第2話 葛藤
「ゼェ、ゼェ‥‥‥」
ようやく山頂に到着した頃には、雨足がそこまで来ていた。
仰向けになって脱力するユウジの顔面には雨粒がポツリ、またひとつポツリと降ってくる。
「ユウジ、早く起き上がりなさい。このままだと雨に濡れてしまって風邪を引いてしまうよ」
澄んだ瞳で見下ろす先生が、心配そうに声をかける。ユウジは言った。
「先生は、先に家の中へ入っていてください。オレはもう少し身体の熱を冷ましてから中へ入りますから」
実際のところ、疲労困憊ですぐには起き上がれそうにない。しかしそうは悟られないようにして適当な言い訳を並べて強がってみる。
先生は「そうか」とだけ言って、隣へ腰を下ろした。
「まあ、今日はちょっとばかり飛ばし過ぎたのかもしれないな」
色素の抜けた銀色とも白色とも似つかない長く艶やかな髪に、降ってくる雨粒が一つまた一つ付着する。無機質な瞳がここではないどこか遠くを見ていた。
彼女———恭子の姿は形容し難い『儚さ』のようなものをユウジに感じさせた。
「身体に触りますから、中へ入りましょう」
すぐに現実に意識を引き戻したユウジは、恭子にそう忠告して無理に身体に力を込める。
「‥‥‥っ」
まだ上手く力の入らない痺れた足を己の拳で強く殴る。痛みは感じた。
つまりは多少なりとも疲労回復はしているという証明でもあった。
もう1、2分もすれば独力で歩けるくらいにはなるだろう。
「肩を貸そう」
「いえ、大丈‥‥‥」
再び言い終わらない内に、恭子が右腕を取って立ち上がろうとする。
拒否権はない。
少なくともユウジが、彼女に逆らえた試しは出会ってから一度もないのが実情だ。だからここは大人しく従うより選択肢はない。
「‥‥‥先生、すみません」
「ん? なぜ謝る?」
恭子が首を僅かに捻って、その目鼻立ちのはっきりとした容姿を横に向ける。
甘い、女性特有の匂いを意識させた。
背格好が同じのためやけに彼女を近くに感じる。
「さっきも伝えたが、今日は少しばかり飛ばし過ぎたのが元々の原因だ。鍛錬といってもそれぞれ段階というものはある。今回はユウジの限界を超えて、無理をさせたわたしの責任でもある」
4時間かけての山下りと山登りの往復トレーニング内容は、14歳という成長期真っ只中の心身には無理をかけ過ぎていたのかもしれない。
加えて復路半ばで、走行速度を上げたとなれば相当な負荷になったとしても不思議はない。
したがってユウジの現状は、当然の結果とも言えた。
「‥‥‥‥‥‥」
それでもユウジの心の中にはモヤモヤとした、鬱屈とした感情が燻る。
期待の裏返しゆえの言動、そして信頼。何かを裏切ってしまったようなそんな気が後々になって押し寄せた。
ユウジ自身、その正体には気づいていたが感情をコントロールして言葉にすることはなかった。なぜなら彼女の顔が落胆の色に染まってしまうのを一番恐れたためだ。
「タオルを持ってくるから、そこで大人しく待っていなさい」
家に入ってすぐのリビングに置いてあるソファに座らされたユウジ。恭子はダイニングキッチンを抜けて奥の部屋へ消えていく。
窓の表面には冷気が張り付いていて、外は先ほどよりも確実に雨足が早くなっていた。
睡魔が忍び寄ってくる。
疲労からなのか、気が抜けたことで一気に瞼が重くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます