第9話 夢だと言ってくれよ
目潰しが出来るんじゃないかと思うほどの七色に光る眩しい電飾。
映画館か? と思うほどの巨大スクリーン。
辺りに飾られている色鮮やかな風船たち。
そして鼓膜を激しく震えさせる、爆音でアゲアゲィ! な音響。
「はい! はい!」
「心にドッキュン!」
これらの要素とバックの同志のファンのコールが会場一体となり、己のボルテージを上げていく。
この会場はもはや異世界。
非日常的でファンタスティックな空間が広がっている。
「うへぇ……」
「すごいわね……」
その迫力にただ立ちすくむ2人。
いいぞ、こいつらを沼に落とすのだ……。
全人類慄け!
そして跪け!
そしてよしのんの配下になるのだ!!
「ワァァハッハッハッハッハ!!!」
最高にフルになっている会場内に、魔王が降臨したのだった。
***
『っ゛て゛こ゛と゛て゛さ゛い゛こ゛う゛た゛っ゛た゛よ゛』
「読みづらいから全ての文字に濁点を付けないでくれないか?」
泣きながら電話越しで推しのリアイベの感想を長時間語る凪。
長時間ってどれほどかって?
そうだなぁ、凪が帰ってきたと思われる午後10時から、──今朝日が家と家の隙間から顔を出しているぐらいの時間だね。
……日を跨いでるね、怖いね。
そんな長時間何を語っていたのかぜひとも聞いてみたかったが、凪が何を語っていたかは開始1時間ぐらいまでしか記憶にない。
なんせ途中で眠くなって寝たし。
不本意ながらそれが睡眠導入になってしまったわけだけども。
いわゆるASMR? ってやつなのか?
いやいやASMRって咀嚼音とかスライムとか耳かきとかそういうやつじゃないの?
推しの語りはASMRに入るのか……?
「にしても悪いな。まさかギックリ腰になるなんて思いもしなかった」
『ホントそうだな。高校生のうちからギックリ腰なんて、よほど運動してなかったんだろうな』
普段は学校の登下校で歩いているが(それにしたってバスと電車通勤なので歩数は少ないが)、GW中は何気にずっと家で寛いでたし、それが主な原因だろう。
今日も5月上旬とは思えない異常な熱波に耐えられず、エアコンの設定温度を23℃にして動かしている。
環境に悪い?
うるさいなヨットで大西洋横断させるぞ。
『今は調子どうなんだ?』
「はっきり言って良くはないな。2、3日はかかるって書いてあるし」
一応腰に湿布は貼っているが、それだけで治るわけではない。
安静にしろと書いてあるので大人しくそれに従っている。
『今日も親は外出中か?』
「ああ」
ホントいつ帰ってくるんだよ、もうゴールデンウィーク終わるぞ……。
『分かった。今そっちに助っ人送った』
「助っ人?」
と言った途端に電話を切られ、そして同時にインターホン。
毎回思うけど仕事が早過ぎるだろ……。
「は〜い」
くの字に曲がった身体で、手すりを掴みながらゆっくりと階段を降りて玄関へ向かう。
──待てよ?
