第16話 筆を折らずに、もう一度

 終電列車に乗客はほとんどおらず、1両まるごと貸切状態。

 きぃきぃと吊り革の軋む音と、ガタンゴトンという音だけが静かに車内に響く。

 もう23時を過ぎていて、まばらにある家の光もあらかた消えていた。

 列車から降り、電灯で照らされた道路を歩く。

 しばらく歩けば目的地に辿り着いた。

 何回も泊まり、何回も打ち合わせをし、そして何回も喧嘩をしたところ。

 北地、と書かれた表札を確認し、インターホンを押す。

「返事がない……、ただの屍のようだ」

『いや生きてるしインターホン越しに聞こえてるよ?』

 睡眠を犠牲にしてツッコミしないで欲しい。

 深夜に他人の家でインターホン押しておきながら俺が言うのもアレだけど。


 「はいどうぞ」

 「どうも」

 こんな時間の来客にも北地さんはしっかり対応してくれ、ホットココアを淹れてくれた。

「いつもこんな時間まで?」

「最近はね。仕事をしながら夜に絵の勉強をしてるんだ」

「……」

 部屋の電気も消え、机に置かれている鳥かご状のランタンの光のみが、机と本と消しカスと、鉛筆、そして練習のために使ったと思われるA4の紙を照らしている。

 その紙には汗が滲んでいる。

 本来俺が描くはずだった、背景の練習。

「まだまだ茂くんみたいな人を感動させられる背景は描けないけど、少しでも自分の苦手なことこそ克服していくべきだと思うんだ」

 北地さんは自分の夢に向かって一歩ずつでも歩んでいる。

「ここで夢を諦めたくなんてない」

 そんな彼にサプライヤーとして寄り添い、送り出すのが俺の仕事だと今なら感じる。

「こんな時間に来るってことは、そういうこと?」

 北地さんは子どもに向けるような無垢な笑顔ではなく、イタズラでも企んでいるような悪魔の笑顔を見せる。

 その笑顔がランタンの光で上手い具合にワルになってるのがまた面白いところだが。

「はい。もう一度やらせてください」

「締め切りはもうあと3日だよ?」

「あと30分もするとあと2日ですね」

 自主的とはいえ、さらに休みを取るとなると俺の高校生活が怪しい雲行きになるので、締め切りは出来るだけ守りたい。

 これからのことも考えると。

「……出来るかな?」

「出来ます。なんせこの俺だし」

「ナルシストだねぇ」

「そうでもしないとやっていけないですし」

 そう言って2人は共闘の誓いの証に握手を交わした。


 部屋から見える日本海はとても穏やかな波で。

 人の歩く音もしない、車の走る音もしない。

 俺らの作業音だけがこの世に存在しているかのような、そんな錯覚を抱く。

 錯覚に関しては徹夜で頭がまともに機能していないこともあるのだろうが。

「茂くん、この短期間で変わったね」

「まあ、色々あって」

 今思えば自分は笑ってしまうぐらい自分勝手な人間だった。

 わざわざ自分1人のために小豆島まで迎えにきてもらったり。

 モチベーションを理由に部屋に篭ってもご飯をドアの前に置いてくれたり。

 なのに自分は目の前で起こっているはずの喧嘩を面倒だからとスルーして。

 人生そんな甘くないと思いながらも、今まで出会った人たちがどれだけ優しすぎたのかよく身に染みた。

 だから、今度は俺がその分返す番だ。

「俺は俺の出来ることを最大限に活かします」

「んじゃあ、打ち合わせ、始めようか」

 何度も立ち止まった進捗は、再び動き出す。


 「で、終盤は出来るだけスッキリとした読後感を与えたいんだ。なんせボクが表したいのは問題を解決するストーリーじゃなくてのんびりと旅をするストーリーだからね」

 北地さんはボールペンを指差し棒のように説明している箇所にスライドさせる。

「じゃあ、ここが俺の腕の見せ所って感じですか」

「そうだね。ここは君に任せることにする」

「分かりました」

「そのかわり、ここの部分に関しては僕のキャラクターを引き立たせるようにしたいから背景は抑えめでよろしく」

「了解です」

 ずっと止まっていた部分もお互いの腕を信用して決まっていく。

 

 閑話休題。

 GWからなんだかんだ2週間学校を休んでいるが、その間には高校生活最初の中間テストもあったわけで。

 休みの理由も病欠とかでは無いので0点に扱いにされるんだとか。

 ……高校卒業できるかな。


 夜も更けに更けった丑三つ時。

 周囲の住民が寝ているであろうこの時間に起きているというのはどこか背徳感があって楽しいものだ。

 例えると修学旅行の夜。

 ……どうもああいう時に限って恋バナが始まって、言わなければいいものを口に出したりして無様に周りから遊ばれているのを見ていると修学旅行の夜というのは恐ろしいものだ。

 まあなぜそんな話になってるかというと……。

「胸って200種類あんねん」

「ヘー」

「大きさだけで見るやつもおる。せやけどな、大きさだけでええというのは短絡的なアホや。分かっとるやつは美しさで見とる。こいつはよう分かってる、うん」

「ソーナンデスカー」

 北地さんがこういうことを言い始めたからだ。

 深夜テンションって恐ろしい。

「変態さんですね」

「皆んなクリエイターは心に変態を飼ってるものだよ……」

「本当の変態じゃなくてね」


 「お、終わった……」

「終わった、ね……」

 結局終わったのは自主的な締め切りの前──ではなく、1日越した月曜日の朝だった。

 締め切りを過ぎたとはいえ、2人2日で読み切り32ページは新人としては上々だろう。

 ……そう納得させといて締め切りを過ぎたことを無かったことにしようとしたけど無理だった。

 さらに言えば前からラフは大体出来上がってたからあとはやる気根気だったが。

「あ、ヤバっ……」

 北地さんは2日で15分の仮眠を2回取っただけで、あとはぶっ通しでキャラクターのペン入れをしていたので、疲労は今までに無いほど蓄積しているはずだ。

 緊張の糸が切れて睡魔が一気に押し寄せたようで、身体から魂が抜けるようにフローリングに敷かれたカーペットに横になった。

 その様子を見て自分も釣られるように睡魔に負け、太陽は昇っているはずなのに目の前が真っ暗になった。


 11時間ほど眠っていたらしく、気が付けばもう17時。

 辺りは日中なんて存在しなかったかのように暗くなり始め、カラスが飛び回る様子も見受けられた。

 久々の長い睡眠を取れてスッキリした一方で、身体の節々が痛い。

 きっとこの2日間の疲労と、カーペットが敷かれていたとはいえ硬いフローリングの上で寝ていたことが原因だろう。

「あ、起きたかい?」

「……あ、れ。もう、起きてたんですか……」

「意外とショートスリーパーらしくてね。3時間寝たらスッキリしちゃって」

 まだ周りがぼやけて見える目を擦ってよく見ると、直近の闘いを思わせる消しカスや大量の付箋が消えていたのが確認できた。

 漫画家は月刊誌、週刊誌となるほどに1日の拘束時間は長くなる。

 その中で最低限の生活に不可欠な睡眠を短時間で満足出来るショートスリーパーというのは利点になるだろう。

「にしても、大丈夫? 今日の18時半には米子でサンライズに乗って帰るんだろう? もう出ないとマズいんじゃないかい?」

「……そうだった」

 慌てて身の回りの支度を整える。

 とはいえ、財布とスマホの最低限の物しか持ってきてなかったのであっという間に終わったが。

 ……ちなみに服に関しては北地さんの私服を貸してもらったので決して臭くはないし風呂も入っていた。

 決して臭くない。

 臭くない。

「んじゃ、これで」

「ちょっと待って。君の連絡先、教えてよ」

「えと、──これです」

 メッセージアプリのIDを教え、交換する。

「じゃあ、もし連載が決まったらすぐに連絡するね」

「はい。楽しみに待ってます」

 そう言って玄関で靴を履き、ドアノブに手を伸ばした時。

「──本当に君と漫画を作れて楽しかったよ」

「……!」

 その言葉に後ろを振り向かされた。

「ずっと子どもの頃から思っていたんだ。あの人みたいに人を感動させるような、表面的だけじゃなく、内面まで伝えられるような、そんな物語を作りたかった」

 ──そうか。

 北地さんも、俺や師匠と同じ、『読者もその場に居るような空気感』を目指していたんだ。

「僕は東西南北様々な風景を見てきた。非日常的で美しく見惚れるような風景に、日常的で儚い風景に。そんな風景を見て表面的に美しいと思うだけじゃなく、その前後の人の行動も含めて抱く感情を見せたいんだ」

「……」

 あんなにキャラクターに愛を込めていた理由も辻褄が合う。

 俺はやっと気が付く。

 これは絵画ではなく、漫画。

 1フレームを映し出す絵画ではなく、時系列のある漫画。

 そこには人の心の流れを映し出すことがより強く表すことができる。

 だからこそ北地さんはキャラクターをより重視していた。

「月刊誌に載るというのは確かに僕の夢だよ。だけど、まずこの漫画を満足して描けたことがとても嬉しい。本当にありがとう」

 師匠が言っていたのはこういうことだったんだね。

 新しいことに挑戦するのは、新しい学びを得ることが出来る。

 そして自分の可能性を広げることができる。

「はい。俺も、楽しかったです」

 その言葉を合図に、握っていたドアノブを回し。

 そして後ろに振り返って深々とお辞儀する。

「これからも、よろしくお願いします。あじさいさん」

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