第15話 8年分のメモリーカード
1ヶ月ぶりに来た小豆島に変わった様子は無く、相変わらずのどかな風景を見せている。
──中津さんはこの風景をずっと見て育ったんだな。
彼の絵画の魅力の秘訣は、きっと今まで積み重ねてきた故郷愛なのだと解釈する。
普段見られない森や畑を見つつ、人も車も通っていない道を歩くと目的地に到着した。
──彼と初めて出会ったのはこのうどん屋。
一番最初に出会ったところなので、もしかしたら約束の地的な何かで居るかもしれないと思って来たのだ。
というか小豆島で知ってるのはココだけだし。
俺は戸を開き、店内を見渡すが彼の姿は無かった。
「ま、そりゃそうか」
長旅の疲れもあってか、大きいため息が出る。
こりゃ探すのが大変だな。
と思っていると暖簾からおばあさんが出てきた。
「あれ、あんた前の東京の人?」
そのおばあさんは割烹着を着ていて、前にも会ったことがあった人だった。
……他の地域からしたら神奈川も東京の人になるんだな、なるほど。
まあ俺も元仙台民だから完全な東京の人では無いんだけども。
「あ、はい。茂くんはどこに?」
「うら知らんな。多分師匠んとこに引きこもってんやないね。師匠の家はこの先の道ずぅ〜っと行った先だった気がするわ」
「ありがとうございます」
全然探さないで済みそう。
ただおばあさんは続けて言う。
「茂のやつ、色々あったらしくて心がめげてるかもしんねぇけど、根は良い奴だから。悪いけど元気付けてやって」
「もちろんです」
だって彼は、俺たちの仲間だから。
滝のような坂を上った先にある一軒の家。
辺りに家は無く、森に囲まれていてまさにポ◯ンと一軒家。
……滝のような、という部分に関しては俺が単に運動不足なだけかもしれないが。
インターホンを押そうとしたが無く、仕方なく俺は玄関の戸をノックする。
「ごめんくださ〜い」
そう中に向かって言うが、人の気配がしない。
誰かがこっちに来る気配も無かった。
「居ない、のかな」
すっと背中の汗が引いていくのが分かった。
別に幽霊が出たとかじゃない、ないけど……。
「まさかここまで歩いてきたのが無駄だと言うのか……?」
結構この坂身体に応えるんだぞ?
箱根駅伝で通る権太坂ぐらいには辛いぞ?(※個人の感想です)
「嫌だ」
この努力を無駄にしたくなかった。
だから申し訳ないけど戸に耳を当ててみることにした。
良い子は真似しないでね。
いや悪い子でもダメだよ。
「出ないで」
僅かながら聴こえた声。
しばらく聴いてなかった、中津さんの声がした。
「本当にいいのか? 友だちだろう?」
もう1人の貫禄のある声も聴こえた。
この声が師匠なのだろうか。
「他人と協力出来ない自分に、他人と何かをするなんて迷惑をかけるだけ。そんなことになるなら、もうずっと──」
「お邪魔しま〜す!!」
中津さんが結論を出す前に全力で戸を開いた。
「え?」
「……」
まず最初に視界に入ったのは、廊下で呆然と俺を見つめる2人だった。
「お、お邪魔します……」
2回目は背中をとても小さく丸め、声も蚊のように小さかった。
あこれ選択肢ミスったわ。
どこか部屋に招かれるわけでもなく、なぜか縁側に連れてこられた。
中津さんも少し罰の悪そうな顔をしているし何より気まずい。
「本当なら不法侵入」
「すんません悪気はなかったんです」
縁側で土下座をする俺。
まさにジャパニーズ。
人の戸を勝手に開いておいて遠慮するのも意味不明だなと思い、いきなり本題から切り出すことにした。
「……なんでグループを抜けようと思ったの?」
「漫画家を目指している人と共同制作をしようとしたけど、意見が合わずにぶつかり合って。結局なんも出来なかった。俺を選んでくれたのに、俺は自分の味を出しきれなかった」
中津さんはただ拳を強く握る。
「1回や2回ぐらい失敗することなんて腐るほど事例がある」
そんな彼の横に3人分のお茶の入った湯呑みとそれを乗せているお盆を持って、おじいさん──彼の師匠がやって来る。
そのお茶をありがたく頂き、運動後で火照った身体を芯から冷やす。
「私だって芸大に行っていた時には周囲と喧嘩をした。絵のタッチで意見が合わず、自分の描きたいものが描けず、仲違いをしたこともあった」
低く貫禄のある声だが、そんな中にも決して冷たくなく、俺らを包み込むような優しさが含まれている。
「茂は今まで1回も共同制作はしたことがなかった。いきなり初回で大成功、なんてそうそう無い」
「でも、俺はあの人の夢を──」
今にも声を上げて泣きそうな中津さんの膝を、そっと優しく押さえる。
「少し昔話でもしよう、茂」
「え?」
「ちょうどここには茂が絵を描く理由を知らない人も居る訳だ。気分転換に、ちょっと話さないか?」
「は、はい」
そう言って中津さんは乱れていた呼吸を整え、そして遠い青空を見つめた。
***
僕がまだ元気で無邪気、というかクソガキだった7歳の頃。
