2023/2/10 12:45
「炒饭、追加ね」
餃子をぺろりと平らげた、令狐くんの追加注文。……と言っても、すでに大盛りのラーメンも、卵とトマトを炒めたやつ(「西红柿炒鸡蛋ね」と、令狐くんは言っていた)も、食べてしまった後だけど。
「まだ食べるの? 仕事は?」
「今日は、平気。午後は休み」
裏のテーブル席で騒いでいたおっちゃんたちも、すでに各々の仕事に戻っている。店の中には、令狐くんしかいない。
「そう言えば、令狐くんって、ずっと日本にいるの? 中国に帰ったりしないの?」
「うーん、そうね……」
令狐くんは、今度は某探偵の漫画を読んでいる。難解なトリック以前に、日本語、分かるのだろうか。
「気が向いたら、戻るかもね」
「『気が向いたら』って、そんなんでいいの? 親御さん、心配するでしょ?」
「やれやれ」と思ったそのとき、お客さんが入ってきた。背の高い、男の人。
「あ、いらっしゃいませー」
彼の「こんにちは」の声は、とても滑らかできれいだった。ふわふわと柔らかい髪と、にこにこと優しい笑顔を振りまいている。
「あ、裏の席座ります? 今、片しますから」
「いえいえ、カウンターで結構ですよ」
席はいっぱい空いているのに、お客さんは令狐くんの隣に座った。並んでみると、仲の良い友だちみたいだ。
「ご注文、何にします?」
そう聞くと、お客さんは考える素振りを見せた。とは言え、すでにどうするのかは、しっかりと決めているらしかった。
「おすすめ、ありますか?」
「なら、餃子ですね」
令狐くんが、間に入る。メニュー表を指差しながら。
「普通のやつが、一番うまいよ」
「そうですか。そしたら、それで」
注文を通して、話をする。こういうお客さんは、雑談するのが大好きなのだ。
「お客さん、観光ですか?」
「ええ、ちょっとね。温泉にでも、入ろうかと思いまして」
お客さんの目は、とてもきれいで澄んでいる。まるでガラスのようでもあり、鏡のようでもある。
「ひょっとして、令狐くんがいる温泉じゃない? ここから近い方なら、きっとそうでしょ」
「んー、そうかもねー」
言いながら、令狐くんはお客さんの顔を見る。お客さんも、にこにこしながら、令狐くんの顔を見ている。
お互いに、じろじろじろじろ、見つめ合って。何だか変な感じだった。
「はい。餃子、一つ」
「ありがとうございます」
餃子の端にタレをつけて、熱い内に、一口。そんなただの動作なのに、何故だか妙に神秘的で。……って、もしかして私、疲れてる?
「本当に、美味しいですね」
「あ、ああ、どうも。父の自慢の一品なんですよ」
「美味しそうに食べる、君が好き」とか何とか、そういう言い回しがあるけれど。このお客さん、その手の形容の域を超えて、おかしいほどに魅力的だ。
「令狐くん、チャーハンできたよ」
「んー……」
令狐くんはから返事で、ずっとお客さんの顔を見ている。それこそ、「覗き込んでる」と言ってもいいぐらい。
「……私の顔に、何かついてます?」
お客さんは、くすくすと笑う。対して、令狐くんは黙っている。
さっきから、どうしたんだろ。令狐くんも、私も。
「お会計、これで良いですか?」
「え、あ、はい」
いつの間に、食べ終わったのだろう。すでに皿は空だった。
「では、私はこれで――」
――お客さんが席を立とうとした、そのとき。
「ちょっと待て」
令狐くんが、彼の腕をがしっと掴んだ。
「おまえ、なんか、おかしい」
――不要隐瞒,全都说出来吧.
「ははぁ」
お客さんは、実に面白そうに頷く。
「なるほど、なるほど」
何度も何度も、頷く。
「やはり……」
――我哥们儿
「……ですよねぇ?」
お客さんは、令狐くんに耳打った。それは、何か、中国語らしかった。
「もし、そうだと言うのなら」
ふわり、と彼は振り向いた。私も令狐くんも、その目に釘付けになった。
「例の場所で、お会いしましょう」
彼が店を立ち去ると、私たちはしばらく無言になった。本当に、何だったんだろう。そう思いながら。
「……何? 例の場所って」
「別に、なんでもないよー」
その後、まるで何事もなかったかのように、令狐くんはチャーハンに口をつけた。おまけに、煙草まで吸い始める。
「だから! 店内で煙草は止めってってば!」
「うんうん、分かってるよー」
……私には分かる。令狐くんは、今日止めないことは、明日も止めない。
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