第18話 雨のち大荒れ
六月に入った。
六月と聞いて最初に抱く印象は、『梅雨』ではないだろうか。
教室にはベテラン教師の無機質な声と、チョークで文字を書く音が響いていて、クラスメイトの私語は聞こえない。
30分前のテスト返却の時の喧騒とは全く異なる光景だ。
ご飯後ということもあり、テストも返却し終わって授業が再開したことで眠りについている人が多いのだろう。
俺は退屈な授業に頬杖をつきながら、憂鬱そうに外を見る。
窓に大量の雨粒が打ち付けられている。
その雨粒は仲間を集めて大きくなり、そして下へと流れていく。
俺は、この梅雨という季節が嫌いだ。
学校も終わり、外部活が廊下でトレーニングを始めようとしている。
中間考査のテスト返しが行われ、昇降口ではテストの点数に一喜一憂する声があちらこちらと聞こえてくる。
帰宅部の俺は、下駄箱で濡れた靴に履き替える。
「お、衣吹! テストどうだったんだよ?」
「まあ良い感じかな」
「マジか、いいなぁ〜。ま、そりゃ毎日授業起きて質問とかもしてるもんな。俺なんかもう睡魔がヤバくて」
「コーヒーとか飲むとカフェインで目スッキリするけど、試してみたら?」
「コーヒーか……。無糖とかだと苦くて飲めねぇや」
「甘党さんか」
「あはは……、そうかもな」
じゃ、俺部活だから、と友だちは急いで更衣室へ向かっていく。
そいつに手を振りつつ、俺は昇降口の外へ出る。
同じような透明のビニール傘の中から自分のものを見つける。
ボタンを押して傘を開く。
屋根が無くなり、傘に雨が当たる音がパラパラと聞こえてくる。
梅雨ならではの皮膚に纏わりつく湿気への不快感を忘れるため、これからのことに思考を回す。
「相変わらず予定が合わないな……」
3期制の俺、小沢、中津は1学期の中間考査が終わり、7月中旬までは撮影が出来る。
……小沢の追試に関しては目を瞑るとして。
逆に言えば2期制の石狩に関しては来週から中間考査で、撮影が厳しくなる。
バイトのことも考慮するとなかなか時間の確保は難しい現状にある。
「ならば夜だけでも1本ぐらいなら……」
撮影は夜に全員で行い、編集に関しては石狩を除いて3人で編集をすればいい。
今までメンバーを統括してきた石狩の分まで俺が引っ張っていく必要があるが、その点については問題はないはず。
それに本来俺がやるべきポジションだったのだ。
ここで一度やり直して、自分のポテンシャルを最大限に発揮出来るよう軌道修正をしていくのが妥当だろう。
「……はぁ」
あんなにあのメンツで活動することを拒絶していたのに、今さら心が躍っているなんて馬鹿みたいだ。
まあいい。
兎にも角にも、まずは300万円を集め切る事が最優先。
これが俺の最低限の達成すべきミッション。
万が一のことを考えておいて損はないはずだ。
校門を出ると、道路の窪みに水溜りが広がっている。
その水溜りにトラックのタイヤがスピードを緩めることなく飛び込んでいく。
溜まり場を失った水は勢いよく飛び出て、俺の顔とYシャツの上に着ていたセーターの元へ向かい、見事に水分を沢山含んで濡れてしまった。
「……チッ」
その原因となったトラックは、歩行者のことなど気にせず走り去っていく。
……相変わらずツいてない日だ。
「おやまあ。随分と濡れたみたいだね」
そんな一番タイミングの悪い時に通りかかった男に話しかけられる。
プライドの高さを感じさせる、やけに鼻につく声。
その声は何か嫌な過去を回顧させる。
躊躇いつつも俺は覚悟を決めて前を向く。
傘を差した男はすらっとした180センチほどの長身で、Yシャツのボタンを2つぐらい外して首元を晒している。
髪はセンター分けでいかにもって感じ。
自分がカッコいいことを自覚してる奴の典型的な特徴だ。
……そして最も俺が嫌いなタイプ。
「どーも」
俺の一番嫌いな相手、
「久しぶりだね、といっても3ヶ月ぶりぐらい?」
近くの公園の濡れたベンチに腰掛け、吹野も俺の横に座ってくる。
普段は公園のブランコで遊んでいる子どもも、サッカーボールを追いかけている子どもたちも、今日は居ない。
ベンチの上の屋根には木材が横に並んで組まれているが、広すぎる隙間のせいで何の意味も成していなかった。
「近くのカフェとかじゃダメか?」
