第10話 この緊張感の差って何ですか?
道路の近くまで迫り出している石垣。
そして人の手が入っていない自然の森。
これよりさらに奥に行けば、家も立たない更地が待っている。
なにせ港からは遠く、坂の傾斜が急なので立地が悪い丘の上なのだ。
この島は高齢者が多く、移動に不便な丘には家を建てる人が少ないのだろう。
そんな人気のない丘の上に建った家の建て付けの悪い玄関の引き戸を、力いっぱいに引いて中に入る。
「失礼します」
「あいよ」
落ち着きのある低い声が、奥の方から聞こえる。
靴を脱いでいると、玄関の右に立てかけてある額縁に目が自然と向く。
その中には1枚の写真──ともいえる風景画が飾られている。
この家の近くにある坂から小豆島を一望した絵画だ。
この土地をよく知らないと書けない細部。
安心感を抱かせる、温かみのある色彩。
そしてその奥にある透き通った海は、光を反射して輝きを成している。
この作品に心動かされ、俺は弟子入りをしたのだ。
「茂、居るなら早く来なさい」
「はい」
──気を取られてはいけない。
脱いだ靴を並べ、急いで奥の部屋へと向かった。
GWで小豆島に帰省し、のんびりとゲーム三昧──ゲームテスターとしてデバッグを行おうとしていたところに、師匠から『話がある』と電話があり、自転車を立ち漕ぎして急勾配の坂を登り、師匠に会いに来たのだ。
「あ、師匠。お土産です」
「ありがたく頂く」
1ヶ月半ぶりに会った師匠は特に外見の変化は見受けられなかった。
「久々に会った母さんはどうだった」
「特には何も」
たかが1ヶ月半でそこまで変わらないでしょ、と心の奥で思う。
師匠も心配性なところがある。
「昨日ぎっくり腰になったらしく寝込んでいたと聞いたが……、息子が帰省すると聞いて元気になったのだろうか……」
「え」
それは初耳だ。
全くそんな素振りを見せなかったから気が付かなかった。
今日の気温は28℃で夏日。
扇風機でも物足りない暑さだ。
師匠はタオルで顔に滴る汗を拭う。
そのタオルは去年の冬、今治温泉に行った際に買った、と聞いた。
師匠は俺にも今治温泉のバスタオルをお土産としてくれたので、シェアハウスで愛用している。
とてもふわふわで、柔らかく濡れた身体を包み込んでくるその感触が堪らないのだ。
だからこそバスタオルをあっちに置いてきたのが悔やまれる。
「とはいえ、念のため親の面倒も見てやりなさい。無理に動くと危険だ」
「はい」
「あと、茂も気を付けておきなさい」
「……俺もですか?」
「そうだ。若い人も運動不足でぎっくり腰になることはあり得る。島を散歩したりして適度に運動しなさい」
「はぁ……?」
疑問を抱きつつも、師匠の忠告には従っておく。
にしても、本当にそんな人が居るのだろうか。
だとしたらよほど運動していなかったのだろう。
「ヘックシュ!」
「大丈夫かよ、今日5回目ぐらいだぞ」
「悪い、風邪ではないんだが……」
「部屋はホコリまみれだし、掃除すっか。ゆっくりしてろ」
「ありがとう」
名も知らぬ人に同情していると、師匠は紙袋を見るなり少し眉を顰める。
「何かありましたか?」
「いや、な……」
その理由を尋ねるが、師匠は少し躊躇う。
その続きの言葉を待っていると、師匠は紙袋からお土産を取り出して俺の目の前にそっと置く。
「『名物かまど』って香川のお土産だったと思うが……」
「はい。高松駅に売っていたのを」
香川県の銘菓でもある『名物かまど』。
黄味餡をかまどのような形で包み込んだ焼菓子である。
「……お土産を貰えるのはありがたいが普通こういうのは自分の方にあるものを買わないか?」
「そういうものですか?」
「……」
どうやら『そういうもの』だったようで、師匠は右手で頭を抱えた。
寿命を縮めさせているのはおそらく自分だろう。
「それで仲間たちと活動できるのか私は心配だ」
「一緒に活動してもしなくてもどっちでもいいです」
自分のモチベーションが何より最優先。
動画活動は二の次だ。
「自分の活動を優先したいのだろう? 茂は」
「よく分かりましたね」
「まあ茂とは長い付き合いだ。多少なら茂の思っていることはなんとなく分かる」
師匠は少し口角を上げる。
「……で、話というのは?」
すっかり頭の中から飛んでいたことを思い出し、話題を転換する。
「――とある漫画家から依頼があった」
「漫画家?」
「その人は日本中を旅する漫画を描きたいそうだ。キャラクターを描くのは得意だが背景は苦手というらしくてな。私に依頼が来た」
「なら師匠が受けるべきでは」
いや、と師匠は否定する。
「私は漫画には疎い。なんせ昔から風景画一本でやってきてしまった身だ。新しいことに挑戦するには年齢的にも厳しい。だが」
真剣な顔でまっすぐ俺を見つめる。
「茂なら私より漫画には詳しい。そしてまだ若い。新しいことにチャレンジできる」
師匠も今年で80歳になる。
いつか人は寿命が来る。
師匠が息を引き取れば、後継者になるのは唯一の弟子である俺だろう。
なのに師匠がやっている風景画ではなく漫画を……?