今両親は共に旅行中。
そして家に一人きり。
そんな所に助っ人を呼ぶと凪。
これってまさか、ラノベ主人k──。
「小沢くんの登場ぅ!」
ですよねー。
まあ凪だしな。
「でも少しぐらい女の子とか来ても良くない? なんでコイツ?」
小沢は頼りになるしありがたいな。
「逆逆ゥ!」
小沢はノリノリで一回転して弓を引くポーズで空を指差す。
全ッ然頼りにならなそうだなやっぱ。
むしろ部屋散らかりそう。
今日の小沢の格好は黒いハットに黒いサングラス、そしてスーツ。
ハトでも今から登場させるんですかとツッコミたい所だけど安静にしろと言われたので大人しく受け入れる。
「で、どうだったんだ、神田よしのさんのリアイベってのは」
「まさかあんなに迫力があるとは思わなかったな。Vtuberって言い方悪いけどあくまで仮想の中でやってるわけだし、現実ほどのワクワク感は無いんじゃないかなって思ってた」
「ふぅん……」
凪のオタクトークに付き合ってた割には一緒にそういうイベントに行かなかった俺にとって興味深い話だった。
なんせ第三者の意見を知りたかったし。
どうせ凪から聞いても全肯定しか聞けないし。
「でも実際行ってみると全然そんなことはなかった。むしろ引き込まれてるっつーか、自分たちも同じ空間に居るような……、簡単に言うと食わず嫌いは良くないなって」
「食わず嫌いねぇ……」
「あこれ、現地で適当に買ってきたさくらんぼのジュース」
「悪い俺さくらんぼは食べられないんだ」
「食わず嫌いは良くない、って……」
悪魔の笑顔で小沢は紙パックのジュースを差し出す。
ヤメロホントニムリナンダッテバ。
昔父親と山形に行ってさくらんぼを食べようとした時皮から……。
これ以上言うのはやめておこう。
まあとりあえずトラウマで食べられなくなっただけなんだ。
食わず嫌いでは断じてない。
みんな本当は美味しいんだろうから是非さくらんぼ買ってくれよな。
「そうか」
何となく察したらしい小沢は紙パックの上からストローを刺して頬をすぼめながら飲む。
「あ、あとこのキーホルダー」
「へ〜、これが……」
桃色の髪に制服姿のキャラクターをデフォルメした絵がプリントされたアクリルキーホルダー。
よくリュックとかの横に付けてる人とか居たけどこういう感じだったのか。
「ってか、明日のファンミーティングは行けるのか? そんな状態で」
「ああ、折角のチャンスをギックリ腰ごときで奪われてたまるか……、イテテ」
「ほんと無理すんなよ? 俺も今病気にかかってるけどさ」
「え?」
ってかそれなら家に来るなよ休め。
「いや〜五月病は深刻だなぁ〜。入院寸前だぞ〜。なんちって」
「お前二度とボケるなよ」
「俺のアイデンティティが〜!!」
雑なボケをかまされるこっちの身にもなって欲しい。
「で、例のシリーズの再生回数の方は上がってんのか?」
「ぼちぼち」
なんやかんやしっかり料理を作ってくれるらしい小沢は、我が家のキッチンを借りて慌ただしそうに右往左往と動いていた。
嫌な予感がなんとなくするので、俺はリビングのソファーに寝転がって小沢の様子を監視することにした。
前回料理と言いながらカップラーメンを作った男だが、それ以降はチャーハンを作ったり麻婆豆腐を作ったり麻婆茄子──、中華料理ばっかだな、と作っていたのだ。
……味はともかく。
「あれ、これIHか」
「ファイアーしなくて済むな」
シェアハウスはガスコンロであり、中華料理を作っていたこともあって風情があったが、火災報知器がまあ鳴りますこと。
「卵は……2個。ねぎは買ってきてないから後で買うか。包丁は……」
冷蔵庫を見ながら小さく呟く小沢。
「買うなら今行ってきなさい料理を始めない」
あと人の家の冷蔵庫にあるベ○ーチーズを勝手に食べないでほしい。
「はい、お待ちどう」
お盆に載せて小沢が持ってきたのは卵かけご飯。
……なんでIHかどうか聞いたんだよ。
「カップ麺のアレンジを調べたらこんな料理がおすすめされてな」
「アレンジねぇ」
味がorzな小沢にとって1から作るのは難しい。
元の料理をアレンジすることによって、小沢なりに美味しい料理にしようと心掛けたのだろう。
初めて美味しそうに見えた小沢の料理に目を輝かせ、手を合わせて勢いよく口に運ぶ。
「ところでさ」
「ん?」
口の中でサクサクと音を立てる麺とごはんのハーモニーに舌を唸らせていると、真剣そうな表情をした小沢が見つめてくる。
「今奥入瀬から電話が来たんだよ」
「え?」
衝撃の情報に唇の裏を強く噛んでしまう。
数秒後にはあら鉄の味。
永久機関が完成しちまったなァ~!
「お前は来たか?」
「俺は来てない」
なんで毎回俺に連絡来ないんだろ。
忘れられている気がする。
無表情ってそんなに存在感ない?
