまま戦力に余裕がない状態だったのでは?


 今回は引退舎に余裕があった分で補填し、さらにこの春から秋にかけては、試作ではあるが騎竜部隊の増強も行った。もうちょっと具体的に言うと、装備をアップグレードである。

 漆黒の服は丈夫で見た目もかっこいいが、身にまとうといささか重たすぎて動きももっさりするように感じた。

 そこをなんとかならないかと相談して加工を試し、より軽量で丈夫なものに進化させたのだ。


 ともあれ、全体的に、一周目より有利な状況のはずだ。

 ……だけど。


「辺境伯殿。実は私が人生二周目ですと言ったら、狂言とお笑いになりますか」


 保身を考えるなら、私はただでさえ最初に追い出されかかった身、こんな荒唐無稽な話、黙っている方がいいのかもしれない。


 だが――私が黙っていることで守れるのは、多くて私一人だ。

 私が喋って、信じてもらえなければ、私は何もかもを失うのかもしれない。

 でも、私がありったけ、私の知りうる情報を共有することで、知り合った人達を、一人でも多く救えるのなら。


 この人に、春を迎えさせることができるのなら。


 辺境伯の目をじっと見つめる。

 この人は厳しい所もあるが、それは大概、相手を思うがゆえだ。私を出て行かせようとしたのも、ここまで長続きできると思わなかったからだろう。


 だが、今なら彼は私を――たとえ偽りの竜騎兵見習いとしての姿であろうが、この一年過ごしてきた私を知っている。そして勘違いでなければ、私は一周目の両親や元夫とは違う関係性を、この人と築いている。


 笑われてもいい。最悪追い出されてもいい。何か一つでも頭に残ってくれて、「もしかして」と少しでも考えてくれて、そして備えてくれるのなら。


 目を丸くする辺境伯を前に、私は一気にまもなく訪れるだろう災厄のことを語った。我ながら鬼気迫るものがあったと思う。それを真剣と捉えるかは、狂気と捉えるかは、聞く人次第だ。


 辺境伯は私が喋り終えるとしばらく黙り込んでいたが、やがてぽつっと言う。


「……始まりは、魚が大量に打ち上がること、だったか?」

「はい。普通に取れる魚だけではなく、巨大魚までもが岸に上がります。海からやってくる魔物から逃れようとして――それが始まりの合図です。私の知っている世界では、三日後にこれまでにない規模の侵攻があり――沖に出て迎え撃った竜騎兵部隊は全滅、城と島はなんとか死守するも、海は彼らに奪われます」


 私は絶対に目をそらさなかった。じっと彼を見続けた。それで少しでも何か伝わるものがあれば、と念を込めて。


 やがて辺境伯は立ち上がる。そこにいたのは、漆黒の衣にいかなる脅威すら寄せ付けなさそうな圧を身にまとう、いつもの彼だった。


「準備する。手伝え、サリ」

「…………! はいっ!」


 この日初めて、彼は私の名前を呼んだ。

 親が私に与えたものではなく、私が出身地を出てから、旅のために自分自身に与えた新たな名前。

 いつの間にか、そちらで呼ばれる方が当たり前になっていて……けれど辺境伯は、今初めてそれを口にした。


 じわっと目尻が熱くなる。だが泣くのはまだ早い。


 私はぐしっと乱暴に目元を拭い、死に神殿の後に続いた。



 ◇◇◇



 王暦八百三十二年、オルカン島にかつてないほどの数の魔物が襲来した。

 ヴェイン辺境伯は果敢にこれを迎え撃ち、三日三晩の激戦の末、見事海とそれに連なる大陸の安全を守り抜いた。


 海上で魔物の将を二騎も討ち取った辺境伯の手腕も見事なものだが、いま一騎の将と対峙し、本隊が戻るまで持ちこたえた島の防衛軍もまた、賞賛に値する貢献である。


 特筆すべきは、引退竜にまたがって空を駆けた老将と、それに随行した見習い兵だろう。


 老将はかつて目を負傷したため現役を退いていたが、腕は衰えておらず、時間を稼ぎきった。彼の的確な目となった見習い兵は、日頃は雑用係を務めており、お互いを知っているからこそなしえた連携だった。


 島に帰った辺境伯は、三騎目を討ち取った後、この見習い兵の元にはせ参じ――その前に跪いたとされる。


 曰く、彼女・・がいたからこそ、なんとか持ちこたえることができた。この戦い最大の功労者である、と。


 この見習いは後に史上初の正式な女性竜騎兵となり、順調に功を重ねて出世し、そして最後には今一人の辺境伯――オルカン島で彼女に跪いた男の配偶にまで上り詰めることになる。


 生涯夫と共に戦い抜いた女傑の姿は、後に慕う者達によって像となり、今日でも島内墓地にて確認できる。


 当時の騎竜兵の漆黒の衣装を身にまとう、その人の名はサリ。

 強く、賢く、愛情深い女性だったと伝わっている。

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死に戻り令嬢は二周目人生で英雄になりました 鳴田るな @runandesu

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