第33話 ご飯

「朝である! 皆の者、であえー! であえー!」

 太郎の声で洋と青年は飛び起きた。外はまだ薄暗い。壁の時計は六時を指している。寒さから男は布団を被った。

「うおっ……寒っ」

「朝食の準備が出来たのである」

 つい、要らないから放っておいてくれと言いそうになったが、洋が手早く布団を畳んで押し入れに仕舞うのを見て本当に修行僧みたいになってしまったと訝った。洋に布団を剥がされ、渋々身震いしながら外へ出る。欠伸を噛み殺し、居間に上がると、ご飯と味噌汁、お新香、卵焼き、子持ちししゃもが二匹……と並んでいる。

 これだけか……

 と不満が漏れそうになったが、まあ贅沢は言えない。ただでさえ金の無い寺なのだ。泊めてもらった上に朝食まで用意してもらったのだから文句は言えない……とは思いつつ、どうしても顔に出てしまったらしい。洋に小突かれ、苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

「母上、そういえばこの間、学校の給食でご飯を右側に置いていた女の童が居たのである」

 太郎が話し始めると、太郎の隣に座っていた母が太郎へ視線を向けた。

「そう……それで?」

「普通は左側にご飯を置くものだからおかしいと教えてあげたのである。給食の配膳表にも書いてあるので間違えているのだから直せば良いだけである。だのにその女の童は『そんなことどっちでも良いじゃない』と言ったのである。確かに食べ物の味が変わるとかそういった弊害は無いものの、何だか手前にとっては礼を欠いている様でしっくり来ないのである。母上はどう思われますか?」

 太郎の話しに母は少し微笑んだ。

「そうね……太郎ちゃんはお雛様を見た事がある?」

「勿論。道の駅に飾られているのを見た事があるのである」

「あのお雛様とお内裏様の場所が関東と関西で逆になっているって話しは知ってるかしら?」

「うむ……確か京雛の方が古くからの並べ方で、関東雛は大正天皇の即位礼のとき洋装の天皇陛下が西洋文化に習い、皇后陛下の右に立たれたことからこの風習が広まったと聞いた覚えがあるのである」

 洋と男は二人の話しをなんの気無しに食事をしながら聞いていた。洋は相変わらず太郎は博識だなぁと思いながら聞き、男は大正天皇なんか今の小一知らねーだろ。何処で若返りの薬飲まされたんだ? こいつ……と太郎の年齢を疑っていた。

「そう。太郎ちゃんはそれを聞いてどう思う? やっぱりお雛様は右でも左でもどっちでも良い?」

 母の質問に男達は『どっちでも良い』と答えそうになった。

「大正天皇が洋装の時に西洋文化に習って皇后陛下の右側に立ったのであれば、和装である関東雛がそれを真似するのはおかしいのである」

 太郎の話しに洋は成る程……と思った。

「そうね」

「けど、正直関東雛の飾り方の方が多いんじゃないですかね」

 男はつい言葉を吐いた。

「そうね。じゃあ、右大臣と左大臣の位置は、京雛と関東雛で左右が逆になるかしら?」

 母の言葉に男は口籠った。

「そんな話は聞きませんね」

「そうよね。日本は元々、左上座と言って左側の左大臣の方が位が上なの。だから左大臣の方が髪が白くて高齢な事が多いの」

「ほほう……成る程……左上座……何故左の方が位が上なのであろう?」

 いや、もうそうと昔から決まってんだからそんな所気になるかよ? と男は冷や汗を流した。

「皇帝は、不動の北極星を背に南に向かって座るのがよしとされており、その場合、陽は皇帝の左側である東から昇るのよね。沈む西より昇る東側が尊ばれ、結果的に左が右より上位にあたるとされる思想が日本には昔からあるの。

 古事記でも、黄泉の国から帰った伊弉諾が禊をした時、左目を濯いだ時に天照大御神が産まれるの。だから左の方が貴いものと昔から考えられていたのね。

 お日様が昇らないと作物が育たないでしょう? 日本は大昔から籾米を租税として納めてたくらい大事にしていたの。だから感謝の気持ちを込めてご飯は左側に置くのよ」

 太郎はそれを聴くとご飯を見つめた。

「成る程、『ご飯を左側に置く』という決まりにはそんな歴史があったのであるな」

 太郎は満足そうに笑って食べ始めた。とっくにご飯を終えてしまった二人はお互いに目配せし合い、自分達の御膳を下げて台所へ向う。男はチラチラと太郎と太郎の母を見ながら食器を洗う洋の隣に立った。

「成る程、あの親あってのあの子供か……」

「祥花さん、こないだまで病院に入院していたから、お爺さんの影響の方が強いと思うけど……良い子だよ」

「それよりさ、ここの寺に子供はあの太郎って子供だけかい?」

 男の質問に洋は首を傾げた。

「そうだけど……何でそんな事を聞くんだい?」

 洋が聞き返すと男は何だか不思議そうな顔をしてふーんと鼻を鳴らした。

「いやまあ別に……良いんだけど……」



 祥花は食事をしながら太郎の耳に囁いた。

「はじめちゃん、ちょっとお願いがあるの。木曽根の鈴ちゃんに届けて欲しいものがあるの」

 太郎は母がさっき、自分の事を何度も『太郎ちゃん』と呼ぶのが引っかかっていた。どうやら昨日、自分が連れて来た男に母は警戒しているらしい。

「ほう……」

 多分、洋と知り合いだし、昨夜の洋の様子から考えるに悪友に違いないと母は思ったのだろう。

 善を見ては速やかに行え、悪を見ては忽ち避けよ

 と実語教にもあるので自分に悪影響が及ぶ前に……という親心だと太郎は納得していた。

「母上、心配には及びませんぞ」

「太郎ちゃんの好きな山吹色の饅頭よ」

 母がくすっと笑って言うと、太郎は直ぐその台詞に気付いた。

「母上、そちも悪よのぅ……」

 太郎が悪い顔をすると、母は面白そうに笑った。

「いえいえ、はじめちゃん程では……」

 くすくすと二人は笑い合いながらご飯を食べ終えた。

 太郎は食事を終えると、母から風呂敷包みを渡され、裏からそっと出て行った。母はそれを見送ると素知らぬ顔をして食器を片付け始めた。



 洋が寺の掃除をしている間、男はキョロキョロと辺りを見回していた。どうも、太郎の姿が見当たらない。

「なあ、あの太郎って子、見なかったか?」

「さあ……友達の家にでも遊びに行ったんじゃないっすかね? 今日は日曜だし……」

 明日は運動会の振替休日かぁ……子供は良いなぁと洋は考えていた。

「なあな、あの太郎ってガキ、誘拐してテレビ局に連れて行こうぜ」

 前の自分と同じ発想に、古傷を広げられた気分だった。それでつい膝から崩れ落ちて項垂れた。

「止めてくれ。本当に頼む……」

 自分の罪の重さを再確認させられた気分だった。洋が既に太郎を一度誘拐している事を知らない男は何を落ち込んでいるのか全く解らなかった。

「あいつはきっと良い金蔓になってくれるって」

「はあ……そうだよな。あんな口が達者で時代劇好きな小一なんか、天然記念物級だよな。解かる。解るよ? でもね、子供を大人の金儲けの道具になんかしちゃいけない」

 男は眉根を寄せ、洋を睨んだ。

「何だ。坊主みたいなこと言いやがって……」

 洋は自分の胸に手を当て、考えた。自分が彼のマネージャーになり、テレビ局へ出演させ、太郎が引く手あまたの大スターになるのを想像した。金の着物を着せてちょんまげを被せ、手にマイクを持ち、松◯ケンと紅白歌合戦に出たり、N◯Kの大河ドラマで大人顔負けの子役を熟す姿を想像した。あとはテレビのクイズ番組に出たり、二十◯時間テレビでマラソンをする。そして億万長者になり、寺をもっと大きくて豪華に建て直し、爺さんやお母さんを楽させる親孝行な子……というありもしない妄想を繰り広げ、溜息と一緒にそれらを吹き消した。

 自分は、自分の親に親孝行なんかしなかったくせに、他人の子に親孝行しろとは言える立場ではない。

「嫌だね」

「臆病者」

「なんとでも言ってくれ。君とはもう手を組まないと決めたんだ」

 洋の態度に男は肩を竦めた。

「そうかい。じゃあ俺だけ大富豪になってやるよ」

 男はバツの悪そうな顔をすると、そのまま寺を出て行った。洋は男が居なくなると、冷や汗を拭った。

 ああ……怖かった……危うくまた、あいつの言葉に乗せられる所だった……

 洋は大きく深呼吸すると再び寺の掃除を再開した。



 太郎は空き地に着くと、母から持たされた風呂敷を開けた。中には手縫いで編んだマフラーと指が六本もある子供用の赤い手袋が入っていた。どちらも鈴宛にしては小さいので太郎の為に母が作ったのだろうと察した。太郎はマフラーと手袋を付けると、風呂敷をマントにし、颯爽と坂を駆け下りた。

 風が冷たい。そろそろ雪が降りそうだ。雪……冬……そう考えて太郎は叫んだ。

「討ち入りじゃー!!」

 稲刈りの終わった田んぼに入り、稲藁の束に手を突っ込むと太郎は空を見上げた。

「まだ温かい。吉良上野介はまだ近くに居るぞ! 探せ探せー!!」

 太郎は一人叫びながら山を降りて行ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拗らせ太郎の実語教 餅雅 @motimiyabi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