第21話 隠しきれない綻び
「遂に、今日か……」
吹野の100万人耐久配信当日の朝。
配信が行われる場所─―待機所には既に1万人の視聴者が押し寄せ、この後の配信の内容に想像を膨らませていた。
「なぁ石狩。なんで登録者が昨日より減ってんだ?」
「こういう耐久配信系での通過儀礼みたいなもんだ、気にしないでいい」
このような現象が起きる主な理由として挙げられるのは大抵2つぐらいに分けられる。
1つは配信者がその様子を見て動揺するさまや悲しむ姿を見たいという視聴者の些細な悪戯心だ。
……まあ配信者側から見ればそんな行為は溜息の出るものだが。
もう1つは自分が記念すべき100万人目になりたいというエゴ。
これも配信者のチャンネル登録者表示画面とはタイムラグがあるから、100万人規模になれば自分が100万人目の登録者かだなんて全く分からないものだけど。
――今日も外は真夏のような暑さ。
太陽はかんかんと照り付け、道路には陽炎が立っている。
空は雲一つない――訳ではないが、夏の風物詩である入道雲が堂々と青空に居座っていた。
とてもじゃないが外に出ようとは思わない。
だが生憎今日は平日。
こんな気温の中、学校に行かなければならない。
電車や学校は冷房が効いてて良いが、その道中が耐えられない。
……早く夏休み来ないかな。
「あれ、そいや鬼軍曹は?」
「鬼軍曹……? ああ、奥入瀬のことならまだ降りてきてない」
あの後、奥入瀬とは一度も口を聞いていない。
小沢との撮影が長時間に渡ったこともあるだろうが、少なくとも昨日の衝突が響いていることは確かだろう。
「はよ」
先に起きてきたのは茂の方だった。
「おはよう茂。もう風邪は治ったか?」
「うん、全快」
茂は元気なことをアピールするために腕に力こぶを――って出来てないな。
「……そうか。運動もするんだぞ?」
「? 了解」
ともかく、これで3人全員起きてきた。
あとは奥入瀬だけだ。
いつもなら一番最初に奥入瀬が朝の支度を済ませ朝部活へと向かうのだが、今日は姿を見せていない。
「ちょっと奥入瀬起こしに行ってくる。冷蔵庫のタッパーの中に野菜炒めあるから好きに取ってくれ」
「ほ~い」
「かしこまり」
寝起きでテンションが低く寝癖も酷い2人にそう言い残し、2階の奥入瀬の部屋へと向かう。
少なからず吹野の影響もあるんだろうな。
同業者の有名人が近いとそれはそれで大変かもな。
多少同情しつつ、俺は部屋のドアをノックする。
「奥入瀬ー、起きろ。朝だぞ」
しかしそこに返事はない。
「……入るぞ」
はぁ、と溜息を小さく吐き、俺はドアを開く─―。
「……あれ?」
カーテンで日差しが遮られ、暗闇に満ちた部屋。
エナジードリンクの空き缶が机に積まれていて、床には紙や物が散乱している。
ここだけ見たらゴミ屋敷に等しいだろう。
それより。
ここに奥入瀬の姿は無かった。
***
「……お、ようこそ」
「……よ」
呼ばれた先は閑静な住宅街、世田谷にあるとある一軒家だった。
リビングのソファーでコーヒーを飲みながら優雅にテレビを見て寛いでいた吹野は、俺を見るなり微笑みながら右手を上げた。
「有名人なら家の鍵ぐらいかけとけよ」
「そう思うならインターホンを押すのが普通じゃないかな?」
そんなことよりお茶を入れるよ、と吹野は立ち上がり冷蔵庫へと歩く。
「よく来てくれたね。あんなに断っていたのに」
そう言いながら彼は冷蔵庫から麦茶の入った2Lのペットボトルを取り出し、コップに注ぎこむ。
どうぞ、と目の前に置かれたコップを見て飲むか否か躊躇っていたが、考えるのをやめて大人しく口を付ける。
「……全てがどうでも良くなった。なんか考えるのがめんどくさくなった」
「ふぅん」
「あと、お前の100万人突破を邪魔してやろうと」
「後付けだね」
「るせぇ」
正直自分でさえ心の内が混沌としすぎて、どうしたいか、どうすることが正解か分からなくなった。
こいつとはコラボなんて反吐が出るが、あいつらにあーだこーだしつこく言われるぐらいならさっさとコラボして終わらせた方がマシだと思った。
「それでも来てくれたことはうれしいよ。今日は誰が来るか知ってるかい?」
「さあ、全く」
「今やテレビで見ない日は無いお笑いタレントや女優、俳優たちと勢揃いなんだよ」
「あっそ」
手持ち無沙汰になった俺はスマホで見つけた漫画を適当に眺める。
「……興味がないみたいだね」
「お前が芸能界に行ってからはテレビなんて見たくもないからな」
「徹底してるねぇ。でもそんなに僕に人生を振り回されて人生大変じゃない? いい加減仲直りと言ってもいいんじゃないかな。もう高校生だよ?」
