第28話 其々の夏休み

 藤間 銀次は広島から観光に来た子供だった。小学五年生。夏休みは家でずっとゲームをしていたかったのだが、親のエゴに付き合わされ、ゲームは家に置いて行かれてしまった。

 あ〜あ、ずっと夏休みなら良いのに……

 銀次は学校を休みがちだった。虐めとかそういうのでは無い。兎に角人見知りで、友達の作り方が解らなかった。それというのも親の転勤の関係で、学校が変わったのが去年の事だった。だからクラスでも浮いてしまって、保健室登校になったのが五月のGW明けからだった。

「そこのお兄様!」

 不意にそんな変な声掛けをされて振り向くと、見たことない、低学年の男の子がにんまりと笑顔を称えて立っていた。

 周りを見渡すが、子供は確実に自分を捉えている。人違いされたのか、何故自分に話しかけて来たのかと訝しく思った。

「お米の研ぎ方を教えて頂けないでしょうか? 何分、ハンゴースイハンなるものが、初めてでありまして……何卒よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる姿に少し変な気分だった。何で俺なの? 他にも人は居るじゃん。他所行けよ。面倒臭いと思った。

「おっと、先ずは手前から名乗らねばなりませんでしたな。失敬しました」

 そう言うと子供はにかっと笑った。

「吾輩は人間である。名前は太郎」

 その聞き覚えのある言葉に、銀次は首を傾げた。

「それを言うなら、

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。

 だろ?」

「これは大変素晴らしい! ご存知でありましたか! そう、かの有名な夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』の冒頭である。流石であります!」

 銀次はあの本を最後まで読んだことはない。冒頭しか知らない。なのに何だかそう言われると、鼻が高いというか、優越感のようなものに襲われた。

「あ、当たり前じゃん。常識だよ!」

「ははぁ……この太郎め、常識をまだまだ知らぬ新参者故、知己に長けたお兄様にハンゴースイハンの手解きをお願い致したいのであります。どうかこの愚弟めに教えては頂けないでしょうか?」

 そこまで持ち上げられると、今まで誰かに頼られた事が無かったものだから他人から必要とされるのが何とも嬉しかった。

「もう……仕方ないなぁ」

「浜路姫、こちらのとても博識なお兄様が教えて下さるとのことであります!」

 太郎が振り返ってそう言うと、隣のテントからひょっこりこれまた太郎と同い年くらいの気の弱そうな女の子が顔を出した。手に飯盒炊飯の入れ物と、生米が入った袋を持っている。太郎の後ろへ行くと、そっとこちらを見やった。

「これこれ、先ずは挨拶である。

 人と恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟為り。

 と、論語に書いてありました。

 相手に失礼のない様に丁寧に挨拶をすれば、世の中の人が皆自分の兄弟のようなものになる。

 という言葉である」

 太郎の言葉にはっとした。何それ? と同時に、挨拶をするだけで世の中の人が皆、兄弟のようになる。なんて信じられなかった。

 おずおずと女の子が太郎の後ろから出て来て丁寧に頭を下げた。

「は、浜路 うららです! よろしくお願いします!」

 顔を真っ赤にし、緊張のあまり震えているその姿が何とも可愛らしく、健気だった。

「えと……藤間 銀次。よろしく」

「銀次殿、よろしくお願いしますなのである」

 それで、なんやかんやと米のとぎ方や、焚き火のやり方やと一緒にやっている間に仲良くなって、太郎が他のキャンプに来ている知らない人にも声をかけ、その度に銀次の紹介までしてくれるので、あれよあれよとそのキャンプに来ていた子供達が仲良くなってしまった。

 すごいなぁ……

 年下なのに、あのコミュニケーション能力は凄いと思った。何だかやたら難しい事も知っているし……そこはお寺で育ったからだと言っていた。何処へ行っても直ぐに友達を作ってしまう彼が何だか羨ましかった。

