CL邸の日常は微睡

梅干かよ

無垢

気がついたら駅の前に立っていた。これは誇張ではなく、体感上では嘘偽りのない本当だ。思い立ってからは何時間も経っているが、瞼の逢瀬の合間に何が起きたんだか自分でもわからないくらいだ。


赤黒のホームページには黄色い字で

『芥町駅の西口を背にお電話をおかけください。』

そう書いてあった。どうやら場所は非公開らしく、後で知ったが会員制というのはどこもそれが普通らしい。辺りを見渡すと電話をかけている僕と似たような風貌の人が何人かいる。これがみんな同じ目的なら店は大繁盛だな、なんて考えながらライオンの像にもたれかかった。


「先程電話を掛けたものなのですが、」

恥ずかしながら10分前にも電話を掛けていた。その時は現金のみの精算(これもこの業界では普通らしい)なことを知り、慌ててコンビニに駆け込んだ。が現金は全て引き出し、衝動買い防止で全て洋服箪笥のシャツとシャツの間に置いてある。仕方なくクレジットのキャッシングで足りない分だけ借りた。ATMから出てきたお札の顔は見慣れてるはずなのに他人面をしていて、押し込むように財布に突っ込んだ。


『お電話ありがとうございます。ご案内でよろしいでしょうか。右手の方にサクラリーストアは見えますでしょうか』

ロボットのような男性の声。こちらにもあまり感情は無く、指示された右を見るとさっき入ったコンビニがこっちを見て手を振ってるように自動ドアを開け閉めしていた。

「はい見えます。そちらに向かえばいいですか?」

『いえ、確認ですのでそこから動かないでください。そのサクラリーストアの隣にラーメン屋があるのが見えますでしょうか。』

「はい見えます」

『ストアとラーメン屋の間の小道を歩いていくとペリカンのマークの置き看板が見えてきます。その建物の地下一階になります。』

「わかりました。ありがとうございます。」

『身分証の準備ができましたらエレベーターで降りていただき玄関のインターホンを押してください。お待ちしております。』


電話が切れた後もう一度コンビニとラーメン屋を見ると、小道は確かに存在していた。当たり前だが、でもさっきは存在に気付かなかったというか。RPGで特定のイベントをこなさないと出てこないルートのように、電話したから開かれた道のように感じた。その証拠に、通り過ぎる人には見えてないのかその道を行く人は誰もいなかった。


いまだに手招きしてるコンビニを通り過ぎて小道に足を踏み込むと、体を引っ張られるかのように、先を急かされた。スニーカーが小道色になるくらいの明るさを、それは目が慣れるくらいの距離を歩いた。興味心が恐怖心に変わるその一歩手前くらいでそいつは現れた。ワインレッド地に白字で

『C』

が大大と浮かび、横には申し訳程度にペリカンが佇んでいる。ここだ。本当にあったんだ。ホームページや電話だけでは、比喩ではなく次元が違うと思っていたものがそこにあった。僕の妄想はここまでだ、これから現実が妄想味を帯びてやってくるんだ、そんな思考が手汗と共にやってきた。


建物から地下に通じる階段は視界には入らず、ホラー映画に出てきそうな白色灯に支えられてエレベーターのドアがあるだけ。下ボタンを押すと寝起きのように音を立ててものの数秒でドアが開いた。なんの変哲もない中に乗り込み『B1』のボタンを押した。CなのにBってなんだか可笑しいと思っているうちにドアは閉まりそして開いた。そこに広がるのはホームページと同じ赤黒の四畳半ほどの部屋とドアだ。息を呑み、その部屋に踏み出すとエレベーターは待ってましたと言わんばかりに閉まった。ドアに再び目をやると、横には家庭用でよくあるカメラ付きインターホンがあった。まだ押してもないのにこちらを覗き込んでいるようで、それが誘われてるのか拒まれてるのかが分からず不思議と不快な感じはしなかった。


押す手が震えているのがわかった。これは確実に武者震いではなく、ただの緊張だとわかると、自分の身体だけは味方だと思えて少しだけ優しい気持ちになれた。


「はい、CL邸です。お待ちしておりました。身分証をお手元に、少々お待ちください。」

あぁ、僕の無垢は剥がれて目には映らなくなってしまった。どうかその白だと思っていたそれが使い込んだ雑巾のような様だと分かった時は、逆に僕を罵ってくれ。思ったよりも守るに値するものではなかったのにと。剥がれたその時の方が、よっぽど新品の、薄皮さえ愛らしいほどの白だったと。


右の壁に小窓がある事に開いてから気がついた。週刊少年誌二冊分積んだくらいの幅の窓がそこにはあり、目をやるとギリシャ人のような男性(堀や眉の濃さなど目元範囲の情報での断定)と合った。


「お待ちしておりました。まず身分証のご提示をお願い致します。コピーを撮らせて頂きます。」

身分証というのは不思議なもので、意識しないとなんでもないが、手に持ちそれを他者に預けているとその間は人権のない何者でもないものになってしまった気持ちに陥る。流浪人気分はそんなに長くはなく手元に身分が返ってきたと同時に質問を投げかけられた。

「これからいくつか質問をしますので、ハイかイイエでお答えください。まず当店はマナー、ルールにとても厳しいです。守ってもらえない限り即刻退出のち出禁となります。ルール等は後でご説明しますがご了承いただけますか。」

「それって…」

「ハイかイイエでお答えください。」

「あ、はい」

「質疑は後で応答致します。続いて、店内での連絡先交換や店舗を出てからの後追いは禁止となっております。ご了承いただけますか。」

「はい」

「店舗内の撮影、録画は禁止となっております。見つけた場合データの確認等をさせていただきます。ご了承いただけますか。」

「はい…」

ルールに厳しいのは知っていたがここまで言われてしまうと、これからの一挙手一投足が張り巡らされた禁止の糸に触れているのか疑心暗鬼になってしまいそうだ。言われてないルールはどのくらい細かいのだろう。グラスを両手でもってはいけないなんてルールがあれば、僕は10分もかからず出禁になるだろう。


そんな気持ちを見通したのか、男は目だけ笑ってこちらを見た。

「ルールさえ守っていただければ、あとは楽しく交流していただいて結構です。初めては緊張しますよね。」

「そうですね、そう言っていただけると…」

「ハイかイイエでお答えください。」

「あ…」

「ご冗談ですよ。ではそちらのドアを開けますので少々お待ちください。」

なんの気紛れにもならない冗談を残男は窓を閉めた。赤黒い部屋に一人きりになって改めて、自分が非日常に踏み入れたことを認識した。今あるのは興奮か、畏怖か。大体の感情は言葉に出来ないのに、今ははっきりしそうなのに目を背けているような。わかってしまったら最後、平気な顔して街を歩けなくなりそうな、そんなようだった。


開錠の音が聞こえ、ドアがゆっくりと近づいてきた。想像よりも小さい(160cmくらいか)ギリシャ人が、さっき見せた取ってつけたような笑顔擬きで姿を見せた。

「お待たせ致しました。CL邸へようこそ。お入りください。」

白い無垢を赤黒い部屋に置き、一歩踏み出した。それは例えでもあるが現実でもある。新しい体で踏み出した一歩は例えでも現実でも軽かった。これから何色になろうとも連れて帰るからと無垢に言い残し、ドアを閉めた。

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CL邸の日常は微睡 梅干かよ @ne_koji_ta

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