「どの口が言ってんだ」
吹野の軽口に苛立ちを覚えていたところに、インターホンが鳴る。
吹野は玄関へと向かい、暫くして訪問者を連れてやってきた。
「ほら奥入瀬くん。こちらが今日配信に出てくれるメンバーの1人、人気女優の
長く艶のある黒髪に、雪のように白い肌。
まさに大和撫子を体現してると言ってもいい風貌を持っている。
「お、イケメンくんじゃ~ん! この子が吹野くんのおともだち?」
俺は頭のスイッチを切り替え、素早く『モード』に入る。
「こんにちは。吹野と同じ中学校だった奥入瀬衣吹です。いつも『まちかん』観てます」
「ホントに~!? ありがとう~! 嬉しいなぁ~」
「……テレビなんて観てないって言ったのにね」
「へぇ~、昔の吹野くんってそんな感じだったんだ~! じゃあ昔はリーダーみたいな感じでクラスを引っ張ってたんだ~」
「はい。いつも元気で明るくて。……ちょっとお馬鹿さんでしたけど」
「ははっ、そこは変わらないね、吹野くん?」
「いやいや、頭は良くなりましたよ! ほら、霧川さんだって観たでしょ? 僕がクイズ番組で難問正解したこと」
「あれ、そうだっけ?」
撮影の準備ということで吹野がマネージャーやスタッフと今日の撮影の内容について確認をしている間、俺と霧川さんはお互いの共通項である吹野の話に花を咲かせていた。
だがその作業も終わったようで会話に参加してくる。
「そいや霧川さん、奥入瀬くんがYouTubeやってること知ってます?」
自分の昔話を勝手に掘り出されたことが不快だったのか、コイツも余計な話題を持ち込んでくる。
「え、そうなの? 知らなかったよ~」
「企画とか結構面白くて。毎回その企画内容に驚いてますよ。ほら、これ」
「ちょ、ちょっと吹野」
ポケットから取り出したスマホですぐに俺の動画を再生し始める。
あまりに手際が良すぎることから、予め考えていたシナリオではあるのだろう。
「どれどれ……。――ホントだ! 目隠しAPOXとかよく考えられるね! これって本当に出来るの?」
「いやいや、とっっても大変でしたよ! 音だけで判断しないといけないのに横からボイチャで変な人が入って歌い出してきたときはまじで焦りましたよ!」
「なにそれ! 神回じゃ~ん!」
俺は霧川につられて笑う。
――ダウト。
横からボイチャで変な人が入った、というのは意図的に行った『ヤラセ』だ。
Tkutterで出演者を募集し、動画の内容とやってほしいことを頼む。
ヤラセということは一切他の人に話さないようにと口止めとして出演料を出している。
実際今のところそのような噂は立っていない。
この動画は70万回再生を記録した唯一の飛び抜けた再生回数を持つ。
ヤラセと発覚すれば多くの視聴者を失うことになるだろう。
そんなことも知らない霧川は、はえ~と感嘆しながら、時に笑いながら、俺の動画を見ていた。
「――ってか、どの動画見てもホントにイケメンだね。この容姿だと芸能界入れるんじゃない?」
「ちょ、霧川さん。いくら奥入瀬くん気に入ったからってそんな厳しい業界いきなり入らせようとしないでくださいよ、鬼畜ですか!」
「あはは、ごめんごめん」
そんなこと分かっている。
芸能界はとても厳しい世界ということは。
でも、その言い方はムカつく。腹が立つ。
なんだよ、自分は厳しい業界でも生けていける奴だって思いやがって。
拳を強く握り、しかしすぐに力を抜き手を開く。
落ち着け、衣吹。
最後まで『ガワ』は守り切れ。
「あ、ちょっと私電話来ちゃった。一旦外出るね。話してたのにごめんね」
「いえ、全然平気です」
霧川が急ぎ足で玄関へと向かったのを見て、俺は一息つく。
「凄いね。まさかそんなに猫を被るのが上手いだなんて」
「るせぇ」
そんな俺を茶化す吹野に軽く言葉を投げ返す。
吹野は俺が猫を被って高校生活をしていることを知らない。
こいつは、今の俺のことを何も知らない。
「その様子だと、高校では上手くやってそうだね」
「……流石に中学までの俺には反省はしてる」
「――今はもう、違うと?」
「完全に、とは言い切れないけどまぁそうだと思う」
「いや、同じだよ」
またあの時のように、吹野は断言する。
「君はこのままだとまたやらかす。同じように。――まだグループで活動してるのかい?」
「ああ」
「……いつから?」
「5月下旬から」
「じゃあ、そろそろかな」
どういうことだよ。
お前に、何が分かるんだよ。
そう訊くより先に霧川が部屋に入ってきたのを確認し、俺は口を閉じた。
***
奥入瀬はどこに行ったか分からない。