「奥入瀬くんももうずぶ濡れだし、そこまで変わらないかなって思ってね。それに、水も滴るいい男って言うしね」
ほら、コイツのこういう余裕のある発言が嫌いなんだ。
「奥入瀬くんは部活どこに決めたんだい?」
「んなのどうでもいいだろ」
「それは残念。同じ部活だったらどこかで会う機会があったかもしれないのに」
「……どうせお前は俳優活動で忙しくて行く暇ねぇだろが」
吹野 玲。
今をときめく人気高校生俳優。
小学生の頃から子役として注目を集め、学校でも周りのことも考えて行動できる頭のキレるやつなので、欠席が多いながらも校内の評判はかなり高かった。
中学生では告白も数えきれないほど受け、その全てを『俳優活動があるから君と一緒に居る時間が少なくなってしまうんだ』とキザな台詞を吐いて断ってきた。
それでも女子の人気は相変わらず高く、男子たちにもノリがいい奴として慕われていた。
まあそんな完璧人間なのだ。
「僕はそれでも演劇部に入っているよ。顧問の先生にもしっかり部活に行けない時が多い旨は言っている」
「あ、そ」
「相変わらず冷たいねぇ」
ははっと軽く笑いながらどんよりと重く薄暗い雲を見つめる。
「……で、本題はなんだよ」
「最近スキマ時間にYouTube活動をすることにしてね。日常のこととか撮影の舞台裏とか撮らせてもらう予定なんだ」
「なんで俺にそんなことを言うんだよ」
「しらばっくれないでくれよ。君はYouTuberをしているだろう? 小学生のときあんなに大声で自分のチャンネルを宣伝してたのは誰だい?」
「……そんなこともあったな」
少し胸の奥に棘が刺さる。
「あれからちゃんと僕は毎動画観てるよ。もはやファンだね」
一つ一つの言葉に殴りたくなる衝動を覚えるが、なんとか抑えつける。
「それで思ったんだ。君とコラボをしてみたい」
「……は?」
しかしそんな理性のリミッターは、あっという間に弾け飛んだ。
「あんなことしておいてコラボだと……? 舐めたこと言いやがって……!!」
「身体は傷付けないでくれよ? 商売道具だから」
首元を掴もうとするが、そんな右手も抑えられる。
「君の企画力は群を抜いている。今までにない発想で視聴者を獲得している。けど知名度がそれに追い付いていない」
「……だからお前の知名度を利用して俺のチャンネル登録者を増やそうと? そんなお優しい人格者の手になんか乗るか」
「素直にその人格者の優しさを受け止めて欲しいんだけどね……」
わざらとしいほどに呆れた表情で吹野は両手の掌を上げる。
「誰がするかよ。第一、俺には仲間がいる。俺たちで、自分たちで頂点に行ける」
「それは無理だね」
そこだけ、吹野はきっぱりと断言する。
「君が居るなら、無理だ」
そしてもう一度、きっぱりと。
「どういう──」
「じゃ、僕はそろそろ収録があるから帰るよ。コラボの承諾、待ってるよ」
俺の言葉をわざわざ遮ってベンチから立ち上がり、バッグを肩にかけて公園から優雅な足取りで立ち去っていく。
「はぁ」
俺は雨が嫌いだ。
世の中で引かれる大凶が全て俺に降りかかってくる気分。
はっきり言って最悪だ。
「放送席、放送席。見事ズブ濡れになってベンチで余韻に耽っている男発見」
「あらホントですね〜、ベンチでチーンしてますねぇ。略してベンチン」
「レンチンみたいに言うなよ」
そんな状況でまたもや面倒くさい3人組が現れる。
「んでいんだよ」
「カメラ回ってるけど良いのか?」
「一旦止めろバカ」
ハンディカメラの電源を切って仕舞わせる。
いきなりこんな本性を不特定に晒すのは危険すぎる。
「で、企画の名前は?」
「『下校中のメンバーにいきなり突撃してみた』」
「ボツ決定だな」
「そんなぁ〜」
わざとらしいほどに悲しむ3人を鼻で笑いつつ、俺はふと思う。
このままじゃ、アイツに勝てない。
「俺が最高の企画を出して、100万人を超えてやる」
そう小さく口に出すと、もうその言葉に嘘がつけない気がして。
だからこそこの目標は叶える。
アイツより、吹野より有名になってやるんだ。
……ってかあいつ傘忘れてんじゃねぇか。
そう気付いたのは、公園から去ろうとした時だった。
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