 今日会ったばかりの子が、花火を一緒にしようと誘ってくれた。こうやって友達を作るのかと目から鱗状態だった。



 夏休みが終わると、新学期に教室へ入ってみたくなった。頭の中に、太郎の姿が思い浮かぶ。

『相手に失礼のない様に丁寧に挨拶をすれば、世の中の人が皆自分の兄弟のようなものになる』

 本当かな? 今からでも間に合うかな? と、緊張しながら教室へ入る。ざわついていた教室の中が一瞬、静かになった。

 挨拶、挨拶……

「おはよう!」

 少し大きな声で言ったら、声が裏返ってしまった。それを聞いたクラスメイトが、どっと笑った。

「あははは! 何だよそれ、藤間って面白い奴だったんだな!」

「あんまり喋らないからとっつきにくいやつなのかと思ってた!」

 クラスの数人が口々にそう言って、銀次の傍に駆け寄った。

「なあなあ、あのゲーム知ってる?」

「知ってる! 緑の小人が出てくるんだよね! あいつ急に爆発するから、BボタンとLを押して……」

「ええ? そんなやり方あるの? すげえ、もっと教えて!」

 銀次はいつの間にかクラスに溶け込める様になっていた。

 今度、太郎君に会うことがあったら、お礼を言おう。彼のお陰でクラスに溶け込める事が出来たのだからーー。


 ※※※※


 佐々木 花子は野菜を目の前にして不貞腐れていた。バーベキューの肉だけ先に食べてしまい、嫌いなピーマンやキャベツ、玉ねぎが皿の上に鎮座している。

 小学三年生の花子は眉間に皺を寄せ、その野菜たちを睨んでいた。

「何でこんな不味いもの食べなきゃならないのよ! お菓子ちょーだい! お、か、し!」

 花子が喚くと、周りの大人が苦笑いを浮かべ、母親が「もう……仕方ないわねぇ……」と溜め息を吐いた。

「美味しいよ?」

 テーブルを挟んで眼の前に座っている女の子が呟いた。愛媛の田舎から来たと云う浜路 うららだ。お米のとぎ汁を捨てる時に失敗してお米を溢したり、バーベキューの野菜を切る時に自分の指先を切るような鈍臭い娘だ。そのうららの言葉に花子は険しい顔をした。

「私は青虫じゃないの! こんな不味い野菜なんか食べなくても、美味しいものはいくらでもあるのに、何でこんなもの食べなきゃならないのよ!」

 花子の言葉に、うららは萎縮してそれ以上何も言えなかった。うららの隣にいた太郎がにんまりと笑う。

「花子殿はレモンは好きであるか?」

「はあ? あんな酸っぱいもの嫌よ!」

 何故、今急にレモンが出てきたのか花子には解らなかった。

「なんとピーマンはレモンよりもビタミンCが豊富なのである。ビタミンCは老化防止や疾病予防……病気に負けない強い体を作るのである。これはお菓子では中々接種出来ない貴重な栄養素である。

 キャベツは胃もたれ防止である。お肉だけだと胃がもたれてしまうが、キャベツを一緒に食べると、胃の粘膜を修復したり、胃酸の分泌を減らしてくれるのである。

 玉ねぎは血液をサラサラにして体の疲れを取ったり、免疫力を上げてくれるのである。

 これだけ良い事尽くしであると言うのに、食べないなど、勿体無いのである」

 太郎の説明に、周りの大人達があんぐりと口を開けていた。

「別に私、病気じゃないも〜ん!」

「そう。『今』は病気では無いのである。ただ、こう考えてみてはどうであろう? これから、野菜を食べて歳を取るのと、野菜を食べないで歳を取るのと、どちらが自分の得であろうか?」

「はあ?」

「お菓子だけを食べて肥満、糖尿病、高血圧、癌になり、好きな物も食べられず、薬ばかり飲んで毎日家でゴロゴロ。旅行なんぞ行けやしない。重たい体を引きずって病院に通う毎日が良いか、

 苦手でも我慢して野菜を食べ、学校で好きな授業を受け、友達と遊び、元気であれば遊園地にも行ける。お菓子も程々に食べ続けられる毎日が良いか、

 さて、どちらの方が良いであろう?」

 花子は想像した。そりゃあ元気で、沢山遊べる方が良いに決まっている。

「人は兎に角目先の美味しいものに手を伸ばし、体調を崩すと直ぐ薬に頼りがちである。けれども、薬より養生。病気になる前に予防が大切である。病気にさえならなければ毎日元気に楽しく暮らせるのに、病気になるまで自分の行いの悪さに気付けないのが人間の悪い所である。

 否、病気になってもそれに気付けない者はもう救いようが無いのである。

 花子殿にはどうかそんな大人にはなって頂きたくない。どうか元気に長生きして、また一緒に遊びたいものである」

 また一緒に遊びたい……花子にはこの言葉が思いの外胸に響いた。自分勝手で我儘な自分に、そんな言葉をかけてくれる友達はいなかった。お互いに誰かを標的にして悪口を言い合う。そんな友達ばかりだから、花子は太郎の様な子供が新鮮だった。

「し、仕方ないわねぇ……」

 年下に自分の将来を心配されたのは初めてだった。親からどれだけ『あなたの為に言っているのよ』と言われても響いた事は無かったが、年下の、しかも今日会ったばかりの子供にそんな心配をかけてしまったのだと思うと何とも自分が不甲斐ない思いだった。

 一口ピーマンを食べてみる。苦いと思い込んでいたが、思っていたよりも甘味がある。外の空気のせいなのか、皆で食べているからかいつもよりも美味しく感じられた。



 家に帰り着くと、花子は息巻いて家庭科の教科書を開いた。あんな年下だって、何の野菜にどんな栄養があって、体にどんな良い影響があるのか知っているのが許せなかった。自分の方が年上というプライドに火が点いていた。

「お母さん! 人参はね、βカロテンっていうのが入ってて、目とか肌に良いんだって! ママも食べなきゃダメよ!」

 花子が教科書を片手に話すと、母親は驚き、笑っていた。

「そうね。ママ、もっと美人になっちゃうわね!」

 美人……花子はこの言葉に目を輝かせた。

「野菜を食べたら美人になれるの?」

「勿論」

「もうっママ、それなら早く言ってよ! 今度太郎君に会うまでに、うんと美人になってやるんだから!」

 ぷんぷん言いながら冷蔵庫を開いた。野菜室に入った野菜と、教科書を見比べている。両親はその娘の変わりようが可笑しかった。

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