第6話 相対と予兆
ここ最近はもっぱら座学が中心となる生活だった。
教鞭を取る先生は、スパルタ教育主義者の一面もあったが教鞭をとっている間は、一貫して穏やかで、むしろ知識欲を刺激されたような一面を色濃く垣間見せた。
しかしユウジにとっては、暇を持て余した道楽、時間を浪費するだけの暇つぶし程度に思っていた。
だから本当に久しぶりな先生からの実践訓練のお誘いに、少年は気色だった。
目標は先生から一本取ること。
座学を含めてもこれ以上に難しいことはない。彼にとっては最も身近な生きがいと表現しても過言ではないくらいに注力していた。
時間が出来る都度、イメージトレーニングを欠かさず行い、恭子の動きを頭の中で再現する。次にその動きに対処するための動きをイメージしてリフレインしていく。そして対処した動きに対して、次に恭子がどのような行動を取るのかを予測して、また自分がその行動に対してどう対処するべきなのかを思考する。この工程を何千何万と繰り返した。
「いくよ、ユウジ」
短くそう切り出して、返答する間も与えずに恭子が距離を縮める。お互い向かい合っての6,7メートルほどの距離が一瞬にしてなくなった。
———ゼロ距離だ。
悠長に状況を整理する間もなく、恭子の不意打ちに近い形の先手を辛うじて躱すユウジ。
飛び退いた先には、直径五〇センチほどの樹木が目の前にあった。背面に廻ってその広葉樹を盾にするように身を隠す。
一歩脇道をそれれば、障害物が至る所にある雑木林。
日中帯にも関わらず、幹や葉が被さるようにして日光を遮断している。
追撃はなかった。
「‥‥‥‥‥‥」
彼女の意図が読めない。だがここで手ぐすねを引いていても意味はない。
ユウジはその場に留まること無くやがて体勢を立て直すと、開けた場所で出方を伺っている恭子に目掛けて手ごろな小枝を投げつけた。
軽くあしらうように片手で払いのける恭子。
その間に狙いを定めた獲物のように姿勢を低くして、彼女の死角へと回り込むと背後から襲いかかる。
「甘いよ」
恭子は、さも予測していたかのように前を向いたまま猛進するユウジを後ろ足で蹴り上げる。
「‥‥‥!」
予備動作のない動きに、反応が遅れるも頬を掠めるだけに止める。
そのまま攻撃に転じるユウジ。蹴り終わりの隙をついて、鳩尾に一撃。
しかし恭子はそれを難なく受け止める。
次に視界の端に捉えたのは、淀みのない動作で身体を翻して裏拳による肘打ちを繰り出す瞬間だった。
「そう何度も同じ轍を踏むとでもッ!」
ユウジは空いている左手でブロックする。
束の間の膠着。目と目が合う。
「今のは‥‥‥初めて見せたはずだが?」
そう疑問を口にして、恭子はバク転をする要領でその場で後方回転する。
危うく蹴り上げられた顎先を捉えようとしたところで間一髪、避けるユウジ。
ユウジの体勢が整わない内に、今度は息つく暇もない飛び膝蹴りから、高速突きや平手連続打ち一辺倒を放つ恭子。ユウジは防御に全神経を使い、それらをいなし続ける。
戦局は、近距離戦へと移行。
加速する思考の中、一撃のカウンターを狙うユウジの思惑を読み切った恭子の一手一手に鋭さが増す。
次第に恭子の手数が、ユウジの防御を上回り始めた。
そしてついにユウジの耐久力に限界が来たのか、ガードがほんの僅かに下がる。
「そこ」
恭子の渾身の一撃がユウジの顔面に直撃した。ユウジの重心が下がって後方へ。
「‥‥‥?」
しかし———、何かおかしい手応えに気づく恭子。そして、その正体に行き着く暇もなくその小さな身体は空中に投げ出されていた。
「‥‥‥‥‥‥」
恭子は何とか受け身を取ってダメージの軽減に努める。すぐさま起き上がって、さっきまでそこにいたはずの少年の姿を見失う。
「なるほど。わざと攻撃の隙を演出して、一撃を誘い、インパクトまでのタイミングをずらしたのか」周囲の気配を探りながら冷静に分析をする恭子。
そう、ユウジは自ら攻撃に当たりに行くことで、インパクト時の最大値を激減させていた。
「正解です」
背後、雑木林の一角から返答と共に姿を現したユウジは、勢いをつけて踵落としを喰らわせる。防御した恭子の細い腕がミシミシと音を立て、過度に加わった重力に押されて両足が地面に沈む。
(誘導したのか?)恭子は片目だけを器用に地面へと向ける。
小さい地盤の陥没というぬかるみが点在する雑木林の特徴を最大限利用して、この場に恭子を縛り付けることに成功させたユウジ。
慣性の法則に従って、そのまま反動をつけて空中で身体を捻り反転させて、そこから彼女の脇腹へ一閃———。
ユウジの蹴りが、防御の遅れた恭子の脇腹へ放たれた。
「‥‥‥ぐっ」
間一髪、滑り込ませた肘で腹部への直撃は避けられたようだったが、衝撃までは吸収しきれない。顔を歪ませながら、数メートル先まで吹っ飛ぶ恭子。
初めての光景に高揚感が増すユウジ。次の攻撃体勢に入って両足の爪先に力を入れたところで、何か違和感のようなものが脳裏を掠める。
「‥‥‥‥‥‥」
だから動きを止めてしまった。
機転を効かせた。虚をついた。相手の思考をトレースした。
相手の想定以上の状況を作り出すことができた。だからこそ初めて攻撃をまともに貫通させるに至った。
だったら何だ、この違和感の正体は‥‥‥‥?
ユウジは構えを解いてその場に固まったまま思考を巡らした。すると必然的にある一つの解に行き着いた。
「一矢報いただけで、動きを止めるとは舐められたものだね」
起き上がった恭子が、冷たい目をしてそう言った。だがその声自体に覇気はなく、青褪めた顔色をしているのが見て取れた。
「先生、今日はやめにしましょう」
「‥‥‥‥‥‥」
その提案を無視して、恭子が地面を蹴った。
「‥‥‥先生ッ⁉︎」
似つかわしくない行動をする彼女に対して、反応の遅れたユウジが防戦一方になりながらも攻撃を捌き切る。
観る者を虜にしてしまう、隔絶された世界。そこには洗練された技と技のぶつかり合う姿があった。
そんな中であって、ユウジの疑惑は確信へと変わる。
無表情ながらも、ここまで肩で息をする恭子の姿を今の一度だって目にしたことがない。そもそもこれまでの攻防の最中、片手間に相手の様子を観察できたことなど一度もない。
急成長していると解釈したいが、世の中そんなに都合の良い話もないだろう。現に彼女の繰り出す掌底や拳打はキレが数段落ちてきている。
「‥‥‥先生」
困惑するユウジ。
やがて墜落する飛行機のようにそれらは勢いを失い、しばらくして止まった。
「‥‥‥ユウジ、すまない。少し休憩に、しよう」
もたれかかるようにして、前のめりになる恭子を両手で受け止める。
革製のグローブ越しから伝わってくる彼女の重みがやけに軽いようなそんな気がした。
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