「茂、どうだ。受けてくれるか?」
「……」
今まで俺に依頼なんて一切来ず、弟子として風景画を描いていただけだった。
そんな俺がやっていいのだろうか。
でも、師匠が昔から言っていた言葉を思い出す。
『私を目標としたら私以下の存在で終わってしまう。常にそれ以上を目指していきなさい』
その言葉を信じて、でもどこか確信し切れない状態で口を開ける。
「――まあ師匠が言うなら」
「能動的ではないが……、分かった」
師匠は真面目だった顔を少し崩して微笑んだ。
***
「っていうことだ」
「……」
シェアハウスに帰ってきて開口一番に言った兄の発言は、とんでもない爆弾だった。
それは、あまりにも威力が大きすぎた。
「ど、どういうことだよ」
「そのままの意味だ。そう言われたんだ」
淡々とそう告げる兄。
自分は関係ない、という前提のスタンスで話されるのが癪に障る。
「家賃は無料っていう話じゃなかったのかよ」
「そんな簡単な話があってたまるか。そもそも300万はここの3年間の家賃とほぼ変わらない」
「んなの屁理屈だろ!」
後ろを向いていた兄はこっちを振り向いて舌打ちする。
俺の方まで歩いてくると制服のネクタイを掴まれて壁に勢いよくぶつけられる。
「お前が変なことしたからだろ? こんなことなきゃ普通に動画活動始まってんだよもう」
「い、いてぇだろって……」
それでもクソ兄貴の腕はネクタイを掴んだまま。
「昔から協調性もクソもねぇんだよ、お前は。だから嫌われたんだろ、あのときも」
「……ッ」
すっとネクタイから手を離し、再び後ろを向く。
「今言ったことを出来るだけ他のメンツにも早く伝えてやれ。あと、早く帰ってこい、と」
「は? なんでそんなこと……」
「やれ」
兄はそれだけ吐き捨て、隣にある家へ戻った。
「──はぁ、ダル……」
自分の部屋のビーズクッションに身体を預け、ため息をつく。
自分の思い通りに行かないと威圧してくる兄も嫌いだ。
こんな兄を持つぐらいなら一人っ子の方がまだマシだ。
モニターに映ったゲーム画面を意味もなく見つめる。
さっきまで高校の友人と通話をしながら楽しくゲームをしていたというのに、もうそんな気力も湧かなかった。
ミュートを外し、一言謝って通話を切る。
そして仕方なく石狩と小沢に電話をかける。
説明を求められたが、面倒だったので適当に返事をしておいた。
なんせ自分も詳細は分からない。
ただそんな面倒な会話の一部にもまた悩みの種が出る。
『中津が1ヶ月香川に留まることになったらしい。それに明日は俺ら、大事なイベントがあって……』
なんだそりゃ、と思った。
中津は勝手に居なくなるし、あの二人はこのグループよりも優先事項があるし。
もう二度と会話なんてしたくなかった。
あんな衝撃の話をされなければ。
「3年間で100万人……」
一度YouTuberを志した者なら分かる、この条件の難しさ。
こんなの聞くだけで匙を投げたくなる。
それをさせてくれないもう一つの条件。
「それが出来なきゃ300万……」
バイトをしても3年間で稼げる額ではないのに、さらに生活費まで考えれば到底高校生には稼げないだろう。
あるいは個人YouTuberとして300万を稼ぐか?
登録者10万人になれば、月25万。
3年間で900万稼ぐことができる。
あくまで概算だし、月25万というのもいろんなサイトのデータを拾ってきただけで、同じ登録者数でも収入は千差万別だろう。
他のメンバーと違うのは登録者数5万人というアドバンテージ。
まだまだ可能性は見える。
「んじゃ、配信でもすっか……」
画面が暗くなったパソコンを再び動かす。
インターネットの通信速度に不満を漏らしつつ、いつものFPSゲームを起動した。
***
小沢とのコラボでいつもの耐久企画を撮ると、すっかり空は赤く染まっていた。
部屋の埃が溜まっていたこともあり、小沢が掃除機をかけ始めたので、ウィーン、と大きな音が上の階から鳴っていた。
小沢に感謝しつつ、リビングに置いてあった漫画をのんびり読み耽っていた。
ああ、実家って感じ……。
そんな謎の安心感で急に睡魔に襲われる。
睡魔に任せて一眠りしようとしたとき。
「うひゃあああああああアアアア!!」
近所迷惑になるほど大きな声で小沢が叫ぶ。
お化け屋敷で驚いてる女子じゃないんだから……。
……仕方ない、見に行ってみるか。
「どうしたんだ~?」
小沢にそう質問しながら階段をゆっくり上る。
なんせぎっくり腰ですからね。
どうも返事が無いので部屋のドアを開けてみる。
「どうしたんだよ、おざ――」
ドアを開ききったとき、小沢の叫びが再び。
「ゴッキーとハチが部屋に入ってきたぁぁぁァァァ!!」
「どうしてだよぉぉぉ!?」
そこには掃除機を持ってハチとGと闘っている小沢の姿が。
こういうのって普通どっちかだけじゃない?!
