第11話 燻る思いに
あの打ち明けられた告白以降、何をするにしても手がつかない状態になってしまった———。
一人であっても生きていける、と発言してしまったものの恭子がいなくなると考えた未来の景色はただただ灰色に染まり切っていた。
色褪せた白黒の夢を見ているような気分になって、ユウジはベッドから起き上がると黒い森の中へ入っていった。明かりの灯った家屋が徐々に遠くになり、すっかり見えなくなっていた頃にはなぜか走り出していた。
この溢れてくる感情の正体がいったい何なのか。
そう考え始めると余計に限界を超えて全力疾走する。どこを走っているのかさえも分からない。ただ、がむしゃらに脇目も振らず駆け狂う。
そうする事によって一時でもこの気持ちが軽くなっていくような気がした。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ‥‥‥」
喉の渇きも忘れて走った先、そこは見覚えの場所だった。無意識の中、導かれたように辿り着いたのは、かの兎を仕留めた場所だった。
「‥‥‥‥‥‥」
乾いた血痕。そのすぐ傍に2羽の子兎が身を寄せ合っていた。
還ってくるはずのない親をここで待っているのだろうか。
そう思う所があったからこそ、ユウジは己自身と照らし合わせて親を失った境遇の2羽の子兎をしばらく眺めた。
動物にも人並みに悲しみや寂しさといった感情があるのかもしれない。何かの本で読んだ記憶があった。真偽については眉唾な話だったが、今こうして目の前の光景を見せられると、あながち嘘でもないのかもしれないと思わされる。
自己嫌悪に苛まれることはなかったが、ユウジとしては憐憫とも同情とも違う何かしらの感情を芽生えさせた———そう、これは慈悲の心だ。
「もう悲しまなくていい」
腰に携えたダガーナイフを引き抜きながら、足音を消して忍び寄る。動かない2羽の子兎を見下ろすほどの距離に近づく。ついにその小さな体躯に刃物を突き立てようとした、その瞬間。
「———ッ!」
にわかに脳裏に鋭い痛みが走った。
いや、痛みとは少し表現が違う。断片的な記憶がフラッシュバックしている衝撃といった方が正しいのかもしれない。
「‥‥‥ッなん、だ‥‥‥?」
冷たい金属片。白い修道服の男。冷たい目。
「怯えて‥‥‥いる、のか‥‥‥?」
ユウジの近視眼的視点からは、その白い修道服の人物が近付いてくるにつれて、画角が小刻みに上下していた。一方、流れ込んでくる濁流の如き感情はどこか俯瞰的なものとして捉えていた。
軽蔑したような瞳がユウジを捉えて、白い修道服の人物が持っていた———。
「は、はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥なんだ、今のは?」
その先を視ることなく、現実に引き戻されたユウジ。膝に手をついて襲ってくる眩暈に抵抗しながら荒い息を吐く。
どうにか地面に倒れるような事もなく、周囲の闇夜を警戒するぐらいには余裕を取り戻す。それから落としたダガーナイフを拾った。
* * * * * *
夜の闇が濃くなり始める。ユウジは気配を限りなく消して、帰宅した。その両手には何も持ってはいない。
「おい、不良少年。こんな夜遅くまで外出して、家出の真似事か?」
リビングで横になっていた目を瞑っていた恭子に声をかけられる。
「‥‥‥少し外の風を吸ってきた、ただそれだけですから、先生」
顔を背けながら答えるユウジ。いま恭子の顔を直視する見ることができなかった。
そのまま素通りしようとしたところで、また呼び止められる。
「待ちなさい、ユウジ」
逆らう事を許さない聞き慣れた声。身体が真っ先に反応してしまう。
「‥‥‥何か用ですか?」
ゆっくりと振り返る。
恭子はすでに起き上がって話し合いの場をもとうとする雰囲気があった。
「拗ねている原因はこの間の件に関係しているのか?」
その問いかけに首を微かに横に振る。
「だったら何だ? 言ってみなさい」
不満げなユウジの態度を察して、彼女が問いかける。
それでも無言を貫いたまま、その場に根が生えたように動かないユウジに対して、「これが俗にいう反抗期っというやつか?」と言って、男勝りな仕草でガシガシと頭をかく恭子。
透明度が増したように感じる白銀色の髪が、暖炉の中で燃え盛る炎に反射して神秘的な彩りの印象を与える。
「ユウジ、ここに座りなさい」
「‥‥‥‥‥‥」
凛とした声が室内の隅から隅まで響き渡る。
ユウジは足取り重く、指示された対面のソファに腰掛けた。
「思っている事があるなら言ってみなさい」
真っ直ぐに見つめる彼女に、観念した様子のユウジはひとつ息を吐いて、頭の中で整理した内容をポツリポツリと話し始める。
「いつまでもオレのことを子供扱いして、隠し事をするのはやめてください」
「そんなつもりはないが」
「いいえ。少なくとも先日の余命の件に関してはだいぶ前からわかっていた事ですよね、違いますか? それに理由も説明しないで残りの寿命が残り少ないって言われても納得できるわけがないでしょうッ!」
「それは‥‥‥」
「たしかに何ができる訳でもないのかもしれない———だけど一緒に背負うことはできるはずです。先生の役に立ちたい、これはオレの本心です。だから少しは頼ってくださいよ、先生ッ‥‥‥!」
憤りにも似た感情を今まさに実感し、自覚した。
無意識下でこれまで燻り、仕舞い込んできた想い。見ないように目を逸らしては、気づかないようにしていた。
この人がどれほど自分にとって大切な人なのかを———。
その実理解するのが怖かっただけなのかもしれない、何かの1ピースがなくなってバランスが取れなくなった天秤のように、今の関係性にヒビが入って均衡が保てなくなってしまうということが。それは少なからず恭子にも届いたはずだった。
感情の変遷を淡々とした様子で見つめながら、恭子はユウジの話を丹念に訊いていた。彼女にとっても正直な感想として、ここまで慕われていたという事実を素直に受け入れることができなかった。だからこそ、かけるべき言葉に迷いが生じてしまう。
お互いが次の言葉を口にするのを躊躇ってしまったことで、室内に沈黙が舞い降りた。
「こっちにおいで、ユウジ」
先に沈黙を破ったのは、恭子の方だった。柔和な手招きをする。
ユウジはその誘引に反抗した。その様子に目をパチクリと大きくした彼女が再び同じ文言を口にする。
「聞こえなかったのかい、ユウジ? こっちにおいで、と言っている」
「‥‥‥はい、先生」
そうしてやってきたユウジを隣に座らせると、恭子は頭をその胸に抱くようにして迎える。
「‥‥‥⁉︎」
困惑したユウジが身体を硬直させる。
彼女の高めの体温と伝わってくる鼓動。
「ちょっ、先生なにを‥‥‥」
身体を引き剥がそうとして、もがくユウジだったが、それ以上の力できつく離さないように締め付ける恭子。しばしの攻防ののちユウジが観念してこの恥ずかしい状況を受け入れる。
それから恭子は自らの内に取り込もうとしているかのようにきつくきつくユウジのことを抱いた。心の内側から込み上げてくる安堵感のようなものが少年の身体の体温を高くする。
「口下手なわたしで悪いね。けれど、こうするより想いを伝えるすべが思いつかなかった」
耳元の無感情な声がいまはやけに脳髄を刺激する。
「わたしは甘えていたのかもしれないな」
「え?」
「ユウジ、きみの事を勝手に理解した気になって不安定な状態に追い詰めてしまった」
「先生が悪いわけじゃ‥‥‥ッ」
次の言葉を遮るように、ユウジの唇に人差し指を触れさせる。
「いい、これはわたしの落ち度だ。だから、知っている限りのことを話そう」
そう確かに恭子は言った。
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