2年間大腸がんと闘病生活をしていた母さんが亡くなった。
見つかった時にはもうステージⅣで、5年生きられる可能性は1、2割ほどと医者に宣告されたらしい。
だから母さんも近々死んでしまうことはあらかた知っていた。
けれどあまりに普通そうな顔をして笑っているから、そんなことも忘れてしまうぐらい幸せな日々を過ごせていた。
でも、もう、そんな母さんはこの世には居ない。
母子家庭で過ごしてきた俺にとって、母さんの死は孤独の始まりを意味する。
もちろん学校の友だちは、と言えば居るが、それでも家に帰ってきた時誰も居ないのはとても寂しかった。
だから毎日病室に通って母さんと話していた。
でも、もう、そんな日々ももう終わった。
母さんは、死んでしまったから。
通夜の時にも周りから『可哀想に、これからどうするのかしら』と憐れむ声が聞き取れた。
知らないよ、そんなの。
どうせ適当に施設とかに入れられるんでしょ。
そんな自暴自棄な言葉だけが頭に思い浮かんだ。
親戚は1人も来ていない。
思えば僕は母さん以外の親戚に会ったことがない。
母さんはずっと病室に居たし、父さんは僕の記憶がまだ無い頃に死んだから誰も連れていくことが出来なかったんだろう。
これからも僕は親戚に会うことは無いのだろう。
告別式が終わり、遺骨を持って家路に着いていた時、向かいから歩いてきた老人が突然声をかけてきた。
君を預からせてもらえないだろうか、と。
翌日。
学校の帰りの号令を合図に走って帰宅し、ランドセルだけを置いてすぐに外に出て丘を走って登る。
しばらくすれば、昨日教えてもらったおじいさんの家にたどり着いた。
「失礼しまーす」
ガラガラと戸を開くと──。
「……これは?」
「私の作品だね」
おじいさんは新聞紙と共に部屋から出てきて説明してくれる。
「作品……」
最初に興味を持ったもの。
いや、惹かれたと言った方がいいだろうか。
目が吸い寄せられるように作品に視線が伸びた。
「写真じゃなくて?」
「いや、私の絵、だな。写真に見えるぐらい綺麗に描けたという褒め言葉だと受け取る」
他にも見ていくか、と言ったおじいさんに言われるがままについていく。
靴を脱いで廊下の奥にある部屋。
入り口の引き戸を引くと、そこには数多くの作品が額縁の中に展示されていた。
満天の星空に、森の中に、そして海に。
「……これ、じいさんが全部手描きで?」
ああ、とおじいさんは頷く。
「今はオンラインでも描けると聞いてはいるが、私はついていけそうにない。新しいことを身につけることはこの歳になると大変だ」
「これって売るの?」
「いや、あくまでも私の趣味だ。それに、年金でやりくりは出来るしな」
「その年金の負担が僕ら現役世代に来るんですよ」
「ハハ、厳しいことを言うねぇ……」
「今日習いました」
それからおじいさんは家族でもない僕に対して優しくもてなしてくれた。
毎日家から急な坂を上り、その丘の上にあるおじいさんの家に向かい。
話をしている時は嫌なことも忘れられる楽しいひとときを過ごせた。
とはいえ、絵を描いているときは集中していてとてもじゃないが話しかけられる雰囲気ではなかったけど。
でも時々、わずかに見せる微笑みはどこか懐かしんでいるような、そんな表情をしていた。
風鈴のチリンチリン、という音が心地よく感じられた。
ひぐらしが鳴く頃。
……どこかでそんなタイトルを聞いた気がするが怪死事件なんて全く起きないけど。
でも1日の終わりを告げる夕暮れが縁側から一望できた。
家もほぼ無い丘には僕とおじいさんしか居ない。
もうここに通って1ヶ月は経っただろうか。
時間を忘れられるほどにはこの家が帰る場所のように思えた。
でも、僕の本当の家は丘の下、前まで僕と母さんの2人で暮らしていたところ。
僕はおじいさんの何でもない、ただ遊びに来た少年だ。
いつかはこの家を離れ、……この島を離れ。
1人で歩いていかないといけない時が来る。
おじいさんとも会えなくなるだろう。
それも次に会えるかなんて分からないぐらいには。
そんな風に頭を現実に引き戻す、夏には似合わない冷たい風が嫌いだ。
「ねぇおじいさん」
「なんだい?」
「なんでおじいさんは絵を描き始めたの?」
逆に今までなんで聞かなかったのだろうと思ったけど、おじいさんは僕と同じ視線の先、夕陽を見る。
「──私の思い出を記録するため、かな」
「思い出?」
「そう、思い出だ。日記と同じで、後から見て懐かしく思うため」
「そういえば、夏休みの一行日記、まだ1日もやってなかった」
「明日9月1日だけど大丈夫か……?」
夕陽を見ていた視線がそのまま僕にスライドするが、怒っているのでも心配するのでもなく柔らかく微笑む。
「絵っていうのは別に絵が上手ければそれも良いことだが、私は心が宿った絵画が大好きだ。そこに行ったことが無くとも、まるでそこに生きて存在しているかのような」
夕陽の沈むスピードのようにゆっくりと。
「帯広の広大な大地に立って冷たい風を胃に入れているかのような。由比ヶ浜の砂浜に立ってさざなみの音が静かに心地よく響くかのような。富士山の山頂に立ってどこまでも広がる雲海に時を忘れるほど目を奪われるかのような」
夕陽の輪郭のように柔らかく。
「行ったことのない人にも行った記憶が付くような、そんな絵を描きたいんだ」
おじいさんは優しく微笑んだ。
「でも、そんな絵も見てもらえなかったら意味ないですよね」
「そうだね。だから君に見てもらって、私の今までの思い出を一緒に懐かしめて。本当に嬉しい」
縁側の内側にあるアトリエにはおじいさんの数々の記憶が眠っている。
僕がゲームのデータをメモリーカードに記録しているように。
おじいさんも今まで歩んできた人生の思い出を絵に記録しているのだ。
「君も描いてみるかい?」
「え、いや、僕絵上手くないし……」
「絵が上手いかどうかは技術が後からついてくる。大事なのは心だ。──茂くんが他の人にも伝わってほしいというものはなんだい?」
「他の人にも伝わってほしい、か……」
唯一の拠り所を失った僕を、関わりもないのに助けてくれた。
そんな大切な人と過ごしてきたこの家で、2人で並んで縁側に座って夕陽をぼんやりと見つめている。
「この景色です」
こんななんでもない風景を、僕は描きたい。
そこからすぐ、僕はこのおじいさんの弟子として絵を描くことになった。
師匠もこれまでの態度から打って変わって厳しく真剣に絵の描き方からモチベーションの保ち方などを教えてくれた。
***
「って感じ」
「懐かしいな。もう8年も前の話か」
「……」
2人は少し茜色に染まってきた空を見上げながら、仲睦まじく回顧している。
そんな2人の話を聞きながら、俺は身体を捻り、後ろのアトリエにある絵を見つめる。
──あの時見せてくれた小豆島の絵にも、中津さんの記憶が籠っていたのか。
「どう? 俺の記憶は見える?」
「……いや、ごめん。分からないかも」
「……そっか」
「まだまだだな」
おじいさんはニヤリと笑いながらも、ゆっくりと話を続ける。
「茂や私のように、世の中の芸術家はみんな自分の作品を愛している。それが他人に何か言われたら、言い返したくなるのも当然だ」
おじいさんは、あとは2人で結論を出してくれ、と俺たちを残して中に戻っていった。
カラスが夕陽に照らされ、黒い羽が輝いている。
もうすぐ、この夕陽も沈んでいく。
「ねぇ、中津さん。今からまたその漫画家の人と共同制作って出来ないかな」
「無理だと思う。あんなこと言ったのに戻ってくるなんて失礼」
「でもその人は中津さんが良いと思って頼んでくれたんでしょ? 少しでも心の中で、一緒にやりたかったって思ってるはずだよ」
「でも俺は、自分の信念を曲げられない」
ずっと中津さんは言い訳を探している。
全くもう……。
「中津さん。これって仕事なんでしょ? 顧客の依頼に応えることって、社会人でも必要になると思うんだ」
「……」
「自分の芯を貫き通しても顧客が満足しなければ依頼は達成できない。だから顧客に寄り添う。顧客の要望の範囲で、最大限に自分らしさを出せば良い」
「でも、それだと自分の最高の理想の作品は作れない」
「それは自分1人でやればいい」
「……!」
「顧客と作品作りをすることと、自分1人で作品作りをすること。片方しか出来ないわけじゃないよ。現にYouTuberだってそうじゃない? グループYouTuberになって皆で一緒に何かすることも、個人で好きなことをすることもどっちだって出来る。本当にやりたいことは別のテリトリーですればいい」
あつあつステーキのメンバーが言っていたこと。
『お互いの見せ場を作ること』。
もちろんお互いの力が最大限に発揮できればそれは申し分ない最高の結果となる。
だけど世の中そんなに意見が合うほど人間は似ていない。
どこかしらで大小問わず食い違いは起きるものだ。
そんな時、どちらも譲らずに居るのではなく、どちらかが妥協することも大事だ。
でもそうしたら自分の理想は作れない。
だったら1人でやってしまえばいい。
「ほら、行ってきな。善は急げだよ」
「……うん、行ってくる。ありがとう、睦月」
「……おう、行ってらっしゃい、茂」
廊下を走り、勢いよく玄関から飛び出して行った。
これからの人生を変える大きな一歩として、茂は今までに経験したことのないことをたくさん体験するだろう。
嫌になるかもしれない、挫けてしまうかもしれない。
けれど、そんな体験も人生の糧になり、将来に役立つこともあるだろう。
あいつの芸術家人生はまだまだ始まったばかりだ。
めでたしめでた──。
「茂のやつ、ここに財布を置いていったから渡してきてくれないか?」
「……つくづく締まらないやつですね」
相変わらずオチはつける茂だった。
人がせっかく良い感じに締めたところを……。
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