とりあえずこの状況を打開しなきゃいけないな。
よし。
「あとは任せた☆」
「おいぃぃィィィ!!!」
俺はドアの向こうの戦場から避難。
そしてドアに寄りかかって避難経路をシャットアウト。
「ど゛う゛じ゛で゛だ゛よ゛ぉ゛ォ゛ォ゛!!」
奥から地下帝国の声がするが気にしない。
いい奴(?)だったぜ、合掌……。
──いやいや、さすがに道徳が無さすぎる。
道徳は常に5だった俺がそんな非道なことするなんて許されない。
いや道徳に5とか無いんだけども。
「と、とにかく部屋の電気を消せ! ハチにはスプレーとかで攻撃はするな!」
「把握!!」
できる限りのアドバイスを残し、腰を押さえながら玄関にあるはずのG撃退スプレーを探した。
FPSで鍛えられたゲーマーの団結力は舐めたもんじゃない。
まあ一人は戦線に加わっていないんだけど。
「で、なんでこんなことになったんだ?」
戦闘が終わった汗だくで青ざめた顔の小沢が部屋から出てきたので理由を訊いてみる。
一瞬ドアの向こうからイヤ~な臭いがしたのでドアを開けっぱなしにしておく。
「Gは普通に本棚の裏から出てきた。ハチは掃除しようと窓を開けっぱなしにしたら入ってきた」
「わぁお」
いろんな不運が積み重なってそうなったんだろうな。
上ではハチが、下にはGが、って考えるとかなりカオスだよな。
身近に居る嫌いな動物ランキング3位以内には入る(石狩曰く)奴らがタッグを組んでいらっしゃるとか凄いよね。
不快極まりない、遺憾です遺憾、強く抗議します。
「ってかお前、ドア閉めたろ?」
そして事件後、無駄に落ち着いてしまった小沢は冴え切った頭で事件を回顧する。
「……ん? どうしたの☆」
「お前無表情で☆マークは表現できないぞ。さっきも思ってたけど」
「そんなことないだろ」
「今はそこじゃねぇよ。閉めたろ」
話を逸らして話題をすり替えようとしたが失敗に終わった。
逃げ場もなく、大人しく罪を認める。
「……はい」
「んじゃ罰だな。これを叶えてもらおう」
勝訴した小沢は悪魔の笑みを浮かべる。
「金なら無いぞ」
「いやそんな現金な奴じゃないから」
「んじゃなんだよ」
悪魔の笑みが普通の笑みへと変わる。
「──2人をまた誘って動画をみんなで撮ること、だな」
「急に止めろよそういうキモイ発言するの。お前にイケメン要素求めてないから。自分のキャラを見直してこい」
「いいこと言ったのに酷い言われよう……。ヤ○コメより酷いよ」
「一言多いわお前」
そう言って落ち込んでいるが、まあ確かにそれは叶えなきゃいけない問題だ。
言い方がアレなだけで。
「でもそうだな。お前は優しいな」
「だろ?」
「無理やりこうやって会話を締めて目安の文字数を超過しないように考えているところとか」
「やめて! 作者のライフはもう0よ!!」
こうやって作者が表に出てくるのは良くないんだよ。
しっかり遠くで見守りなさいや。
「あ、風呂追い炊きしたから先入ってくれよ?」
「助かる」
こうやって茶化してはいるけど、本当に彼は良い奴だと思う。
パジャマを持って洗面所に向かい、着ていた服を洗濯機に入れる。
能天気のように見えて、実はいつも人が前向きになれるよう、先を考えているムードメーカー。
俺も小沢のおかげでこのイベントに参加することになったんだし。
コイツには感謝しきれないぐらいだ。
全てを脱ぎ終わり、浴室に入る。
どれぐらいの温度なのかな、と身体を洗う前にチェックしようとユニットバスの蓋を開けると──そこに水なんて無かった。
なんならちょっと焦げ臭い。
ま、まさかアイツ……!
「空焚きしてんじゃねぇかァァァ!!!」
そういえばそうだった。
昨日は湯船になんて浸かっていない。
それを言うのを忘れていた。
ってか忘れてたっていうか……。
「うも゛う゛う゛う゛お゛ぉ゛ォ゛!!」
前言撤回。
アイツのせいで大変な目に遭うこともたくさんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます