第12話 譲れない場所

 「とりあえず、起承転結の構成はこんな感じ。最初主人公は家族旅行の帰り、電車に揺られて寝ていたけど、起きるとのどかな田畑と夕陽に照らされる海。それを見て──」

 まあそんなゆるゆるな仕事場ではなく。

 びっしりに詰め込まれたプロットをひとつひとつ指差しながら、どういう場面なのか一語一句解説してくれる。

 そんな中俺は白バラコーヒーをストローで吸いながら飲んでいるんだけど。

 うん、久々の味。

 あとでおかわりに行ってこよう。

「俺はどこらへんの背景を描けば?」

「それなんだけど、2ページの下半分を──」

 北地さんの解説に応じて俺も解説中に出た疑問を投げかけていく。

 これが共同制作……。

 それに人の作ったストーリーを自分が仕上げていくのはとてもワクワクする。

「──ってことでいいかな?」

「はい。描いてる途中に疑問が出たらまた」

「うん。……んじゃ、ボクは一旦休憩するね」

 俺が来るまでもラフを描いていたようで、骨を鳴らし、背伸びをして、肩を自分で揉みほぐし、カーペットに寝転がる。

 既に描かれたキャラクターと軽く描かれた背景の説明。

 よし。

 俺は机に置かれた鉛筆を手に持ち──。

「北地さん」

「ん? どうしたの?」

 腹部で轟く雷鳴。

 嵐の始まりを予感させる下腹部の痛み。

 これは、まさか──。

「……お腹が、痛いです」

 コーヒー牛乳は糖が多く含まれ、腸が水分を多く出してしまう。

 だから多量飲むとお腹を壊し、Get it be.になることがある。

 ……コーヒー牛乳を甘く見ていた。

 甘いだけに。

 仕事場じゃなくて俺のお腹がゆるゆるだってねイタタタ。


 「違うんだよ!! ここは主人公ちゃんがぼんやりと起きているから白昼夢みたいな感じであんまり掴めないようなタッチがいいんだよ!」

「でもここは夕陽の輝きで眩しく刺激して自然の輝きを──!」

 数時間経つとなぜか逆○裁判みたいな熱い討論が始まっていた。

「それに、キャラクターメインが多すぎます! 日本一周という以上、景色を魅せるコマだったりそういうのを──!」

「それ以上多くするとストーリーが区切れないんだ!」

 机は『異議あり!』と言われるたびに叩かれながらも、『もう私のために争うのはやめて!』と収まらない2人の喧嘩をなんとか間に入ろうとするヒロインのようだ。

 ……途中で何を言っているか分からなくなった。

 長く背景を描いていて頭が狂ってしまったのかもしれない。

 でも仕方がない。

 背景とキャラクター、どちらも譲れない立場にある。

 実際俺が今先に挙げたのは背景だし。

 北地さんからしたら先に挙げるのはキャラクターになるだろうし。

 だって北地さんが『一流の風景画を描く中津さんにお願いしたいんです』なんて言うから妥協できないんじゃないか。

 そんなこと言ってない?

 言ってなくてもそうなんだよ。

 結果、この日の討論は後日頭を冷やして再対決ということになった。


 「かんぱぁ〜い」

「乾杯」

 北地さんは生ビールの入ったジョッキを。

 俺はオレンジジュースの入ったコップを合わせる。

 北地さんはクゥ〜、と生ビールの美味しさを噛み締めている。

「キンッキンに冷えてやがる!」

 交差点を渡って2分だから徒歩で行ける飲食店。

 そこの座敷席で胡坐をかき、テーブルを向かいに俺と北地さんは座っている。

 決して飲酒運転ではない。

「っへか、中津くんって学校行ってないの〜?」

 酔い回るの早すぎないか……?

 もう呂律回ってないよこの人……。

「いや行ってますよ。今は休んでますけど」

「へぇ〜? まあいいか。あ、すいまれ〜ん! ビールもう一丁〜!」

 話が続かないしペースが早すぎるって。

「ねぇ〜、なかふふんってさ〜、らのじょ居るの〜?」

 翻訳すると『中津くんってさ彼女居るの?』だと思う。

 英語はともかく日本語を翻訳するのは初めてです。

 あと聞き方が1年に1回会う親戚のおじさんだ。

「居ないですけど」

「ふぅ〜ん? エッチじゃん」

 もう意味が分からない。

 未成年に手出して捕まらなければいいけど。

 ──ってか今日やけにツッコミするな俺。

 いつもとキャラ違うじゃん。

 いや別に普段から素だけど。

 これが師匠の言っていた新しいことなんだろうな。

 とりあえずオレンジジュースで頭を落ち着かせる。

 ……やばい、白バラコーヒー飲みたくなってきた。

 オレンジジュースの酸味が刺激するたびにあいつの優しさに惹かれるんだ。

 ──にしても、この調子で描き終わるのだろうか?