仕方なく自分も朝食を摂ろうと1階に降り、まだ家に居た小沢と昨日の残り物を食べる。
「なぁ石狩。エゴサってしたことあるか?」
その最中、いきなりそんなことを言い出した小沢に困惑しつつ俺は返答する。
「いや無いよ。だってコメントくれるほど登録者数居ないし」
「だよなぁ……。コメント無いって、辛いよなぁ……。スパムでも良いから来ないかなぁ」
「スパムはそもそも俺たちの動画にすら反応しないけどな」
……朝からどうしようもないことを嘆かれるとこっちも悲しくなってくるな。
自然に身体が重くなる中、小沢は「あ」と何かを閃いた様子。
今のうちに通報しておくか。
「――なぁ、してみねぇか?」
「あのなぁ。そんな短期間で登録者なんて増えてないし――」
「いや、グループの方でだよ」
「ああ、まあ多少来てるかもしれないけど……」
俺は動かしていた箸の手を休め、スマホの電源を入れる。
何気にグループチャンネルは登録者数が700人を超え、見事我が石狩の個人チャンネルの登録者を抜くという偉業(笑)を成し遂げた。
初投稿の動画もコメント欄は当社比では賑わいを見せていた。
……とはいえ、大半のコメントが奥入瀬のファンらしいけど。
しかし、そのコメントの一部には俺のファンも居たらしく、激励の言葉を貰った。
……なら個人チャンネルにもコメントくれよ。泣いちゃうぞ。
ちなみに小沢のファンも居たが、『夏樹くんやっほーwww』とコメントされていた。
……おい小沢、お前学校で宣伝したろ。
そういうことするとこうやって名前だけじゃなく住所も電話番号も晒されるようになるんだぞ、気を付けろ。
俺は静かにそのコメントを削除しつつ、そんな悲劇が起こっていることも知らない小沢は目を輝かせ、鼻歌を上機嫌に歌いながらスマホを器用に操作する。
「まぁとにかく、Tkutterで検索検索ゥ~っと……。――どれどれ~? 『このチャンネル底辺らしくて好きだわ』。おいふざけんな誰が底辺jy――」
「落ち着け小沢。ほら、好きだとよ」
「この……ッ! くッッ!!」
「ちょいちょいちょい」
怒りに任せてブロックボタンに指を伸ばしていた小沢の手首を慌てて掴む。
「いいか、どんなに悪口が書かれていようと自分が不特定多数に晒される身なら決してブロックするな。その情報だけ上手いように切り取られて、ドーンだ。というかそもそもそれは悪口じゃない」
「覚えとけ……ッ! いつか財力でお前を黙らせてやる……!」
「ほ、ほら、素直に応援コメントもあるぞ。『いぶきんぐくん居るんですか!? 絶対付いていくよ! あと、他の子たちも頑張って!』、って」
「ついでじゃねぇか! おいおいおいあんな腹黒ボーイに付いていっても人生損しかねぇぜ?」
「……あー、うん。ソーダネ」
こいつにエゴサはまだ早そうだな……、なんせコイツ頭がおこちゃまだし。
朝からカラスより騒がしい小沢に辟易しつつ、テレビの上にある時計に目をやる。
「ほら小沢、早くしないと電車乗り遅れるぞ」
「やべっ! 行ってきます!!」
慌てて小沢はご馳走様を言って玄関――ではなくキッチンへ。
「ちょっと待てなんで食パンわざわざ咥えたんだあの馬鹿」
いっけなぁ~い、遅刻遅刻ゥ♡と陽気にスキップしながら路上へと駆け出していった。
この様子じゃダメそうだ……。
嵐が過ぎ去り、どっと疲れが俺を襲う。
そして冷静な思考回路が復帰する。
「エゴサ、ねぇ……」
一番俺がこのシェアハウスのメンバーの中で学校が近いこともあって、登校までまだ時間がある。
「もうちょっとだけ……」
普段コメントを貰うことのない俺は、ついエゴサを再開してしまう。
しょうがない。
芸能人も俳優も女優もYouTuberも、みんな承認欲求の塊なんだから。
そう理論づけて画面をさらに下へスクロールする。
するとほかにもいくつかの呟きがあることを確認した。
『このチャンネル、これから伸びるかも?』
そんな呟きに1つ反応があった。
『厳しいでしょ。似たようなチャンネルもういっぱいあるし。尖りすぎだし』
『その尖りがいいんじゃん』
『てか俺いぶきんぐって奴嫌いなんだよね。一回あいつ個人で炎上してるし』
『まじ? 知らなかった』
『まあだいぶ前の話だしな。知らん奴の方が多い』
『古参アピしんどwww』
俺はそんなTkutterでは珍しい長いツリーを見終わり、スマホの画面を落とす。
「……炎上?」
その二文字に疑問を抱きつつ、パジャマを脱ぎ、制服に着替え始めた。
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