第20話 地味に助かる備忘録
暑い。
目が覚めて最初に抱く感想はそれだった。
梅雨も中休みに入り、気温も30℃を超える日が頻繁になってきた。
「あっつ……」
足に纏わりつく布団を蹴飛ばし、近くにあったリモコンで冷房をつける。
だがエアコンの効きが悪いのかなかなか冷風が出てこず、顔に滴る汗を腕で拭いながら暑さに耐える。
正直こんなに暑い日は何もしないでゆっくりしたいものだ。
ただそんな考えに甘えている暇はない。
グループで活動している以上、これ以上怠けるのは好まれる行為ではない。
「……顔洗うか」
重い身体を起こし、ドアを開け、廊下へ──。
「とうッ!」
その瞬間、自分へと水が一直線に向かってきたのだった。
「ドッキリ、だ〜いせ〜こ〜!」
「……ビックリした」
「全然ビックリしてる表情に見えないんだよなぁ……」
「つまらないってぇ〜(笑)」
『ドッキリ大成功!!』と書かれたプラカードを持って落胆する小沢。
営業スマイルを振りまいているものの目が怖い、ビデオカメラを持った奥入瀬。
どうやら動画を撮っているらしい。
寝ぼけている頭を急ピッチで稼働させ、的確な対応を行う。
「まあでも、顔洗えたしいっか」
「「……」」
寝起きの割に上手く返したつもりだったが見事に2人の求めていた正答を外したらしく、2人はさらに肩を落とす。
「こりゃボツか……」
「いや、次は液体の種類を変えるべきなんじゃね? 水をタバスコに変えたり」
俺の顔をピザか何かと勘違いしているのか、なんてツッコミもあっただろうが、先ほどの失敗もあるので黙り込んでおく。
ってか寝起きドッキリって、いざ仕掛けられてみると頭がぼんやりしててリアクションも薄くなるんだな。
知らなかった。
やっぱり寝起きドッキリはヤラs──いや、これは特殊な訓練を行っていないからこんな反応になるんだ、そうなんだよ。
「とりあえず。午後は小沢の耐久の方を撮ることにするぞ。それまでに俺は昨日残した未編集の部分を終わらせる」
奥入瀬は淡々と言って部屋のドアを閉める。
「また耐久か〜。こんなにやんのは中学生以来だな」
部屋には俺と小沢だけが残る。
そこでふと気付く。
「あれ、茂は?」
「中津のことなら今日は熱出たらしくて休んでる」
「ああ、昨日の撮影か……」
というかそれしか理由が見当たらない。
なんせコンビニにあった全種類のアイス食べてたしな……。
実際世界でアイスの食べ過ぎで死亡した人が居るとか居ないとか。
「と言っても編集後の動画チェックはするらしいから作業自体はなんも問題はないってよ」
「茂も災難だったな」
「……ってか石狩」
「なんだ?」
「……いい加減顔拭いたらどうだ?」
「あ」
足元には小さな水溜まりが出来ていたことに気付き、慌てて雑巾を取りに向かった。
そんなこんながありつつ、グループでYouTube活動を行っている俺たち。
「小沢、それ恐らく声とBGMのバランスがおかしい。もう少しBGM小さめで声聞こえるようにして」
編集兼カメラ担当、石狩睦月こと『ほとけ』。
「了解! あ、そいや冷蔵庫の中のエナドリ切れたから午後買いに行くわ」
編集兼体張り担当、小沢夏樹こと『脳筋太郎』。
「冷えピタも希望……。──う~ん、ここのSEはアメコミみたいな感じにしたいから……」
編集チェック兼美術監督担当、中津茂こと『かみ。』。
「撮影は編集終わり次第で。企画会議は今日の夕飯の時にするぞ」
企画立案兼リーダー、奥入瀬 衣吹こと『いぶきんぐ』。
──お気付きだろうか。
3人は必死に編集をしている中、ある1人は一切手を動かしていないことに……。
「……流石に頭痛くなってきたし、ちょっと寝る。何かあったら教えて」
しばらくして茂の身体がSOSを発し、離脱。
「俺も宿題終わらせてくる」
それに便乗し奥入瀬も続いて部屋を出る。
まじでアイツなんも仕事してねぇな……。
そしてまた編集部屋には俺と小沢だけが残る。
編集に集中している俺たちは、キーボードとマウスの音しか聞こえない静寂に包まれた空間で──。
「小沢、それフリー音源じゃないと思う」
──ということはなく、俺は隣の小沢のイヤホンから微かに漏れている曲を聞き取って指摘する。
そんな音量で聴いてたらいつか鼓膜破れるぞ。
「はぇ? この曲って使えないのか?」
「著作権に引っかかっちゃうんだよ。そうしたら動画が消されることもある」
「え、じゃあ普段俺が見てる音MADとかは?」
「あれも本当は著作権法としては違反なんだ。だけど親告罪って言って、著作権者が不利益を被ったと思わない限り罪には問われないんだよ。でも極力J-POPとかアニメの曲は流さないのが妥当だ」
「そうだったのか……」
小沢は素直に受け入れ、別の音源を探し始める。
──小沢にとっては初めての動画編集であり、仕方ない面ではある。
なんせ今までの動画は字幕もカットもない無編集動画。
編集のへの字も知らなかった彼が戸惑うのも当然のことだ。
もう少し余裕があれば一から教えることもできるだろうが、スタート直前にいざこざがあって出遅れた俺たちにはその分を取り返さなければならない。
高校卒業までに登録者100万人に行かなければ300万円を支払う羽目になる。
そうしてもう一つの理由。
『実はですね、次回の動画は〜? ──じゃん! なんと、100万人耐久で〜す!! はい、そうなんです! もう100万人まであと5万人を切りました!』
小沢のイヤホンから漏れる音声。
その声の主は──吹野玲。
現在放送中のドラマに出演し、人気を集めている高校生俳優。
そして、奥入瀬の旧友でもある。
以前、奥入瀬にコラボ依頼を持ちかけていたのだが、奥入瀬は拒絶。
そして今、自分たちの目標である登録者100万人を僅か1ヶ月足らずで達成しようとしている。
奥入瀬も口には出さないが、焦りを感じていることは普段の様子から見ても察しがつく。
コラボをするべきだったのでは、と一度は提案されていたが、彼らの間に何か大きな問題を抱えていることは確かだ。
『なんとですね、耐久生配信では多くのゲストが来てくれるそうで! 1万人越すごとに豪華ゲストがいらっしゃいます! せっかくなので、最初のゲストだけは言っちゃいますね〜? なんと! デン! 姫路家かつおさんが来てくれま〜す!! パチパチパチ!』
ただその絶大な視聴者からの人気と、愛嬌があり可愛がられている番組の出演者とのコネクションによる最強の布陣に乗っかれないのは勿体無く感じてしまう。
「ってか小沢、動画見てないでさっさと……って、お前それ……」
「ん? げッ!」
横から画面を見ると、そこには先ほどまで声が聞こえていた吹野の動画ではなく、なぜかVTuberの配信だった。
……しかも赤い背景色に愛の籠った白文字を添え、送信ボタンにカーソルを合わせた状態で。
『──そうなんだよ! そう、ファンレター読ませてもらってね、凄い嬉しい言葉とか書いてあって、私もみんなの期待以上に頑張るよ!』
パソコンから聞こえてくる可愛らしい声をバックに、土下寝をしている小沢を見下ろす。
「違うんだよ、よしのちゃんは何も悪くないんだよ……」
「そうだよ悪いのはお前だよ小沢」
どう考えてもお前やろがい。
「さっきまで吹野の動画見てたよな? どうしていつの間にVTuberに投げ銭する状態になったんだ?」
「吹野の動画見てたらよしのちゃんが配信始めたって通知が来たから飛んだだけだよ」
『明日の午後9時ぐらいに歌ってみたを出します! 今回は結構しっとりくるバラードなんだけど〜』
そもそも編集中に違う人の動画を見ないでほしいというツッコミをしようとするが、聞き覚えのある名前に意識を持っていかれる。
「よしのってまさか──」
「そう。凪から教えてもらったVTuberだよ。リアイベ行ってから少し興味が出てな」
「で、5万円を注ぎ込もうとしたと」
「違うんだってぇ〜! それはまた理由があってさァ〜!」
よしの、というのは『神田よしの』という個人勢VTuberのこと。
以前仙台に帰省して俺がギックリ腰で苦しむ間、友人である凪と2人で神田よしののリアルイベントに参加していたのだ。
「で、その理由は?」
「……俺のコメント読んで欲しかったから」
「引くわぁ……」
「おいそれはどういうことだ!」
「だって5万円出さないと振り向かれないって、そんな関係って捻じれてないか?」
「それは! お前の価値観がまだ昭和なだけ!! Z世代を舐めるな!」
「そういえば、Z世代って言葉はおじさんぐらいしか使わないらしいぞ」
「え?」
なんか一部の人に刺さった音がしたけどまあ気にしない気にしない俺悪くない悪くない。
「でも一度VTuberの配信を見てみるのもアリかもしれないぜ? 違う界隈から新しい考えを見出すのも大事だと思うぜ? ぜ!」
「まあ確かに一理はあるけど」
「ってことで、ほら!」
上手く言いくるめられた気がするが取り敢えず従い、小沢の椅子に座る。
後ろから小沢がパソコンを操作し、最近の配信のアーカイブを再生する。
中央に桃色を基調としたキャラクターが位置し、右にはコメントが縦に程よいスピードで流れている。
下にはハッシュタグや今話している話題を載せているという配信画面のレイアウト。
基本はこのキャラクターが主なテーマを話し、それに視聴者がコメントし、そのコメントをまたキャラクターが拾っていくという流れらしい。
特に荒れたコメントもなく、平和なコミュニティが形成されている。
話が終わると視聴者のコメントをメインに戯れ、開始から約1時間ほどでエンディングに入り、視聴者の投げ銭、通称スーパーチャット、略してスパチャを読み終え配信は終了した。
「な、どうだったか!」
配信が終わるなり顔を近づけて感想を求めてくる。
「スーパーチャットって機能、結構便利なんだな。生配信をしてみるのもアリかもな。それにトークも途切れることなく続いていてコミュニケーション力も高いし、心地よく聞いていられるな」
「でしょでしょ!? あとね、他にもこんな動画があって──」
ウキウキしながら他の動画を漁り、布教を試みる小沢。
しかし。
「──おい、何してんだ」
その背後には宿題を終えた奥入瀬が居て──。
「ち、違うんだよ! 別に今までストーリー的に結構重めの展開だったからたまには初心に帰ろうと思って2話みたいにストーリーとはあまり関係ない話を持ってきてコメディ味を出そうかなとか何も思ってないんだからね!」
「……何の話だ」
この世界線での機密情報を漏らした小沢は、終始テンパりながら奥入瀬に謝り倒したとさ。
……余談だがあの話以降PVが明らかに減ったのは言うまでもない。
小沢が泣きながら終わってない編集を始末している間、奥入瀬と俺はリビングで休憩を取っていた。
「奥入瀬。もう少し頻度を落とすことは出来ないか? 編集が間に合わってない」
「さっきあんな余裕そうに動画見てた奴らが何言ってんだ」
「それは流された俺が悪いと思ってる。だがそれ以前から1日に出来る編集の量を超えてる。せめて奥入瀬が編集に参加してくれないと日常生活にも支障を来すレベルだ」
「悪いが来週から耐久動画が週に3本、対決企画を週に4本撮って毎日投稿をするつもりだ。そっちが限界なら俺も編集に加わる」
奥入瀬は険しい顔つきでホワイトボードを見つめる。
そこには企画会議で出された数多くの企画とその撮影日時が書いてある。
その企画のいずれも撮影には1時間以上を要すことが予想され、大手YouTuberとも並ぶのではないかと思うほどのハードスケジュールが組み込まれていた。
「……なあ奥入瀬。本当に吹野の件、受けなくていいのか?」
「てめぇ人の話聞いてたか? 俺はアイツとコラボはする気はねぇ」
「確かに俺は奥入瀬と吹野の間に何があったかは知らない。けれどあのチャンネルが人気を出している以上、その手に乗っからないのは勿体なくないか?」
「俺は100万人を達成することだけを考えてる。だからアイツのことなんて気にしてねぇって何回──!!」
「じゃあ、なんでお前は焦ってる?」
「……ッ!」
「底辺の俺たちが今ハードワークをして身体を壊してまで何がしたいか、俺にはその意図が分からない」
確かに将来的にはこの頻度を続けていくのが理想だ。
だがあまりにも段階を踏んでなさすぎる。
準備運動もしてないのにいきなり3km走れば故障の確率も高くなるだろう。
「……ハードワークじゃねぇよ、こんなもん。もっと上の奴らは、もっと努力してる」
「奥入瀬、これはグループで活動してるんだ。それに俺たちだけの問題じゃない。以前からメンバー個人のファンからグループも見てくれる人が居るんだぞ?」
「──今のたかが数千人のために、俺たちは25億以上の市場を見過ごせと?」
「そうじゃない。だから俺は──」
「──終わったぁ〜!」
そこに小沢が明るい声でドアを開けて姿を現す。
「ん、奥入瀬。編集終わったし、撮るんだろ?」
「……ああ。遅れた分さっさとやるぞ」
「うし! まかセロリ!」
小沢は腕を合わせようとするが関節をキメられ、悲痛な叫びを廊下に残しながら撮影部屋へと連行された。
奥入瀬の焦りの原因となっている吹野の100万人耐久配信は明日に迫っていた。
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