綾波〇イとか大人気やったやん……。
「で、その内容ってなんだ?」
「俺も出られなかったから分からない。今からかけてみる」
自分用のご飯を俺の向かい側に置いて小沢は奥入瀬を電話で呼び出す。
すぐに通話もつながり、スピーカーモードにしてスマホを机の中央に置く。
「もしもし」
『用件だけ言う』
久々に聞いた奥入瀬の声は淡白としていた。
感情がないかのように。
俺みたい。俺が本家だけど。いや違うけど。
『俺たち4人で登録者100万人を目指さないといけなくなった』
「は?」
「え……」
淡々と話した内容は俺たちの理解をさせないとんでもないものだった。
「ど、どういうことだよ」
『そのままの意味だ』
小沢の質問にも一言だけ答え、その後は何も言わない。
「どうしてそんなことに……」
『知らん。兄貴からそんな話をされたって情報しかない』
奥入瀬は話を続ける。
『とにかく早く帰ってこい。こうなった以上4人で話し合うしかない』
俺たちにとってずっと待ち望んでいたメンバー全員での対話。
謝って話し合って解決して。
改めてグループYouTuberを始めるというスタート地点に戻るための一歩。
だけど。
右ポケットが、ティロン、という音と共に小刻みに揺れる。
その音源であるスマホを取り出して確認すると──。
『今日帰る予定だったけど1ヵ月香川に居ることになった』
相手は中津さん。
立て続けに衝撃のニュースが入り込み、脳内はパニックになる。
頭が真っ白になる感覚が感じ取れたことだけはよく分かった。
小沢にそのメッセージの画面を見せると、顔は青ざめ切っていた。
「悪い、いま中津からメッセージが来て。1ヶ月香川に留まることになったらしい。それに明日は俺ら、大事なイベントがあって……」
『あ、そう』
ただでさえ低く淡白だった声はより低くなって抑揚を失っていく。
とても痛くて、冷たい声だ。
『この3年間で登録者100万人行かないまま300万円払うことになるだろうな。じゃ』
今、なんて──。
「おい、どういう……」
質問をするより先に通話を切断された。
お互い声帯を失ったかのように無音で、とても重く苦しい時間が続いた。
──これは夢だ。そうだ。
そう信じて目の前の机に頭をぶつける。
──痛い、尋常じゃなく痛かった。
現実だと脳はようやく理解したが、まだ信じきれなかった。
小沢に事実確認をするため、鉛のように重い口をなんとかこじ開ける。
「300万、って言ったよな」
小沢はこくん、とぼんやり頷く。
まだこいつも現実だと思えていないみたいだ。
「どういうことになってんだよ……」
後味の悪い話を聞かされ、腰の痛みがより強く感じる。
「俺たちが100万人を、3年間で……?」
一般人から見たら今では近いように見える100万人。
でも今まで10万人すら超えたことのない無名の俺たちにその期間は気が遠くなるような条件だった。
期限を設けなくても厳しい条件だというのに。
しかも協調性もなく、今でも4人は集まっていないというのに。
「100万人にたどり着ける道が見えねぇよ……」
「でも、出来なきゃ300万……」
家賃は無料。
そんな甘い誘惑に誘われて俺はこのシェアハウスに住むことになった。
でも結局100万人を目指せず300万を払うことになったら?
──両親に頼むのか?
いやいや、自業自得だろ、自分でどうにかするしかない。
──だったらバイトで?
学業もあるのに、到底集められる気がしない。
「――やるしかない」
「……だな」
そう自分に言い聞かせるが。
「でも本当に、こんなグループで再生回数上がるのか?」
ずっと心の中で引っかかっていた疑問が邪魔する。
「……わかんないや、もう」
その疑問の解決法なんて知らない。
清水の舞台から飛び降りた俺たちには、このグループで再生回数が増える、と盲信するしかないのだ。
「……食べようぜ」
「だな」
残っていた卵かけご飯を口に入れるが、味覚の感覚器官は全く働いていない。
味を失った卵かけご飯をただ空にすることしか考えられない。
「……うんまッ」
一人は自分の作った料理(?)に舌鼓を打っていたけど。
相変わらず小沢の切り替えの早さには脱帽だ。
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