 このままお互い譲歩せず、描き終わらなければどうするんだろう。

 また北地さんは代わりを探すのだろうか。

 ──同じような光景、どこかで見たな。

 シェアハウスのあの3人のことが頭をよぎる。


 あの夜、俺は寝ると言って自分の部屋に戻っていた。

 でもあれは嘘だ。

 あの空気の悪いところにはとてもじゃないが居られなかった。

 自分の部屋に入り、趣味で手を出していた作曲の勉強をしていた時、ふと下の階からヘッドホンを通り越して声が聞こえた。

 自作の音楽が流れているヘッドホンを外し、聞き耳を立てながら目の前にあった作曲関係の本を読む。

『中津はもう寝た』

 寝てないよ、と言おうとしたが面倒くさかったのでそのまま読書を続けた。

 だが数秒経てば、たちまち怒声に変わった。

『俺はもうお前らの慰め合いに参加する気なんてない。勝手にやっとけ』

 そして見たこともない奥入瀬の声に耳を疑った。

 次の日にはもう、3人は口を聞く素振りも無かった。

 シェアハウスの中に立ち込める雰囲気が嫌で俺は部屋に篭った。

 それだってお互い妥協していれば時間は空くが日を改めていたらお互い心に不満は抱きつつも撮影を出来たのではないか?

 そもそも俺があそこで面倒くさがらずに寝てないと言っていればこんなことにはならなかったのでは?


「──げちゃん、しげちゃん? もーしもーし」

 北地さんの一言で我に帰る。

 目の前で心配そうにこっちを覗き込んでいた。

 どうやら座敷で横たわって寝ていたようだ。

「すみません、ちょっと疲れちゃって」

 これ以上迷惑はかけられまいと、やけに重い身体を起こす。

 ……いや、まだ初日だ。

 北地さんの言っている締切までまだまだある。

 いきなり全てが上手くいく人なんて居ない。

「ところで北地さん?」

「ん? なぁ~に、どしたん、話きこか?」

「なんで膝枕してるんですかっ!」

「いや~、憧れらな~?」

 空のジョッキ10杯が置かれた机と北地さんを見て俺は言葉を失った。

 

 1週間が経った。

 毎日朝に打ち合わせをして、昼に背景を描いてダメ出しを喰らって喧嘩して、夜に鬱積を晴らしに外食へ。

 そして泥酔した北地さんの肩を組みながら家に帰り。

 ストレスは溜まる一方で、空のジョッキは日に日に増え、翌朝には顔を青くしながら打ち合わせをする。

 この繰り返しをするだけで、進捗など一切進む気配が無かった。

 最悪な悪循環だった。

 定められていた締め切りはもう1週間を切った。

 その焦りが2人の精神を限界に押しやった。


 ある日の朝。

「ってことでこれでラフ終わったね!」

「……」

 俺が起きて北地さんの仕事部屋に来たら、いつの間にラフが完成していた。

 ──俺が描くはずだった背景も含めて。

 豆腐のような四角い建物だったり、まん丸に描かれた太陽。

 北地さんは背景を描くのが下手と言ったが、正直言って本当だ。

 まるでそこらへんの駆け出し小学生の描いた4コママンガみたいだ。

 折角の可愛いキャラクターが台無しだ。

「……いやいや、何勝手に背景描いてるんですか!」

「でもこうしないと作業が進まないよ」

「話し合えばなんとか──」

「ならないよ。実際、打ち合わせしてみて作業は進んだ?」

「……」

「君がこのマンガに本気になってくれてるのは嬉しいよ。けど、それが完成を遅らせてる」

 北地さんだって辛く、苦しい表情をしていた。

「ボクは脱サラして日本一周して感銘を受けて、日本一周での新発見や体験を活かしてみんなに旅の面白さを伝えたいと思って漫画家を目指してる。でもね、そんな夢ばかり見ていられないんだ」

「……」

「今は貯金を切り崩して生活してるけど、いつか貯金は無くなる。だから早く漫画を世に出して、少しでも稼がないといけないんだ。でもボクにだってプライドはある。物語に妥協したくない」

「……」

 お互い本気になるから、お互い苦しくなった。

「頼むからこれ以上ボクを苦しませないでくれ……、ボクを信じてくれ……」

 でも、俺にだって譲れないものがある。

「長い間、師匠から教わった風景に対しては誰にも譲れない」

 俺には俺の、描きたい風景がある。

 みんながそれを見て心を打たれ、『行ってみたい!』と思わせるような風景を。

 師匠の作品を初めて見た時と同じように──。

「──そうか。……ごめんね」

 長い長い時間が経ったように感じたあと、北地さんは少し微笑んで謝った。

「そうだね。自分が本当に作りたいものなら自分で描くべきだったよね」

「……」

 北地さんは後ろに退いた。

「確かにボクは背景を描くのが下手だよ。でもそこを頑張らないと一人前の漫画家にはなれない」

 だが、手を取り合うのではなく。

「でも、北地さんは早く漫画を出さないと──」

「働きながらゆっくりだけど頑張るよ。ホント、1ヶ月丸々時間を奪っちゃってごめんね。学校も行けてないよね」

 後ろを向いて去っていく。

「き、北地さ──」

「中津くんの師匠さんには言っておくよ。報酬に関しても全額渡すから。……タクシー呼ぶから待ってて」

 そのまま1階に降りていく。

 俺は止めることも出来ず立ち尽くす。

 ──何も協力できなかった。

 初めての依頼。

 頑張って最高のマンガの背景を描こうと思った。

 でもその努力が、人の夢を邪魔した。


 クソ野郎だよ、俺。








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